きらく堂日記

鍼灸師の喜楽堂が日々の出来事、過去の思い出、趣味にまつわる話などを綴った日記帳(=雑記帳)です

アジ4匹で日焼け真っ赤

2007年06月28日 | 日々の暮らし
昨日は休診日。天気は朝から晴天で、午後4時過ぎが満潮の中潮。最近運動不足なので久しぶりに外で過ごそうと、昼から釣竿片手に八景島近くに行ってみました。赤潮がきつそうでしたが、カゴ釣り、さびき釣り、浮釣り、・・・いろいろやってみましたが釣れない、釣れない・・・。4時頃になると近所のおじさん、おじいさん達が毎日の日課で三々五々集まってきて、いっせいにトリックさびきでの釣りを開始。ポツリポツリと釣れる程度で、皆ビールを飲むほうが忙しそうでしたね。結局私もアジ4匹という釣果でしたが、二の腕は日焼けで真っ赤。もう若くもないし、シミや皮膚がんはいやなので日焼けは出来るだけしないように気をつけてはいたのですが、なにぶん暑くて腕まくりしていた結果です。腕時計の痕がやたら白い。痛みはないので、旨く焼けたかな・・・家で内臓をとって即冷凍。来週天気がよければリベンジするぞ!。
(鍼灸マッサージサロン・セラピット)

ボラだけがやたら元気

2007年06月21日 | 日々の暮らし
定休日の昨日は久しぶりに横浜臨港パークへ釣りに出かけました。先週は小アジが結構釣れていたのでね・・・。午後4時ごろから3時間粘ったのですが、潮が濁っているし、風は強いし、夕まずめ時の干潮で、条件はあまりよくなかったのか、全く駄目でした・・・トホホ。アジは回遊していますので、釣れる日、釣れない日が極端に出るのは致し方ないかな。延べ竿でやっていたのですが、ボラが3回かかったのでやり取りは充分楽しみました。玉網は持っていたのですが、使うのもいやで(臭くなっちゃうから)、やり取りを楽しんでは結局ハリスを切られる(なにしろ小アジ用ですからね)を繰り返しました。後ろで見ていた外国人が「大きかったですね、残念でしたね」と話しかけてきたので、しばらく国際交流。ボラはまるまる太って元気ですね。群れで悠々と泳いでいました。

ボラは昔から縁起物で日本人は良く食べていたのにね・・・今はカラスミだけですからね。なんか臭い、まずいというのが通説になっていて、釣り人にとっては厄介者扱いになっていますが、今度真面目に釣って食べてみようかな・・・っと。東京湾の水も大分きれいになったようですが、永いこと湾奥にいた魚はチョッと食べるのに抵抗がありますね。ステレオタイプかな~。中国産のあぶない海産物や野菜を食べていた(いる)割にはチョッと神経質かな・・・。

最近は100円ショップやスーパーで、お菓子でも何でも中国産と書いてある(または何もかいていない)ものは買わないようにしています。中国ではいろいろなことが起こって世界的に槍玉に上がっているわけですが、ついこの間まで、日本でも安かろう悪かろうで似たり寄ったりのことをしていた時期があるわけで・・・と思っていたら、牛肉コロッケといって屑豚、内臓や血まで混ぜて作っていたメーカがあったり、安い霜降り牛肉は脂をインジェクションで入れて作るのが常識だったり、まあ 日本の現在も似たような状況なのですからね・・・驚きというより、あきれますね。あまり中国や中国人を攻めるより、少なくとも食べ物については、自分で見極めて 危険と思うものは食べないようにしましょうね。あくまで自分の判断や感性を大切にしましょうね。

風林火山

2007年06月18日 | 居合・日本刀
NHK大河ドラマ「風林火山」を楽しく見ています。家での一番人気は山本勘助役の内野聖陽ではなく武田晴信役の市川亀次郎です。内野聖陽は「蝉しぐれ」の抑えた演技がすばらしかったが、今回はチョッとやりすぎ、力みすぎの感があります。まあ、演出の差なのでしょうが・・・。亀次郎は晴信の鬱屈した人間像を良く演じて、格調があって、口跡も鮮やかでいいですね。Gacktの長尾景虎が前回ちょっと出ましたが 今後期待できますね。景虎のもつストイックさ、ある意味での異常性・・・がうまく出せれば良いですね。他の役者さんでは、竜 雷太が最近すごく良くなって来ていますね、加藤 武を超えていますね。他のドラマでも最近多く見かけるようになって、良い味を出してますね。若いときは大根だったのに「釣りばか日記」に出るようになってから一皮むけたかな・・・。千葉真一はよく頑張っていますが、チョッと演技が臭いかな。
 さて、山本勘助は軍師として有名ですが、出所は江戸初期に書かれた「甲陽軍艦」で、この本の史料性が否定的になっている現在では、似たような人がいたとしても、武蔵坊弁慶と同じように英雄伝説に類する存在であろうと思いますね。それにしてもあの時代の、甲斐の武田、越後の上杉、相模の北条、駿河の今川を取り巻く戦国武将たちが織り成す時代絵巻は、何度みても、読んでもわくわくしますね・・・。写真は近世具足の代表の越中頭形兜(えっちゅうずなりかぶと)です。ドラマでもよく出てきます。

哀れ、哀れ、哀れ

2007年06月11日 | 日々の暮らし
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。
おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢の如し。
たけき者も遂には滅びぬ、ひとえに風の前の塵に同じ。

これは有名な平家物語の冒頭の文章であるが、生者必滅というものを超えた「もののあわれ」というものを日本人なら感じるのではないでしょうか。○○doorの堀江さん、農○○○省の松岡さん、○○スンの折口さん達もある意味同じ境遇にあった(ある)わけだが、かわいそうだなと思う反面、単に成金が同業者に潰されたようなイメージがあり「それ見たことか、ざまあみろ」的な感情が先にたち、滅びの原因が原因だけに、平家の公達の滅びの美しさ、あわれさのようなものは感じられません。拝金主義の行き着くところで、美しくありませんからね。いいわけ、謝罪、開き直りは「盛者こけても、なお盛者」という所が見え見えで許しがたい。松岡さんの自殺については、「自殺なんて身勝手だ。生きて真相を明らかにすべきだ」などと言う人もいるが、そういうことを言うものほど、以外に裏ではホッとしているのではないかな。最近は「責任を痛感しています・・・今後の私の生き様を見てください・・・」などと言う人が多いけれど、もともと日本に「生き様」などという言葉はないのであり、「死に様」という言葉だけがあったわけで「○○殿は真にみごとなご最後でした。」が武士としての最高の誉め言葉であり、どのような場合にどのような形で自分の命を捨てるかということが重要であって、それが日々の言行、生活の規範だった時代があったのですね。「命を惜しむな、名こそ惜しめ!」というわけですね。ただし、なんでもかんでも死ねば良いという訳ではなく、死ぬには「大義」が必要であり、それが無いのは「犬死」と見られたのですね。松岡さんの大義は何だったのでしょうか・・・?  別な意味で、なんとなくあわれを感じますね。

座頭市

2007年06月09日 | 居合・日本刀
先日TVでビートたけし主演の座頭市を観た。映画でも観たしTVでも何回目かになる。ストーリーは勝新主演のものと似たようなものですが、見終わった後に心に響くものがなく、おちゃらけシーンとCGを使った残酷シーンだけが残る感じで、しばらく耳の中にタップダンスのリズムだけが残っていて往生しました。ビートたけしの役者としての芸の未熟は否めませんね。ピストルでドンドンと撃つアクションの場合には無口で、無表情で、単純な動き(抜いて撃つだけ)の方が凄みがあるのですが、刀を使った立ち回りはそうは行きませんからね。勝新はここがすごい訳で、ワンカットで何人も連続して切り倒す、その流れるような動き・・・太刀さばきは勿論ですが、とくに足さばきの美しさは天下一品でしたね。たけしの立ち回りは足を蟹股でふんばっているだけで、足が動いていませんから、それをカット割でカバーしていますね。ブラザーの親分が拳銃を仕込みに代えただけみたいでね・・・年齢的にしょうがないか。勝新のシリーズは、なんといっても第一作の「座頭市物語」につきるのですが、「・・・俺たちゃあなあ、ご法度の裏街道を歩く渡世なんだぞ・・・、いわば天下の嫌われもんだ・・・」という台詞がこころに響いたもんでしたよ、それと勝新の色気がね・・・私は中1でしたがね。