書店に「方法」を探しに行く、買いに行く

2017年02月22日 | 日記
 休日の、
 出かけるという暇つぶしの相手は
 書店であることが
 多い

 コミックの棚を
 一度も振り向くことなく
 自己啓発やら
 宗教やらの棚へ行っては

 真理とか
 真実とか
 法則とか
 奇跡とか
 そういったものを
 何とか
 自分のものにしようとして

 探したり
 買ったり
 する時がありました

 今でも
 度合いは減ったにせよ
 嗜好は変わらないので
 抽象的な世界
 目に見えない力、そういうものに
 惹かれがちです

 *****

 んで、
 手に取ったいくつかの本を
 もう一度
 見つめ直すと

 その内容は
 幻想に変化を起こすための法則が
 書かれていて

 「そう言えば俺は、実相さんなんだっけ」
 と
 思い出すと

 もとあった場所に
 本を戻すのでした

 *****

 幻想さんが自分だと信じている時、
 そりゃ誰だって
 幻想を磨きます

 それが価値になるんだもの、
 当たり前のこと

 人より努力して
 資質を備えていく

 まことに頭が下がる姿勢です

 だからこそ
 忘れないでいたいのは

 そういう努力を
 しようが
 しまいが
 実相さんであることの
 不滅の価値
 神に保障された価値みたいなものは
 永遠に安全で
 不動だと
 いうこと

 実相さんであることに
 変わりはないけれど
 今は、幻想さんを磨くのが楽しいからやっている

 こういう具合に
 なりたいものです

 *****

 怒りが
 湧いてくる瞬間
 幽閉してしまったがゆえに
 私も幻想さんへと幽閉されていて

 ここで何をどう変化させても
 何も起こっていないことになります

 赦しを選ぶ
 そういう時こそ
 聖霊を呼ぶ

 分かっちゃいるけど
 難しい時もありますね

 特に
 毎日毎日
 同じような苛立ちに
 ぶつかっている時など

 聖霊は機能していないのではないかと
 疑いたくもなります

 けれど
 聖霊はミスしない

 ちゃんと
 赦しを選べば
 形は同じでも
 べつの罪悪感のパターンに
 めぐり合わせてくれているはず

 私の選択は
 聖霊

 ただ一つなのだから
 するか、しないかと
 シンプル
 

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見失うことはできても、失うことはできない実相さん

2017年02月18日 | 日記
 幻想さんは
 実相さんの
 敵ではありませんが

 敵のように
 ふるまっているように
 見えます

 幻想さんは
 実相さんと違って
 存在していないのに

 実相さんを押し退けて
 存在しているように
 見えます

 見えているから
 応じなければ
 気が済まず

 見えているから
 それを信じないと
 いけない気になり

 幻想さんは
 そうして
 実相さん排除を成功させ、
 我こそが
 真実なりと
 殿堂入りのような
 強さで
 
 あらゆる形で
 展開します

 *****

 幻想さんについて
 研究すれば
 出口も
 答えもないでしょう

 それは
 果てしない変化であり
 果てしない分離

 変化も分離も
 一度も起きていませんが
 ここで
 そんなことを
 誰にふれてみても
 耳を貸してくれる人など
 そうは
 いません

 静かに胸の中で
 幻想さんと実相さん
 どちらの
 存在を信じるか

 それが
 自分が何者であるかを
 思い出すための
 選択です

 *****

 何をしていても
 実相さんを
 傍らに思い出すと
 安らかなもんです
 とは
 なかなか
 言い難く

 あんなに聖霊を呼んだのに
 何も好転しない、とは
 考えがちです

 赦しをはじめたら
 病気になった、という人

 それは
 聖霊が時間を飛び越えて
 あなたが立ち向かえる幻想まで
 ワープした証です

 赦しをはじめたら
 嫌な気分を迎えるはめになった、という人

 聖霊は
 時間を崩壊させて
 しかるべき場所や状況へ
 引越しさせてくれます

 その時こそ
 さらに聖霊に頼ると良いわけで、
 ここが意欲の出しどころ

 *****

 実相さんが
 遠いなら

 代わりに
 すべてを
 愛を呼ぶ声と受け取ります

 幸福の科学への出家を騒がれている
 清水富美加さんの
 行動が何を意味しているか

 愛を求めています

 ここに赦しの必要性が
 潜んでおり、

 彼女を幽閉することなく
 実相さんを思い出すべく
 聖霊を呼ぶ

 私ができるのは
 これだけです

 *****

 上司との
 見えぬ対立から
 私の同僚や先輩が
 何人か辞めましたが

 とうとう
 その上司のもとにも
 異動の話が
 来ているそうで

 「どうせ動くんなら遠くへ行く」と
 息巻いていました

 彼の強がりと
 すぐに分かりましたし、
 実際に
 異動が現実になったとして
 果たして
 すんなりと応じるのかいな?と
 訝しく思う私がいます

 しかし
 それも
 愛を求める声

 私が幽閉してどうする、と
 実相さんを思い出します

 聖霊を呼ぶのでした
 

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そして、松本伊代が泣く。

2017年02月11日 | 日記
 線路内に
 無断で入ったとして
 書類送検、と
 こんな解釈で
 ネット記事を
 斜め読み

 なんとなく
 筆が乗った感じなので
 続けて更新します

 *****

 更新の際
 「投稿」のボタンが
 「投影」に見えました

 *****

 幻想を幻想足らしめるのは
 幽閉による、と
 私は現時点では
 思います

 松本伊代、いくつになっても
 「ちゃん」付けて
 呼ばれ親しまれる
 稀有な存在

 この幽閉が土台にあって

 世間知らずなのか
 線路に入っていいわけないだろ
 早見優も然り
 アイドルはやっぱりバカが多いな

 っぽい意見がきっと
 出たのでしょうよ、
 今のは私の創作ですけれど笑

 幽閉すれば
 幽閉される

 認識の中での話ですけどね

 *****

 これがまた
 不思議なもので
 もしも
 伊代ちゃんが
 世界を赦していたら
 彼女は
 泣いていたとしても
 安らかの極みに
 います

 傍から見たのじゃ
 分かりませんけれど

 伊代ちゃんが
 自分と他人を分けることなく
 実相さんだと
 思い出していて

 咎めのマイクを
 口元に差し出されて
 確かに罪を思って
 謝罪はしているけれど
 行動や
 言動が
 赦しに重要ではないわけだから
 聖霊を呼んで
 これが虚偽だと気づいていて
 実相さんだと
 認識を取り戻しているなら
 彼女はレッスンを
 超えているわけです

 これも想像ですけれど笑

 *****

 悪口を言いながら
 だから
 赦しは可能かもしれません(持論、当てにしないでください笑)

 悪口では
 何も解決しないと分かっていれば
 
 *****

 悪口を言いながら
 その内容が虚偽だと
 毎度毎度
 思い出す

 虚偽を信じない限り
 悪口なんて
 出てこないよねと
 毎度毎度
 思い出す

 悪口が罪なのではなく
 罪があると信じて、悪口が出ているのが問題です

 罪は存在しませんから

 それに気づいていながら
 悪口を言っている瞬間があるなら
 平安でしょう

 歌を歌っているのと同じですし
 セリフを言っているのと同じ

 気持ちは入るかもしれませんが
 真実ではないと
 分かっているわけですからね

 *****

 少々、乱暴な
 持論でした
 謝罪します笑

 *****

 人は自分を知るために
 誰かを探します

 この人と自分と
 比べたり計ったりして
 立ち位置を決めたりします

 それはそれでけっこうなこと

 分離はしてていいし、
 バラバラなものをつなげなくてもいい

 実相さんとしては
 一度たりとも分離はなく
 我々は
 神による永遠の平安に
 留まっていると
 分かっているなら

 世界は敵ではありません

 *****

 最終的には
 死んでもいいと
 思えるのかもしれません

 死が虚偽なら
 恐れる必要はないですからね

 そして
 死は虚偽です

 *****

 松本伊代は泣きましたが
 実相さんとしては
 おそらく安らいでいることでしょう

 私は
 彼女を見て
 自分もまた実相さんだと
 思い出します

 通り過ぎる者であれ

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誰かを変えたくなるのは、自分を変えたくないからだ。

2017年02月11日 | 日記
 カチン、とか
 イラッ、は
 投影したものに
 呑まれた合図でしょう

 投影しても
 呑まれずにいれば
 恐れずに
 いられるかもしれません

 「違い」を認めるのは
 至難の業です

 だから
 少し後退して
 「違っているんだな」と
 認めたいところです

 *****

 相手を幽閉するなら
 自分も幽閉します

 どちらも
 実相さんから
 幻想さんになってしまう瞬間です

 毎日
 このような瞬間に
 聖霊を呼びます

 彼を彼に閉じ込めて
 私を私に閉じ込めて
 分離という舞台を
 演じたいのか、と
 疑問に思うからこそです

 分離は
 起こっているように見える
 起こっていないもの

 起こっているように見える
 起こっていないもの、なんです

 だから
 「起こっているように見える」こと自体は
 問題がないわけです

 他人と
 自分との違いは見えてしまうけれど
 存在しないんだと
 思い出す

 これだけで
 いいのです

 *****

 これだけで
 いいのに
 これが難しい

 笑っちゃいますが
 毎度
 そこが躓く段差のようです

 *****

 見えているものは
 虚偽なのだから
 それが切実な問題に見えたとしても
 問題ではありません

 しかし
 問題なんだと受け取っているのなら
 それを否定する必要もありません
 対応すればいいでしょう
 ただし
 それは確実に投影です

 赦しの実践を続けていくと
 前回は問題に見えた、ほとんど同じケースが
 問題に見えなくなることが
 あります

 赦しの実践とは
 問題に見えるものに接する中で
 「本当の問題は、これが問題だと感じていることだ」と
 気づくことです

 なぜなら
 私は実相さん
 問題があることが問題です笑
 
 くり返しますが
 問題に見えるものが問題なのではなくて
 それを問題と見ることから問題が生まれます

 なぜなら私は実相さん

 その認識を
 忘れないように注意することです

 

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どの地獄も虚偽

2017年02月09日 | 日記
 「どの地獄も虚偽。」

 今日、ふと浮かんだ
 言葉です

 補足は要らないでしょう

 *****

 特定の幻想を
 望んでいる時、
 私は
 私の知っている自分へ
 幽閉しています

 実相を
 忘れている時
 幽閉は
 実行中です

 一度
 幽閉が始まれば
 実相を思い出すまで
 それを信じることに
 費やされます

 他人について
 あーでもなく、こーでもなく

 実相を忘れていると
 幻想を評価しています

 *****

 18歳で
 突然の病死をした
 あの女の子が
 幽閉されているわけですが

 彼女は
 実相さんなので
 今も健在です

 海老蔵の奥さんも
 進行性の癌に
 余命いくばくもないと
 幽閉されているわけですが

 彼女は実相さんなので
 病気は不可能だし
 死ぬこともありません

 どんなに
 悲惨な状況も
 それが虚偽だと
 思い出すこと

 私が
 やるべきことは
 聖霊を呼んで
 その見方を忘れないこと

 *****

 誰も彼も実相さんで
 同じひとつだと
 思い出す

 ここでは
 分離しかありませんし
 分断も生まれますが
 それも問題ではありません

 トランプ大統領が
 入国拒否の令を出して
 それを機に
 分離が一つ溝を深くして見えても
 問題ではないのです

 実相さんは
 変化がないわけですからね

 分離してていいのです
 そこに問題があるわけじゃありません

 *****

 未来を案じる必要もありません
 占いを気にする必要もありません

 実相さんには
 無影響

 ただ、
 占いを見て
 元気が保てるなら
 続ければいいでしょう

 でも
 平安がやって来るのは
 自分が実相さんだと
 分かっている時です

 この時こそ
 幸せなのです

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誰でもいいから赦しなさい

2017年02月08日 | 日記
 タイトルが
 命令調で
 不愉快な印象かもしれませんね

 おそらく
 私に告げられていることだろうと
 思います

 *****

 赦しが何なのかを
 言葉できれいに言えても
 一つの実践に
 敵うものではありません

 ただ、
 赦しを訊かれて
 答えるならば

 誰を見ても
 神の子と見る

 だし、

 誰を見ても
 実相さんと見る

 だし、

 罪を信じないこと

 だし、

 聖霊を呼ぶこと

 でしょうか

 *****

 正しさが
 武器になることを
 私達は
 暮らしの中で
 よく知っていて

 居酒屋で
 隣の席から
 誰か上司に対する
 批判が聞こえたかと思えば

 そう言えば
 我々の席でさえ
 悪口が
 酒の肴となっていることは
 多々あることでしょう

 正しさは
 武器です

 正しさは
 持つことを社会が許している
 武器です

 だから厄介です

 持つなとは
 言えないから

 その武器を持つ代わりに
 聖霊を呼ぶ

 これがいつもできたなら
 最高です

 *****

 個性を
 尊んでくれないと
 私は
 不機嫌になります

 これと同じように
 その人の、その人らしさを尊んであげないと
 関係の穏やかさは
 崩れるでしょう

 長所も、短所も
 受け手が決めることで

 発信者が発信した段階では
 どんなに罪に見えても
 短所が罪にはなりません

 私の職場に
 ポンコツな後輩がいますが

 この彼を
 ポンコツを呼ぶのは
 彼自身よりは
 その周りの人間です

 反射しあっているのですね

 *****

 目が耳が手が足が舌が覚えていることを基に
 彼を実相さんと判断することは不可能です

 個性と実相さんは
 無影響で無関係です

 誰でも実相さんなので
 誰でもいいから赦せばいいのです

 実相さんでない人は
 いません

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神はオーディションも総選挙もしない

2017年02月03日 | 日記
 これから
 神の子になる人がいたら
 言ってあげたいですね

 「あら、遅いわね」

 *****

 っていうのは
 冗談ですが

 実相さんになるための
 オーディションはなく
 総選挙もありません

 人々は皆
 実相さんであり
 それは不変のもの

 形態として
 優劣、それが個人差となって
 収入の差や
 幸福度の差など
 見えはしますが
 どれも虚偽

 怒りも
 哀しみも
 傷も
 痛みも
 病も
 殺害も
 死も
 敗北も
 不可能なのでありました

 怒りが可能なのは
 哀しみが可能なのは
 幻想の中だけです
 
 分離の継続のために
 そのような展開、
 夢を見るのでした

 我々は
 どんなに違って見えても
 同じ実相さんです

 *****

 頭で分かっていても
 世間はそのような観点で動いていませんから
 どうしても
 比較され
 対抗意識なども捨てきれず
 劣等感や
 嫉妬など
 数え上げればキリが無いほどの
 火種でいっぱいです

 罵られた瞬間
 実相さんであることをすっかり忘れて
 罵られるサイズの自己へと
 定義を変えてしまうのですね

 注意や、叱責でも同じ

 咎めの言葉を受けるに値するサイズにまで
 自己を歪めてしまうのです

 本当のサイズは
 実相さんという無限

 ここへ戻るために
 聖霊を呼んで
 見方を委ねます

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その人も、わたしと同じ、実相さん。

2017年01月31日 | 日記
  その人が/どんな人でも/実相さん
 その人が/どこの誰でも/実相さん

 *****

 形態として
 繋がり合うことは求められていないと
 言います

 聖霊に代わってもらって
 我々は
 離れた他人同士ではなく
 実相さんとして
 ひとつなのだと
 見てもらうことが
 肝心要なのでしょう

 その人も
 わたしと同じ
 実相さん
 ということで

 *****

 顔が汚れているのに
 鏡を磨くようなことを
 続けている
 私です

 サングラスをかけていながら
 どこもかしこも暗いと
 思っているような
 私です

 *****

 顔が汚れていても
 鏡が汚れていても
 どちらも真実ではありません

 実相さんとは
 無関係なこと

 サングラスをしていても
 世の中が暗いとしても
 どちらも真実ではありません

 実相さんとは
 無関係なこと

 こういうことの
 後ろ盾は
 聖霊のみです

 頼る先は聖霊のみ
 その他は
 偶像でしょう

 *****

 「分離を強化しない」というテーマです
 
 離れていない同士
 別々ではない同士が
 自分の個別性を自認し
 相手の個別性を認識している世界で
 それは誤解なんだと
 理解したいわけです

 考えが間逆の人を
 認めるのは難しいことです

 これを受け入れることが
 器の大きさだと言う
 見方もあります

 私は対立しそうな人に出会うと
 たいてい
 批判します

 相手が間違っていると思えてしまう以上、
 気持ちを吐き出さなくては
 ストレスですから

 しかし
 平行して
 聖霊を呼んで

 彼が実相さんだと忘れないよう
 そばにいて助けてほしいと
 願います

 依然として
 考えが間逆で
 ちっとも好きになれない相手について
 それでも少しずつ
 批判する気持ちが
 減るのが分かります

 「だって実相さんだし」
 という
 ツッコミ入る感じです

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「実相さん」と「幻想さん」

2017年01月09日 | 日記
 私は
 「実相さん」です

 そういうふうに
 名乗りませんが
 「実相さん」です

 一方、
 あなたも
 「実相さん」です

 おそらく
 そういうふうに
 名乗らないでしょうけれど
 「実相さん」です

 *****

 二つの高いビルが
 道を挟んで
 建っています

 あまりに高いビルなので
 下から見上げると
 上層階は雲の中

 見えません

 だから一階のテナントで働く私は
 二つのビルの
 正式な形を知りませんでした

 ある日、
 向かいのビルの一階で働く人と
 ケンカしました

 自分のビルの方が
 背が高いと言うのです

 私は雲の中にある
 ビルのてっぺんまで行ったのかと
 その人に問いましたが
 行ってないと言います

 行ってないなら
 分からないはずなのに
 とにかく自分のビルの方が
 背が高いというのです

 対立しました

 そんな時
 社長が来ました
 ビルのオーナーです

 社長に私は
 訊ねます

 「向こうのビルよりこっちのビルの方が高いですよね?」

 「向こうのビル?」

 「はい、向こうのビルです。こっちのビルと比べてどちらが高いんですか?」

 「口で教えるより実際に上った方がいいだろう、ついて来なさい」

 私とその人は
 社長に付いて
 エレベーターに乗りました

 その人は
 自分のビルこそ高いのだと思っています
 なぜなら
 社長がそれを肯定も否定もしなかったからです

 私はだんだん
 不安になってきました

 雲の中、そして突き抜けたところで
 結果が分かってしまうからです

 チーンと音がして
 ドアが開きます

 フロアに出ました

 「ここが最上階だ」
 社長が言います

 「ついておいで」
 長い廊下を、私とその人は付いて行きました

 しばらく歩くと
 エレベーターのフロアに出ました
 それに乗ります

 社長はなぜか
 1階のボタンを押して下がり始めました

 「あの、社長、最上階は分かったんですが、結局どっちが高いんですか」

 「1階に着いたら分かるよ」
 そして1階に着きました

 ドアを出ると
 そこは
 向こうのビルの1階でした

 *****

 「実相さん」であるかどうかの
 条件は一切ありません

 どんな人も
 「実相さん」です

 忘れていようと
 信じていなくても
 誰でも「実相さん」です

 聖霊を呼んでも呼ばなくても
 赦しを実践してもしなくても
 誰でも「実相さん」です

 *****

 ただ
 一点、誤解されやすいのは
 「実相さん」は
 姿、形として
 見えません

 ちょうど
 雲の中のビルの頂上のように
 見えません

 見えないから
 忘れられてしまいやすく
 信じるのも難しいのです

 一方
 誰にでも受け入れられて
 疑われもしないのが
 「幻想さん」です

 ちょうど
 雲の下のビルのように
 道の向こうとこっちで
 他人の顔をして
 存在しているのが
 「幻想さん」です

 *****

 社長は
 二つのビルが二つではないと知っているので
 私とその人の対立が理解できませんでした

 私とその人は
 まさか二つのビルが
 雲の上で繋がっていたとは知りませんでした
 一つのビルだったのでした

 *****

 人は自分を
 「幻想さん」だと信じている時
 「実相さん」を見失います

 べつに見失っても
 まったく問題ではないし
 「実相さん」であることに変わりはないけれど
 「幻想さん」だと信じれば信じるほど
 「実相さん」は忘れ去られ、思い出されません

 赦しとは
 「実相さん」を思い出すことです
 単に、思い出すこと

 そして
 同時に「幻想さん」を
 問題ではないと理解することです

 *****

 外国人の元カレは
 日本人の元カノを殺害した可能性があるという報道があります

 ふたりは
 互いに「実相さん」なので
 殺し、殺されることは不可能だし
 死も不可能です

 しかし
 「幻想さん」だと信じてしまえば
 残酷な罪という問題が存在します

 *****
 
 新成人が成人式で暴れるという恒例行事があります
 
 彼らは「実相さん」なので
 暴れたり、迷惑をかけたり、逮捕されることは不可能です
 
 しかし
 彼らを「幻想さん」と見てしまえば
 悪いのは彼ら、幼稚なのも彼ら、成人式が台無しと
 問題が生まれます

 *****

 自分が「実相さん」だと分かっていると
 他人が「幻想さん」と信じていることが問題に映りません

 彼の問題は
 彼が彼自身を「実相さん」ではなく「幻想さん」と信じてしまった
 その結果だけです

 そして
 彼らを「幻想さん」から「実相さん」だと見直すと
 愛が延長されます

 もともと「実相さん」だった彼らを「実相さんだね」と
 見つめただけのことですが
 愛が延長されます

 この思い出しが、愛の延長でしょう

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幻想を信じての喜怒哀楽、実相だけを信じての幸福

2017年01月02日 | 日記
 その人について
 知っていると
 思っていると

 苛立ちや
 怒りが
 生まれたりしますね

 身近な人から
 遠い人まで
 知っていると
 思っている
 という
 誤解

 世界についても
 同じ

 知っていると
 思っていると
 虚無感から
 執着まで
 生まれます

 存在しないものを
 知ることはできないでしょう
 まさに
 滑稽な態度かもしれません

 *****

 あけまして
 おめでとうございます
 
 幻想を信じないことで
 実相だけに
 信を置くことで
 幸福度の高い
 一年でありますように

 聖霊を
 どんな時も
 思い出せる一年でありますように

 *****

 年末も年始も
 相変わらずな
 当ブログに
 訪れていただきまして
 ありがとうございます

 今私は
 年末に特集された
 ドキュメンタリー番組を
 「ながら見」しています

 さまざまで
 特別な人々が
 たくさん出てきます

 映像を通して
 その人を
 知った気になって
 あーでもない
 こーでもないと
 言う楽しさに
 罪はありません

 そういう楽しみ方は
 テレビを見る側の
 醍醐味です

 これが
 政治の討論番組になると
 どうでしょう
 
 自分と同じ考えの人は
 なんとなく好感が持てて
 逆の考えの人は
 同じ人間なんだろうかとばかりに
 いぶかしく思ったり
 私は、します笑

 地上波では
 マラソン?駅伝?
 をやっていて
 
 苦しそうに
 けれど
 凛々しい選手を見るとまた
 その人を
 知った気になって
 勝手に感動したりします

 すべては
 信じることから
 始まっているのでしょう

 *****

 紅白歌合戦も
 しかり

 レコード大賞も
 形骸化しているというネット記事と
 実際に私の目にはそう映る現実と
 
 それでも
 年末、局を挙げての
 特別な象徴的番組ですからね

 紅白も
 レコ大も
 それを知った気になって見れば
 あーでもなく
 こーでもなくと
 喜怒哀楽が
 生まれます

 それ自体は問題ではありませんね
 
 しかし私は
 赦しの実践に取り組みたいわけですから
 聖霊を呼んで
 彼らの実相を思い出したいわけです

 *****

 ってなわけで
 あまり文字を尽くさず
 今年の
 当ブログの始まりと
 させていただきます

 目に見えるものは
 たいてい
 幻想です

 信じないことで
 軽くなりましょう

 淡々と対処しつつ
 実相は全く別物と
 思い出しましょう

 罪は存在しません
 罪を信じれば
 怒りは必至です

 聖霊を呼んで
 赦しましょう


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