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21568、ピアニスト、中村紘子のパパ、佐藤栄作?紘子は栄作の最高の勲章!

2013年04月04日 15時36分17秒 | thinklive

*そのハナシを聞いて、佐藤栄作のキャリアを検索した、以下、そういえば、ボクは、佐藤栄作の伝記を読んで月光荘のハナシを読んだ記憶を思い出した、が、中村紘子の父親とは知らなかった、

中村紘子も山口県田布施村の出身と言うことになるわけだ!

*中村紘子は日本の音楽界を世界化したgreatの1人だとボクは思っているが、彼女のそれは才能であり、運命であって、栄作のノーベル賞よりははるかに実のあることで、国民の栄誉である、長島や松井の国民栄誉賞なんてのは,アベノミクスの1つに過ぎない、むしろ、中村紘子などの日本の音楽界の世界化に寄与した人に与える方がズット相応しい、とボクは思う、その面では、小沢征爾も相応しい一人であろう、

1943年(昭和18年)11月 - 運輸通信省自動車局長。

1944年(昭和19年)4月 - 大阪鉄道局長。

*1945/8/15、敗戦、降伏受諾

1946年(昭和21年)2月 - 運輸省鉄道総局長官。

1947年(昭和22年)2月 - 運輸次官。
1948年(昭和23年)
3月 - 運輸次官を依願免官。
4月 - 民主自由党山口県連合会支部長。
10月 - 第2次吉田内閣で官房長官に就任(~1949年2月)

戦犯容疑が晴れて巣鴨プリズンから釈放された岸は、その足で官房長官公邸に弟栄作をを訪ねてきた(1948年12月24日)。

 中村紘子のキャリア

 1944年、陸軍少佐野村典夫と曜子(旧姓中村)の長女として、疎開先の山梨県で誕生。ただし戸籍上は曜子の妹として入籍されている[1]。

母中村曜子は、印刷会社経営を経て、1967年以降、銀座の画廊「月光荘」の経営に参画し、ソ連美術を扱って成功を収めた。曜子の主宰する会員制サロン「サロン・ド・クレール」には小山五郎、千宗室、三島由紀夫、浅利慶太、相沢英之、中曽根康弘、石田博英、円城寺次郎、嘉門安雄、谷村裕、永野重雄といった政財界人や文化人が集っていた。なお月光荘は、世界救世教に、レオナルド・ダ・ヴィンチの贋作「『岩窟の聖母』の聖母の顔のための習作」を21億5000万円で売り込もうとした事件(月光荘事件)を機に没落し、1989年に経営破綻した(負債総額188億円)。

 1955年、第5回ショパン国際ピアノコンクールで、日本人として初入賞した田中希代子以来、10年ぶり二人目の入賞となった。(第5回1955年 [4] )

なお、中村は、受賞以降、今日に至るまで公式ホームページをはじめ様々な形で、プロフィールに『ショパン・コンクールで日本人初の入賞 』と自己紹介・自己PRをしているが、これは明らかな誤りである

*アーティストの自己顕示はアタリッマエであって、別に咎めるほどのことではない、
このコンクール入賞以後、国内・海外で演奏活動を続ける一方で、ショパン、チャイコフスキー、アルトゥール・ルービンシュタインはじめとする様々な国際コンクールの審査員を務める。日本では第3回浜松国際ピアノコンクールから審査委員長を務め(第1回は小林仁、第2回は安川加寿子)、コンクール創立10年たらずで国際ピアノコンクール連盟に加盟させるなど一級レベルの国際ピアノコンクールにまで持ち上げ、若いピアニストの育成にも力を入れている。



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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2016-04-20 20:26:15
中曽根氏が父親という説もありますねw

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