*娘から久しぶりにcall、愛についてのボクのブログに意見を述べてきた、とにかく、ボクも掲載後に気にはなっていた、でも、意見をきくことができてボクは、satisfactionである、愛人と、娘は、いったが、通常の世間語の愛人と取られては困るのだ、愛する人と愛人はボクにとってはチョット違う、娘は、エロス(身体的欲求)とアガペ(精神的欲求)の論議にすればイイ、という、
*アガペー(ギリシア語: αγάπη)は、キリスト教における神学概念で、神の人間に対する「愛」を表す。 神は無限の愛(アガペー)において人間を愛しているのであり、神が人間を愛することで、神は何かの利益を得る訳ではないので、「無償の愛」とされる。 また、それは不変の愛なので、旧約聖書には、神の「不朽の愛」としてでてくる。
*ボクにとって、愛は、ボクの中で生まれ、溢れる力を他者に与えることであり、それを受け入れてくれるパートナーへの好意でもある、かってはそれは殆ど欲望に近いものであったが、いまは違う、だから、愛はボクのなかにある不変の感覚であるが、対象のステージは1人という感覚ではない、
ボクは、トーマスマンの小説の”ベニスに死す”に近い愛を考えていた、あの中にプラトンの、愛論があった、
エロスは次のようにして生まれました。美の女神アフロディテ誕生の祝宴の夜、それに列席していたポロス(策略、豊富)が神酒に酔いつぶれて眠っているところへ、ペニア(欠乏、困窮)が添い寝して、エロスを身ごもった。このように、エロスは、美の女神誕生の祝宴のときに生を受けたので、生まれつき美しいものを恋するものなのです。エロスは、ポロスとペニアの子どもですから、第一に、母ペニアの性を受け継いで、いつも貧しく困窮しており、他方、父ポロスの性を受け継いで、美しいもの善きものを策略によって狙う者、という定めにあります。より正確にいえば、エロスは、いつも困窮と豊富の中間にあって、美しいもの善いものを求めているということになる、ブログで検索したプラトンの愛論によれば、ボクはエロスである、ことになる、美をもとめるコンプレックス、とボクは言いたい、
Rindaがボクに、”やのさんとわたしは同じ日に生まれたのよ”と、告げてから10年が経った、生まれた場所は同じ子宮じゃないの、この場合の子宮はボクにとってはCOSMOSである、のだが、10年掛かって、cosmosがbodysizeに変わってきた、降ってきた愛?それは、ボクの外にある別の世界で、どうしようもない、最初に彼女は、”最初にうまれたわたしのこどもを、やのさんの膝の上に置いてあげる”、と、いった、ボクは今頃になって、そのコトバを繰り返しつぶやく、”わたしのこども”って、わたしの愛!今になっって、このことばは生々しくコダマする、きみの大切な10年を失わせた?かも知れない、”やのさんってよくおぼえてるのね、”、おぼえているのではない、その時が、よみがへってくるんだよ、時は過ぎゆく、だが、なくなることはない、ボクにとってはそれが時間で、時間は老いない、no ageだ、24時間を1万倍しても24万時間、ボクたちの細胞は6兆個だ、これがボクの愛の今の形だ、
*彼女の後ろ姿をハジメテ撮った、髪はボクがブラッシングした、”かかる美しさがどこにあるか”、と、ボクは自分に尋ねる、踊りで訓練された、2桁の年数がまったく衰えずに彼女の背後に生きている感じだ、膝に置かれた手の形にもそれは見える、手は舞っている、舞台の空間にかざされているようである、
*もう12時である、彼女との59年間を夢見ながら眠るしかない、永遠に近い時間を夢見る?
*渋谷、Giant clossing、fotはexcitingだ、