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教委改革案の50歩100歩、生徒、起立させ,君が代歌わせる、戦前にモドッタ?

2014年01月31日 09時04分55秒 | thinklive

*歌わない自由が教師にも、生徒にモナクナッタ、ボクにとって、これはヒトが牛や豚にヘンゲさせられる、と感じられる、ボクは旧制高校の卒業生で、18年9月に卒業、徴兵されたが、学校時代、式に欠席は自由であったし、5年生の中学時代でも,君が代、口パクは出来た,部活の暴力もそれほどヒドイものでは無かった、競争主義、勝利主義が今ほど支配的ではなかっように思う、五輪で金メダルが国のタメ、思い込んだら命がけ、それは一種のファッショであり、軍国主義への道であり、出世主義デショ?金メダルを神様扱いにしないでください、災害の復興役にしないでください?

*現在国会で審議中の,教委改革案の概要をBLOGOSが以下のように要約している、教育長の任命権を県知事が握るか,教育委員会に委任するか、この委任の程度をドウするか、2案が対立、教委に独立性をある程度は持たせないと、県知事が日本の教育を支配しかねない、それでは、教育が政治の道具になりかねない,と言う意見がココデハリベラル?公明党が後者、提案者の自民党や維新の会は前者、だと、新聞は解説する、ドッチもおんなじダネ,

*問題はこういう社会に変えようとした勢力を国民が投票によって支えてきた、と言う全経過である、

*石原が東京都知事になってからやりまくったことの1つが、教育委員の首のすげ替えで、愛国主義者と言われる右翼的知名人を登用した、将棋の米原?10段などは、俺が学校行って現場を視察、教員の魂を入れ替えてやる,みたいなことを息巻いている、と、読んだ記憶がある、

*いまでは学校の行事で君が代歌うのが制度になった、君が代の君って天皇,それジャー、戦前とちっともカワラナイ,まさか、友人の君じゃあるまい、だが、歌っている生徒たちは、君ナンテ誰でもナイ、と思っている!?

*好きで,あるいはシンネンで君が代歌っている人たちを非難するわけではモチロンナイ、強制サレテ、歌いたくもナイ歌を歌わねばならない制度,習慣をボクはケンオするだけである、それはヒトの自由を奪う!

現在、教育委員(非常勤)は首長が議会の同意を得て任命するのですが、任命後は首長からの独立が認められており、日常的には教育委員の中から選ばれた教育長(常勤)が教育委員会事務局を指揮監督して執行に当たります。ここでは狭い意味の教育委員会(教育委員の会議)が教育長の法律上の「上司」(教育行政の執行機関)になり、両者が一体で責任を果たすことになっています。教育委員は毎年1~2名ずつしか交代しませんから、首長が選挙で代わっても、しばらくは前の首長が選んだ委員が残るため、首長の交代で教育委員会の方針がすぐ大幅に変わることはありません。こうして制度上、教育行政の「政治的中立性、継続性・安定性」が保障されているわけです。

中教審の教育制度分科会では、新しい教育長は首長が直接任命するのだから首長を教育長の「上司」にすべきだとの意見と、今までどおり教育委員会を「上司」とすべきだとの意見が、最後まで対立しました。これがそれぞれ「制度改革案」「別案」になったわけです。あえて別案を載せたことについて小川正人分科会長(放送大学教授)は、法案作成に生かしてもらうためのメッセージだと説明していました。

これまでも首長は、教育委員の任命や教育予算の編成といった間接的な方法で教育行政に携わってきました。中教審答申では首長は教育長に特別な場合を除いて指示を行わないとしていますが、「上司」となった首長が「部下」である教育長に実質的な権限を強めはしないかというのが別案を支持していた中教審委員の心配です。

現在でも首長は教育行政に対して「相当なことができる」(分科会臨時委員の門川大作京都市長=元京都市教育長)といいます。権限が強まることで独断専行する首長が出かねない事態にどれだけ歯止めを掛け、教育行政の政治的中立性や継続性・安定性を確保できるかが法案作成の焦点になります。有権者にも、教育を大事にする首長を選ぶ目がいっそう求められるでしょう。


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