東海林直人のゴロテマ日本史

語呂合わせでテーマ史を記憶するので「ゴロテマ」です。YOUTUBEのゴロテマ、三省堂刊「ゴロネコ日本史」もヨロシク。

改進党(大正政変まで)の覚え方1◇B近現505

2017年06月12日 19時54分16秒 | 入試対策講座

□近現505.戦前の政党の系譜2(改進党系→大正政変まで、設立順)◇B

[ゴロ]改進信じりゃ/憲政ホントに/国民とともに


(立憲改進党・歩党+由党)(憲政党)(憲政本党)(立憲国民党


[句意]改進党を信じれば立憲政治が本当に国民と共になる、という「改進党の選挙スローガン」みたいな句。「信じ」から「進歩党+自由党」を、「憲政ホント」から「憲政党+憲政本党」の2つを再現するところは、練習をお願いします。一字遣いはゴロ句の短縮に欠かせませんので。


[ポイント]

1.立憲改進党は、進歩党自由党憲政党憲政本党立憲国民党と推移した。

[解説]

1.立憲改進党は、国会開設の時期が決まると、自由党に対抗して、1882(明治15)年に、明治14年の政変(1881)で下野した大隈重信を党首として、イギリス流議院内閣制を主張する政党として結成された。立志社・愛国社の流れをくむ自由党フランス流の急進的な自由主義をとなえ、主として地方農村を基盤としたのに対し、立憲改進党は都市の実業家知識人に支持された。

2.初期議会では自由党と協調して民力休養を唱え,予算の削減にあたるなど民党としての活動を行ってきたが、日清戦争後国権主義的立場に立ち、立憲革新党などの小政党を併せて、1896(明治29)年、進歩党となった。


3.明治31年(1898)、第6回衆議院議員総選挙に備えて藩閥政府に対抗するため、自由党進歩党が合同し、憲政党を結成、勝利して、日本最初の政党内閣(隈板(わいはん)内閣)を組織したが、総選挙直後に再分裂して、憲政党(旧自由党系)と憲政本党(旧進歩党)に分裂。


4.憲政本党(改進党系)は、12年続くが内紛により解党。立憲政友会が藩閥政府と妥協したことに反発した反政友会各派が合同し、1910年、立憲国民党が誕生。その後、政府と対立する「非改革派(中心は犬養毅)」と、政府との妥協を図る「改革派」が対立すなど内紛が絶えず、選挙でも振るわず、2年後解党。さらに、「立憲同志会(3年間)」、 「憲政会(11年間)」、「 立憲民政党(13年間)」と名前を変えて存続する。

2017立命館大・全学部2/4:「
 1898年、自由党と[ D ]党は合同して憲政党を組織した。そして同年6月には日本初の政党内閣となる第1次大隈重信内閣が誕生した。しかし、この内閣は閣内の対立が激しく、[ F ]文相の5)「共和演説」事件を機に分裂瓦解し、内閣はわずか4ヵ月の短命で終わった。
問e 下線部5)「共和演説」事件を機に分裂瓦解しに関連して、分裂により憲政党と憲政本党が結党されたが、憲政本党は、やがて1910年に対外硬派を支持基盤とした政党に改編されている。この政党の名前を答えよ。」

(答:D進歩、F尾崎行雄、問e立憲国民党)〉

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