09 依頼することと任せることの失敗 その(3)
1 さらにのしかかる精神的な苦痛
姉が亡くなり、相手方の運転手は刑事裁判にかかることも
ないだろうという見通しを聞いたとき、
精神的にかなり参りました。
相手方は、謝りに来ないのはもちろん、
お通夜も来ないし、線香の一本も上げに来ず、
現場にお花を手向けたこともない。
しかも、私の姉が悪いようなこと、
こんな事故が起きたから生活に支障が出ていると、近所の人に話していると
聞くに至って、怒りと悔しさが収まらず、精神的に苦しかったのでした。
2 依頼した弁護士の対応
さらに、弁護士からは、なしのつぶてに近い状態でした。
母と私は、いったい今、何がどうなっているのかわからない状態にいたのです。
手続がどうなっているのかの説明がないし、報告もない。
今後の手続(裁判、保険の両方)の具体的な話の説明もない。
こちらから起こし得るアクションの方法についての提案も何もない。
姉の無念を考えると、やはり、意見を言いたいことはありました。
ガレージの事故車両を目にしながら、毎日、お仏壇でお経をあげながら、
少しでも朗報がくることを待っていたのです。
弁護士と委任契約書を締結したとき、頼りになりそうなことを言っていたし、
ウェブにも実績がある内容が書いてありましたので、信じていたのです。
もちろん、母と私のすり減った精神状態では、何をしたらよいのかを調べられなかった。
調べ方がわからなかったのと、弁護士先生を頼んだのだから、
横から余計なことをしてしまい、危険を損ねてはまずいと思ったこと、
「餅は餅屋」だとして、生兵法で話すの失礼だと思い、
書籍やウェブで詳しいことを自分たちで調べなかったのです。
しかし、本当に弁護士からは何も来なかった。
交通事故の被害者遺族になった経験なんて今までなかったですから、
「先生に任せた以上、何かしらちゃんとやってくれている」と信じるしかなかった。
いま思うと、なんて馬鹿げた考えをしていたのだと悔やまれるのですが…。
判例タイムズのコピーを送られてきて、
この事故の過失割合の見通しが簡潔に述べられていました。
(・・・こんなものなの?)
率直な感想でした。
過失割合ではなく、今回の事故が、この判例タイムズのコピーにある割合で評価され、
そして各要素によりプラスマイナスされる。
こうして物事が解決していくのかと思ってしまったのです。
-------------------------------------------------------
〔今になって思うこと〕
高齢の母と私のそれまでの人生経験では、
あんまりにもわからないことだらけでした。
弁護士の選任も、知り合いの推薦だというのが安心の担保だったはずですが、
大きな誤りでした。
推薦してもらったことで、「わがまま」を言ってはならないと思っていたから、
わだかまりがあっても、ちゃんと解消しようとしなかったのです。
人の運命は人との出会いで変わると思っています。
少なくともこのとき、最悪な出会いをしていたのだとさらに思い知ることになるのです。
気付いたのは、やはりある「出会い」。
そこで、ようやく私なりに交通事故裁判の実態と業界の構造を理解できたのです。
しかし、そこに至るまで、まだまだ苦難の道は続くのでした。
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1 さらにのしかかる精神的な苦痛
姉が亡くなり、相手方の運転手は刑事裁判にかかることも
ないだろうという見通しを聞いたとき、
精神的にかなり参りました。
相手方は、謝りに来ないのはもちろん、
お通夜も来ないし、線香の一本も上げに来ず、
現場にお花を手向けたこともない。
しかも、私の姉が悪いようなこと、
こんな事故が起きたから生活に支障が出ていると、近所の人に話していると
聞くに至って、怒りと悔しさが収まらず、精神的に苦しかったのでした。
2 依頼した弁護士の対応
さらに、弁護士からは、なしのつぶてに近い状態でした。
母と私は、いったい今、何がどうなっているのかわからない状態にいたのです。
手続がどうなっているのかの説明がないし、報告もない。
今後の手続(裁判、保険の両方)の具体的な話の説明もない。
こちらから起こし得るアクションの方法についての提案も何もない。
姉の無念を考えると、やはり、意見を言いたいことはありました。
ガレージの事故車両を目にしながら、毎日、お仏壇でお経をあげながら、
少しでも朗報がくることを待っていたのです。
弁護士と委任契約書を締結したとき、頼りになりそうなことを言っていたし、
ウェブにも実績がある内容が書いてありましたので、信じていたのです。
もちろん、母と私のすり減った精神状態では、何をしたらよいのかを調べられなかった。
調べ方がわからなかったのと、弁護士先生を頼んだのだから、
横から余計なことをしてしまい、危険を損ねてはまずいと思ったこと、
「餅は餅屋」だとして、生兵法で話すの失礼だと思い、
書籍やウェブで詳しいことを自分たちで調べなかったのです。
しかし、本当に弁護士からは何も来なかった。
交通事故の被害者遺族になった経験なんて今までなかったですから、
「先生に任せた以上、何かしらちゃんとやってくれている」と信じるしかなかった。
いま思うと、なんて馬鹿げた考えをしていたのだと悔やまれるのですが…。
判例タイムズのコピーを送られてきて、
この事故の過失割合の見通しが簡潔に述べられていました。
(・・・こんなものなの?)
率直な感想でした。
過失割合ではなく、今回の事故が、この判例タイムズのコピーにある割合で評価され、
そして各要素によりプラスマイナスされる。
こうして物事が解決していくのかと思ってしまったのです。
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〔今になって思うこと〕
高齢の母と私のそれまでの人生経験では、
あんまりにもわからないことだらけでした。
弁護士の選任も、知り合いの推薦だというのが安心の担保だったはずですが、
大きな誤りでした。
推薦してもらったことで、「わがまま」を言ってはならないと思っていたから、
わだかまりがあっても、ちゃんと解消しようとしなかったのです。
人の運命は人との出会いで変わると思っています。
少なくともこのとき、最悪な出会いをしていたのだとさらに思い知ることになるのです。
気付いたのは、やはりある「出会い」。
そこで、ようやく私なりに交通事故裁判の実態と業界の構造を理解できたのです。
しかし、そこに至るまで、まだまだ苦難の道は続くのでした。
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