Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

聖と俗、キリスト教と政治

2008年03月30日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

 愛する兄弟の皆様、
 キリスト教といわゆる政治との関係はどうなっているのでしょうか。考察してみましょう。

 私たちの主イエズス・キリストは真の天主です。御昇天の前に言われました。「私には、天と地の全ての権能が授けられている。行って教えたことを教え、聖父と聖子と聖霊との聖名によって洗礼を授けよ、信じて洗礼を受けるなら、救われ、信じないなら、滅びる。」
 私たちの主は、使徒達を通じて、理性を有する全被造物に洗礼を授けることを命じたのでした。

 私たちの主イエズス・キリストが王であり私たちの上に支配権を持っていることを否定することは、私たちの主イエズス・キリストが天主であることを否定することです。

 私たちの主イエズス・キリストは、王として、聖と俗とに支配権を有しています。私たちの人生の目的は、永遠の命、無限の幸福である天国を得ることであり、この地上の生活はすべてそのためにあります。俗(王)は聖のためにあるのです。

 世俗の権威(王)は、私たちが聖なる生活を送ることができるように、間接的に助ける義務があります。

 教会は、直接的に天主に関することに関わります。それと同時に、罪に関して世俗に間接的に関わります。自然法について、天主の十戒について、婚姻について、教育について、などなど教える義務を受けたからです。

ミネアポリスにて
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2008-03-31 04:21:03
もう少し具体的にお示ししていただけませんか。
また日本のようにキリスト教が明らかに少数派である社会において教会はいかにあるべきかを
返信する
Unknown (富豪)
2008-04-01 23:59:33
具体例は自分で考えましょう。

PS 別の記事のコメントでもともと話題になっていた「政治」は俗権というより、宣教政策という意味でしょうけどね。
返信する
Unknown (Unknown)
2008-04-06 11:34:35
もうすこし具体的に教えてくださいとは書きましたが、具体例などお聞きしていません。
教会の「俗」に関する役割はとても重要なことだと思ったので神父様にお伺いしましたが、富豪さんには聞いていません。勝手に自分のコメントを飛躍させられ、おまけに見下されるようなコメントは非常に不愉快です。
返信する
日本のようにキリスト教が明らかに少数派である社会において教会はいかにあるべきか (Fr Thomas Onoda)
2008-04-14 17:40:09
アヴェ・マリア!

【質問】
もう少し具体的に、日本のようにキリスト教が明らかに少数派である社会において教会はいかにあるべきか。

【答え】
 私は、日本のようにキリスト教が少数派である社会においては、天主様の御助けにより、私たちの日常の義務の遂行により、私たちの聖化につとめる、愛する日本の兄弟姉妹たちのために祈る、天主に基づいた真の愛徳に努める、ということが一番大切だと思います。

 カトリック教会の指導者たちが、秘蹟を通し、聖伝のカトリックの教えを通し、私たちの霊魂の聖化を助け、励まし、応援し、またこの世の悪しき影響から遠ざかるように薦めるのがよろしいと思います。新しい教えではなく、聖伝の昔のままの教えを、新教ではなく旧教をそのまま続けるべきだ、と思います。

 その意味で、カトリック教会の指導者たちは、「9条」よりも「旧教」を守るように全力を尽くすべきだと思います。

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭) sac. cath. ind.


返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。