東海林直人のゴロテマ日本史

語呂合わせでテーマ史を記憶するので「ゴロテマ」です。YOUTUBEのゴロテマ、三省堂刊「ゴロネコ日本史」もヨロシク。

憲法起草(関係者4人)の覚え方◇B近現495

2017年05月15日 20時03分06秒 | 入試対策講座

□近現495.憲法の起草(伊藤博文を除く4人) ◇B

[ゴロ]猫蹴(け)った居残りの/苗字(みょうじ)が漏洩(ろうえい)する


金子堅太郎(かねこけんたろう))((いのうえこわし))(伊東巳代治(いとうみよじ)・ロエス


[句意]猫を蹴って居残りをさせられた子の苗字が漏(も)れた、という句。「伊東巳代治」の「東」「巳」に注意。


[ポイント]

1.伊藤博文中心に、ロエスレルの助言を受け、井上毅伊東己代治金子堅太郎が草案をつくる。

[解説]

1.伊藤博文は1882年3月、ヨーロッパに渡り、ベルリン大学のグナイスト、ウィーン大学のシュタインの両憲法学者に師事。伊藤は、ドイツ流の憲法理論、すなわち、君主権を強化し国民の基本的人権を抑える術を学んで1883年、帰国。

2.憲法はマグナカルタにはじまり、横暴きわまりない国家権力を制限することを人民が権力者に誓わせた文書である。いっぽうドイツ流の憲法は、権力側がいかに人民を統治するかに力点を置くもので、本来の憲法の精神とは相容れない逆立ちした亜流だった。


3.1883年、宮中に憲法取調局(翌年、制度取調局に改称)を設置し、井上毅に憲法草案の起草を命じた。1886年から伊藤中心に井上毅伊東巳代治金子堅太郎らが 法律顧問のドイツ人・ロエスレルやモッセの助言を得て憲法を起草し、枢密院での審議をへて1889年2月11日(紀元節)、大日本帝国憲法が発布され、翌1890年国会の開設が決定した。

2017慶大・経済:「
問4(2)大日本帝国憲法に関する次の1~4の文章の中から、誤りを含む文章を1つ選びなさい。

 1.伊藤博文は、明治十四年の政変後、憲法調査のためにヨーロッパに赴き、ベルリン大学のグナイスト、ウィーン大学のシュタインらからドイツ流の憲法理論を学んだ。

 2.政府の憲法草案は、ロエスレルらの助言にしたがって、交詢社案をたたき台にして伊藤博文、井上毅らが起草し、内閣の諮問機関である枢密院で審議された。
 3.帝国憲法は、天皇が定めて国民に与える欽定憲法だったが、千葉卓三郎らの五日市憲法草案や植木枝盛の東洋大日本国国憲按も立憲君主制をとるものだった。
 4.帝国憲法では、陸海軍の統帥権は、内閣からも独立して天皇に直属するものとされ、また各国務大臣は、議会にではなく天皇に対しでのみ責任を負うものとされた。」

(答:2 ※交詢社案をたたき台の部分が誤り)〉


2016早大・国際教養:「

問7 下線部e帝国憲法に関連する説明として誤っているものはどれか。1つ選べ。

 ア 欽定憲法であった。

 イ 行政府の権限の強い憲法であった。
 ウ オーストリア人顧問ロエスレルの助言を得た。
 エ 陸海軍の統帥権は天皇に直属し、内閣から独立していた。
 オ 帝国議会は、対等な権限をもつ貴族院と衆議院とからなっていた。

(答:ウ×ロエスレルはドイツ人)〉


〈2014明大・法(法律):「

 近代的国家体制の基礎となる憲法の制定もきわめて重要であった。1882(明治15)年、明治政府は、伊藤博文らをヨーロッパに関連して憲法調査にあたらせた。伊藤は、ドイツではべルリン大学の[ カ ]、オーストリアではウィーン大学の[   ]から、君主権の強いドイツ流の憲法を学び、翌年帰国して憲法の制定や国会開設の準備を進めた。憲法草案の作成は、国民にはいっさいはからずに極秘のうちに進められた。伊藤は、商法の起草にもかかわったロエスレルらの助言を得ながら、井上毅、伊東巳代治、金子堅太郎らとともに、憲法草案を作成した。この草案は、1888(明治21)年に設置された[ キ ]で審議され、(e)翌1889(明治22)年2月11日、大日本帝国憲法として発布された

問7 空欄[ カ ]に該当する人名を記しなさい。


問8 空欄[ キ ]に該当する語句を記しなさい。


問9 下線部(e)に関連して、1876(明治9)年に東京医学校に迎えられ その後医学生の養成にあたったドイツ人医学者べルツが著した『べルツの日記』においては、「二月十一日(東京)…残念ながらこの祝日は、忌まわしい出来事で気分をそがれてしまった-[ ク ]文相の暗殺である。」と書かれている。空欄[ ク ]に該当する人物の氏名を記しなさい。」


(答:問7グナイスト、問8枢密院、問9森有礼)〉


2013成城大学・経済:「

 国会解説を約束した政府は、1882年.伊藤博文をヨーロッパに派遣し憲法や諸制度について調査にあたらせた。伊藤は、君主権の強い[ 4 ]憲法を学ぴ、翌年帰国し、ただちに国会開設準備のための新しい国家制度の整備を行った。政府の憲法草案作成作業は、1886年末ころから国民に対して極秘のうちに進められ、伊藤博文を中心に[ 5 ]・伊東巳代治・金子堅太郎らが、政府顧問であるロエスレルの助言を得て起草にあたった。この草案は、1888年に新設された[ 6 ]で審議された後、1889年2月11日、発布された。これが大日本帝国憲法である。」

(答:4プロイセン、5井上毅、6枢密院 ※原問には80選択肢あり)〉


2013中大・法(国際企業関係法):「

 1884年、伊藤博文は[ 5 ]に制度取調局を設けた。1888年には、憲法と[ 6 ]の草案審議のために枢密院が設けられた。1889年の紀元節に大日本帝国憲法が発布された。」

(答:5宮中、6皇室典範)〉


2013慶大・法:「

(ウ)ドイツ型の立憲政治の導入を目指すことになった政府において、「岩倉具視憲法綱領」などを起草し、中心的な役割を果たした官僚は誰か。」

(答:井上毅 ※原問には選択肢が80あり)〉

2012法政大学・文経営人間環境:「
 もっとも、大日本帝国憲法は天皇が定め、国民にあたえる欽定憲法とされたが、実際には、4伊藤博文らの官僚が制定作業にあたったことは、当時においても関係者のよく知るところであった。したがって、伊藤らが関わり、伊藤の私著として刊行された、憲法の解説書ともいうべき『憲法義解』は、憲法の条文を解釈する上で重要視された。

問4 下線部4について、これに該当するもっとも適切な人物を以下のa~dのなかから1つ選べ。

 a吉野作造 b美濃部達吉
 c穂積八束 d伊東巳代治」

(答:d)〉

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