東海林直人のゴロテマ日本史

語呂合わせでテーマ史を記憶するので「ゴロテマ」です。YOUTUBEのゴロテマ、三省堂刊「ゴロネコ日本史」もヨロシク。

江戸時代の外交使節(3件)の覚え方◇B近世351

2016年10月01日 08時35分32秒 | 入試対策講座

□近世351.江戸時代の外交使節(3件)  ◇B

[ゴロ]圭が招待され/応対謝辞と/通信せん


慶賀使・軍代り)(り・謝恩使)(通信使・朝


[句意]錦織圭が招待され、応対の人がよく来てくれましたと謝辞を述べたと通信しよう、という句。現地で通信社(共同通信社とかロイター社など)の記者たちが話しているといった状況を想定しています。


[ポイント]

1.朝鮮からは通信使が、琉球からは慶賀使謝恩使がきた。

[解説]
1.朝鮮からの通信使は、将軍の代替り毎に江戸を訪問し、両国の文化交流と友好関係に大きな役割を果たした。秀吉の朝鮮侵略で両国の関係は悪化していたが、対馬藩の努力によって1607年国交回復(己酉(きゆう)約条)が実現。江戸時代を通じて全12回。なお3回目までは、朝鮮侵略で連行された捕虜を朝鮮に送還するのが主目的のため、回答兼刷還使(かいとうけんさっかんし)という。

2.琉球の慶賀使は、琉球国王将軍の代替り毎に、謝恩使は、琉球国王の
代替り毎に、琉球国王が薩摩藩の監督の下に江戸に派遣した。慶賀とは将軍就任をお祝いする意、謝恩とは国王の即位承認を感謝する意。

3.3使節ともに異国風の髪型や服装であり(琉球は強制)、幕府に外国(朝鮮国・琉球国)が服属しているかの様に演出し、将軍権威の高揚に利用した。

〈2016明大・商:「
 秀吉の死後、日本と朝鮮の講和は対馬藩主の宗氏の努力により実現され、1607年には江戸幕府のもとd【1冊封使 2追捕使 3謝恩使 4通信使 5慶賀使】が迎えられ、その後、1811年までの間に合計12回、おおむね将軍が交代するたびに朝鮮使節が来日することになる。また、1609年には[ 5 ]条約が締結され、釜山に設けられた[ 3 ]に、年間20隻の船を派遣し、貿易を行うことが認められた。異国のきらびやかな扮装をした朝鮮使節の来日は、当時の一般庶民にも歓迎され、現在でも朝鮮使節が通過した岡山県瀬戸内市には「唐子踊り」、三重県津市には「唐人踊り」など、朝鮮人の姿を模倣した衣装で舞う踊りが伝えられている。」

(答:d4、空欄5倭館、空欄3慶長(己酉))〉

ジャンル:
受験
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 天保期の百姓一揆(2例)の覚... | トップ | 清良記(最古の農書)の覚え方◇... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

入試対策講座」カテゴリの最新記事

関連するみんなの記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL