アヴェ・マリア!
近代主義の教会の中への侵入の略史 (その11)
マルセル・ルフェーブル大司教の講演の記録
「信仰を守りなさい。あなたたちの信仰を捨てるよりもむしろ殉教者となりなさい。」
1982年 モントリオール(カナダ)にて(つづき)
私たちはこう言うことは出来ません。「ねぇ、いいですか、変わったとしても、それほど重大だというわけではないのです、私には信仰がちゃんと染み込んでいますから。私は大丈夫です。私が信仰を失う危険はありません」と。
新しいミサに行き、新しい秘蹟を受けるのに慣れてしまった人々は、少しずつ考え方を変えていると言うことに私たちは気が付いています。
数年後に、この新しいミサに行っていた人に、つまりこのエキュメニカルなミサに行っていた人に質問してみると、この人がエキュメニカルな精神を学んでしまっていることに気が付くことでしょう。つまり、この人は全ての宗教を同じレベルに置いて、同等に扱うことになっているでしょう。
彼に「プロテスタントの教えによって、仏教によって、イスラムによって人は救いを得ることが出来るのか?」と尋ねると彼はこう答えるでしょう。「もちろんですとも!全ての宗教はみな良いものです。」 ご覧下さい、彼はこうしてリベラルになってしまったのです、プロテスタントになってしまったのです、つまりカトリックではなくなってしまったのです。
ただ一つの宗教しかありません。真の宗教は二つはありません。もし私たちの主が天主であるなら、そして天主が一つの宗教、カトリック教を創立したのなら、そのほかの諸宗教というのはあり得ません。そんなことは不可能です。その他の宗教は偽りの宗教です。誤った宗教です。だからこそオッタヴィアーニ枢機卿は第2バチカン公会議の草案に『他宗教を黙認すること (de tolerantia relisiosa)』と言う題を付けたのです。私たちは誤謬が広がるのを防ぐことが出来ないときには、その誤謬を黙認するのです。しかし誤謬を真理と同等のレベルに置くことは出来ません。そうでもなければ宣教精神というものがもはや無くなってしまうでしょう。もしこれらの偽りの宗教らによっても救いを得ることが出来るのなら、何故あえて宣教に行くのでしょうか?宣教に行って何をするのでしょうか?「自分たちが信じている宗教をそのまま信じるように彼らをそっとしておきなさい。彼らはどっちにしてもみな救われるのですから。」と言わなければならなくなってしまいます。そんなことは出来ません。
教会はそれでは20世紀もの間一体何をしてきたのでしょうか?何故これらの多くの殉教者らがでたのでしょうか?何故彼らは全て宣教中に皆殺しにあったのでしょうか?宣教師たちは時間を無駄に使ったのでしょうか?彼らは自分の血潮と一生をむざむざと無駄にしたのでしょうか?私たちはそのように考えることを受け入れることは出来ません。
私たちはカトリックとしてとどまらなければなりません。エキュメニズム運動に滑り込むのは非常に危険です。もはやカトリックとは言えない宗教に行くのは非常に危険なことです。
私は皆さんが全て、私たちの主とカトリック教会の証人となることを、教皇様の証人、カトリックであると言うことの証人となることを熱烈に望みます。それはたとえ私たちが軽蔑され、マスコミに侮辱され、小教区で侮られ、いろいろな教会でバカにされたとしてもです。そんなことはどうでも良いのです。私たちはカトリック教会の証人であり、カトリック教会の本当の子供らであり、童貞聖母マリア様の本当の子供たちであるからです。
(講演終わり)
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「信仰を守りなさい。あなたたちの信仰を捨てるよりもむしろ殉教者となりなさい。」
1982年 モントリオール(カナダ)にて(つづき)
私たちはこう言うことは出来ません。「ねぇ、いいですか、変わったとしても、それほど重大だというわけではないのです、私には信仰がちゃんと染み込んでいますから。私は大丈夫です。私が信仰を失う危険はありません」と。
新しいミサに行き、新しい秘蹟を受けるのに慣れてしまった人々は、少しずつ考え方を変えていると言うことに私たちは気が付いています。
数年後に、この新しいミサに行っていた人に、つまりこのエキュメニカルなミサに行っていた人に質問してみると、この人がエキュメニカルな精神を学んでしまっていることに気が付くことでしょう。つまり、この人は全ての宗教を同じレベルに置いて、同等に扱うことになっているでしょう。
彼に「プロテスタントの教えによって、仏教によって、イスラムによって人は救いを得ることが出来るのか?」と尋ねると彼はこう答えるでしょう。「もちろんですとも!全ての宗教はみな良いものです。」 ご覧下さい、彼はこうしてリベラルになってしまったのです、プロテスタントになってしまったのです、つまりカトリックではなくなってしまったのです。
ただ一つの宗教しかありません。真の宗教は二つはありません。もし私たちの主が天主であるなら、そして天主が一つの宗教、カトリック教を創立したのなら、そのほかの諸宗教というのはあり得ません。そんなことは不可能です。その他の宗教は偽りの宗教です。誤った宗教です。だからこそオッタヴィアーニ枢機卿は第2バチカン公会議の草案に『他宗教を黙認すること (de tolerantia relisiosa)』と言う題を付けたのです。私たちは誤謬が広がるのを防ぐことが出来ないときには、その誤謬を黙認するのです。しかし誤謬を真理と同等のレベルに置くことは出来ません。そうでもなければ宣教精神というものがもはや無くなってしまうでしょう。もしこれらの偽りの宗教らによっても救いを得ることが出来るのなら、何故あえて宣教に行くのでしょうか?宣教に行って何をするのでしょうか?「自分たちが信じている宗教をそのまま信じるように彼らをそっとしておきなさい。彼らはどっちにしてもみな救われるのですから。」と言わなければならなくなってしまいます。そんなことは出来ません。
教会はそれでは20世紀もの間一体何をしてきたのでしょうか?何故これらの多くの殉教者らがでたのでしょうか?何故彼らは全て宣教中に皆殺しにあったのでしょうか?宣教師たちは時間を無駄に使ったのでしょうか?彼らは自分の血潮と一生をむざむざと無駄にしたのでしょうか?私たちはそのように考えることを受け入れることは出来ません。
私たちはカトリックとしてとどまらなければなりません。エキュメニズム運動に滑り込むのは非常に危険です。もはやカトリックとは言えない宗教に行くのは非常に危険なことです。
私は皆さんが全て、私たちの主とカトリック教会の証人となることを、教皇様の証人、カトリックであると言うことの証人となることを熱烈に望みます。それはたとえ私たちが軽蔑され、マスコミに侮辱され、小教区で侮られ、いろいろな教会でバカにされたとしてもです。そんなことはどうでも良いのです。私たちはカトリック教会の証人であり、カトリック教会の本当の子供らであり、童貞聖母マリア様の本当の子供たちであるからです。
(講演終わり)
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- 私たちはカトリックのローマに、聖伝の保護者である永遠のローマによりすがる(ルフェーブル大司教様のローマにおける1974年11月21日の宣言)
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Latvia: Lutheran clergy attend SSPX Ignatian Retreat
http://angelqueen.org/forum/viewtopic.php?t=19730
侍者2さん、
情報をありがとうございます。
"eleven Protestant clergymen and even the head of the Lutheran Protestant community of Latvia, the regional Archbishop of the Lutheran Diocese of Riga, participated."
記事によると、11名のプロテスタントの牧師、リトゥヴィアのルター派のリガ教区の「大司教」も参加したそうですね。
http://www.fsspx.info/news/news.php?show=4565
The Lutheran Pastors declared that they had asked a Traditionalist, because ecumenical meetings with official Catholic church representatives often consisted out of nice words, nice-talkers without any content and substance in their words.
Many said they had been given the impression, that Catholics these days are rather willing to imitate the Protestants.
In the meanwhile one of the Pastors said: "We are searching for Truth, for clarification about many ambiguities and contradictions within our own Protestant faith."
They wanted to learn the authentic doctrine of the Roman Catholic Church. But this doctrine would only be clearly preached today by traditionalist clergymen:
„These are not ecumenical-nice-talkers without a spine, but they clearly preach the authentic Catholic deposit of faith.“ – one of the Lutheran pastors said.
プロテスタントの牧師たちは真理を探していた、正真正銘のカトリックの教えを知りたかった。しかし、エキュメニズムに毒された人々からは、曖昧なことしか知らされなかった・・・。 聖伝の司祭からはじめて、本当のカトリックの教えを聞くことが出来た。
After the Ignatian Retreat Father Stehlin received the notification that already one of the participants had converted to the Roman Catholic Church.
The Lutheran Regional Archbishop of Riga, leader of the Lutheran community of entire Latvia, asked Father Stehlin to come back soon and preach his Ignatian retreats to a larger group of Latvian Catholic and Protestant faithful and Lutheran Pastors.
シュテーリン神父は、霊操後、一人は既にローマ・カトリックに改宗したと知らせを受けた。
全ラトヴィアのルターは共同体の指導者であるルター派のリガの「大司教」は、シュテーリン神父にすぐに戻ってきて、もっと多くのリトヴィアのカトリックとプロテスタントの信徒たちとルター派の牧師たちのグループに聖イグナチオの霊操を指導してくれるように頼んだ。
天主に感謝!
天主の御母聖マリアに感謝!
聖イグナチオに感謝!
そしてルフェーブル大司教様に感謝!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭) sac. cath. ind.
愛する兄弟姉妹の皆様、
この極めて希な記事については、次もご覧下さい。
http://www.fsspx.info/news/news.php?show=4565
Aus der Bruderschaft : : Protestantischer Bischof nimmt an Exerzitien der Priesterbruderschaft St. Pius X. teil.
また、次もご覧下さい。
http://www.kreuz.net/article.7197.html
Montag, 19. Mai 2008 09:34Das sind keine Ökumene-SchönrednerDie mit Rom im Streit liegende Priesterbruderschaft Sankt Pius X. hat Ende April in der lettischen Hauptstadt Riga einen spektakulären Exerzitienkurs durchgeführt. Unter den Teilnehmern: der örtliche lutherische Erzbischof.
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭) sac. cath. ind.