韓国人向け別荘を建設 壱岐対馬国定公園に計画

2006年05月19日 | 支那朝鮮関連
韓国人向け別荘を建設 壱岐対馬国定公園に計画

 韓国との交流が盛んな対馬市で、民間会社による韓国人向け別荘(三十三戸)の建設計画が進んでいる。過疎化からの脱却を目指す同市の交流人口拡大策として市有地を提供する計画だが、開発区域が壱岐対馬国定公園内にあり、市議会からは「寝耳に水の話」「自然破壊だ」などと反発の声が上がっている。

 対馬市は昨年十月、同市美津島町の不動産会社「つしま」と、別荘地建設に向け開発許可申請手続きを認める協定書を締結。同社は今年一月、県に開発計画の事前審査申出書を提出した。

 申出書によると、開発区域は美津島町鶏知の浅茅湾に突き出た二つの半島約十八万九千平方メートル。開発費は二億八千八百四十万円。工期は二〇〇七年十月?〇八年十月。

 開発区域は、一九九三年に旧美津島町が策定した対馬空港周辺開発基本計画の対象地区の一部で、日韓交流拠点として民間による別荘開発などが予定されていた。

 市側は、今月九日の全員協議会で協定書について初めて報告。「開発が妥当かを判断するため、計画案を提出してもらった段階。計画への同意や土地の売却は未定」と説明。松村市長も「協定締結は執行権の範囲内。対馬では雇用の場がなく空き家が増え、過疎化が深刻になっている」と計画に理解を求めた。

 これに対し、市議会からは「無断で協定が結ばれた」「業者の選定法に問題はないか」「浅茅湾は対馬を代表する景観。自然を壊さないでほしい」などとする反対の声が相次いだ。賛成意見もあった。

 開発区域は、自然公園法などで開発が厳しく制限されている。県の事前審査で開発が可能と判断されれば、市や漁業権者、養殖漁業者らの同意を得て、県への正式な許可申請手続きに入る。

 取材に対し、開発を担当する「つしま」の西山正晴取締役は「対馬は韓国で知名度が高い。将来的に二十?三十万人の韓国人観光客を呼び込んで対馬を活性化させたい」と話した。

 対馬を訪れる韓国人観光客は年々増加しており、昨年は市の人口とほぼ同じ約四万人が来訪。登山や釣り、キャンプなど手軽なリゾート地として親しまれている。

長崎新聞:過去のニュース
http://www.nagasaki-np.co.jp/news/kako/200605/18.html#02


週刊新潮5月18日号 「特集」竹島の次は「対馬」か!
「明日は韓国領土」の危機が進行中
[1] [2] [3]



韓国人観光客がどんどん来る
       ↓
密漁やマナーの悪い韓国人のせいで漁業は不振、日本人客来なくなる←今この辺
       ↓
旅館や商店、漁業がつぶれ、住民の多くが島を去る。
       ↓
韓国人、政府ぐるみで土地を買いあさる。
       ↓
別荘や家やらを建てて半島から住民を呼ぶ
       ↓
居座った韓国人「参政権よこせ」
       ↓
住民の大半が韓国人になり、自治権を韓国人に奪われる
       ↓
残った住民も居心地悪くなり出て行く
       ↓
実質韓国領になり、オワタ\(^o^)/


代表取締役挨拶~有限会社つしま~
http://www2h.biglobe.ne.jp/~kimagure/hello.htm






[独島] 対馬島を問題化しよう! (ヤフー コリアニュース)・・・既成事実を作ってしまえば、どんな嘘でも正当化、か。
http://www.asyura2.com/0601/asia5/msg/116.html

[独島] 対馬島を問題化しよう!

「壬辰倭乱(文祿の役)当時、豊臣秀吉の部下が描いた韓国地図(八道総図)を見ると、対馬島は厳格に朝鮮の領土だと表記されています。 日本人自らも対馬島を韓国領土だと認めていたわけです。」 韓国と日本の間に置かれた孤独な島、対馬島を取り戻すための学界の主張が相次いでいる。 一部の市民団体でも「対馬島取り戻し」のために本格的に乗り出したという態勢だ。

最近、圓光大学 史学科のナ・ジョンウ教授(57)は、対馬島が韓国領土であったという歴史的史料を提示して「対馬島回復論」を繰り広げている。 思い出したように炸裂する韓日の領土紛争で有利な立場を取りたければ、今のように守勢的立場ばかり取るべきではなく、もう少し積極的に我々の権利を主張すべきだという趣旨だ。

ナ教授が自身の論理を後押しする根拠として最も前面に押し出しているのは1085年の高麗史の記録。 彼は「当時の〈高麗史〉を見ると『対馬島の勾当官』という呼称が出てくるが、勾当官あるいは勾当使とは辺方や海上の要衝地に送られた高麗時代の官職の名前」だと説明した。

歴史的にも領有権の根拠が多く、1368年の〈高麗史〉の「対馬島の万戸が特産物を捧げた」という場面で登場する「万戸」という呼称もやはり高麗時代の官
職の名前だったとナ教授は付け加えた。 彼は対馬島が我々の領土であったという根拠を〈高麗史〉だけでなく〈朝鮮王朝実録〉にも求めている。

「朝鮮初期(1420年)の対馬島征伐以後に朝鮮から対馬島主に送った教旨を見ると、『対馬島は慶尚道に隷属したので全ての報告や問い合わせは本道の観察使に上げるようにしろ』という場面が出てきます。 以後、朝鮮から敬差使・体察使・宣諭使など、辺方に送る官吏が対馬島に派遣されました。」 このように対馬島が我々の領土であったという歴史的根拠が多いのに、学界で研究を十分にしていないというのがナ教授の不満だ。 彼は「日本はいち早く対馬島を研究して自分たちの論理を開発したが、我々はせいぜい独島問題が大きくなったときに単発的に問題提起する水準」だと指摘した後、「今からでも対馬島の歴史・言語・風習・自然等に関する体系的で総合的な研究が必要だ」と述べた。

「独島守り」で高い人気を得た「独島有人島化国民運動本部」のファン・ベッキョン氏(57)は、100年後に対馬島全域にムクゲを花咲かせるという目標に向かって走っている。 ファン氏は独島問題が再び大きくなった5月4日にも静かに対馬島を訪問した。 対馬島の「韓国展望台」にムクゲの木を植えるためだった。

「2年前から対馬島のあちこちにムクゲの種を蒔いてきましたが、今回は直接約30株の木を植えてきました。 来たる7月4日に開かれる予定の『対馬島国境マラソン大会』の直前にも再び『ムクゲ植え作戦』を繰り広げる予定です。」 学界の対馬島研究が『対馬島回復』の理論的土台を提供する次元だとすれば、ファン氏の「ムクゲ植え作戦」は多少無茶だが、もう少し実践的な方法であるわけだ。

チェ・ソンジン記者 csj@kyunghyang.com

ヤフー! コリア ニュース
http://members.at.infoseek.co.jp/koreawatcher/docs/2004051417174837442.htm


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