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「=」に意味はあるのか

2017-05-19 23:59:39 | ヨン様
こんばんは、ヨン様です。


最近はロクなことを考えていないので、比例してブログの記事もロクなものになっていないような気がいたします。
今日も例によってロクでもないことを書くことになるでしょう。
あらかじめご承知おきください。

数学に強い方にお聞きしたいのですが、「=」というのは、どれだけの意味を持つものなのでしょうか。
これだけだとよくわからないので、もう少し具体的にお話ししましょう。
例えば、次のような等式があったとします。


1+1=2


これは、純粋な観念の世界を離れて素朴な理解をしようとすれば、「1と1を足し合わせると、2になる」というように解釈することもできます。
実際の問題文で「りんごがひとつ、みかんがひとつあります。りんごとみかんの合計はいくつでしょう。」といったものが想定できるように、「1+1=2」を、「足し合わせとその結果」という風に読むこともできなくはないのでしょう。

ところで、「1+1=2」という式自体には、そのような足し合わせのプロセスは存在しないと考えることもできます。
というのも、この式の右辺と左辺を入れ替えて、


2=1+1


としても、等式の論理的な意味は全く変化がないからです。
この式を「2であれば、1と1を足し合わせたものである」あるいは「2は、1と1を足し合わせたものである」というように解釈するのも、奇妙な話でしょう。
つまり、「1+1=2」にせよ「2=1+1」にせよ、単に「1+1」で表されるものと「2」で表されるものが等価であるということを表しているに過ぎないと考えることも可能なのです。
数学的には、むしろこのように考えるのが正確なのではないでしょうか。

さて、後者のように捉えると、たちどころにあることが問題となるように思われます。
最初に取り上げた、「=」が何を意味しているか、ということです。
もし、「1+1=2」が単なる等式を表しているのだとすれば、「1+1」と「2」とは、まったく同じ対象を異なった表記で示しているのに過ぎません。
ということは、ある人が「1+1」を知っているということは、同時にまったく同じ対象を示す「2」を知っているということになり、「1+1=2」は単なる同語反復(トートロジー)ということにならないでしょうか。
要するに、わざわざ「=」という等号で結ばなくても、「1+1」を知っていることは、即「2」を知っていること(あるいはその逆)と同じことになるのではないか、ということなのです。

これについては、次のように考えることも可能でしょう。
「1+1=2」では、一方で演算が未完了であるのに対し、もう一方では演算が完了しており、対等な関係になっていないので、同語反復にはなっていない、と。
確かに、「2」というのは特定の数的対象を示しているため、演算である「1+1」と対等と見なせないという側面もあると言えます。
ただ、次のような場合には、このような指摘は当てはまりません。


1+1=3-1


これらは、右辺と左辺のいずれとも未演算であるため、その点において対等であると考えられます。
論理的に考えても、「1と1を足し合わせたものは、3から1を差し引いたものに等しい」という関係は成り立つでしょう。
このような関係に関し、どちらかの演算が特定的であるとか言ったような非対称性のようなものは見出せないのではないでしょうか。

上述のような「=」の問題を、純粋に数学的な問題として捉えた場合にどのような答えが出されるのかは、よくわかりません。
一方で、言葉にも似たような現象が散見されることがあるので、そこからヒントを得て、この問題を考えてみたいと思います。
例えば、次のような例を見てみましょう。


江戸川コナンは工藤新一だ。


これは、「江戸川コナン」と「工藤新一」が同一人物であるということを表した文です。
この文も、もし「江戸川コナン」で表された対象が「工藤新一」とまったく同じ対象であるということのみを表しているのであれば、「江戸川コナン」を知っていることは、即、「工藤新一」を知っていることになり、聞き手にとってまったく情報価値のない、ただの同語反復となっていまいます。

では、このような文は我々にとってまったく情報価値のないものなのでしょうか。
それは、明らかに私たちの直観に反しています。
事実、「名探偵コナン」の物語世界で「江戸川コナン」と「工藤新一」とが同一人物であるという事実は極めて重要な事柄であり、敵対組織には決して知られてはならないこととされています。
「名探偵コナン」という物語の世界観は、「江戸川コナンは工藤新一だ。」という文が意味を持つからこそ成立するのです。

そしておそらく、このような背景を押さえておくことが、「江戸川コナンは工藤新一だ。」という文の意味を解釈する上で重要になります。
「江戸川コナンは工藤新一だ。」という文が意味を持つのは、その二人が同一人物であることを知らない場合においてのみであり、その事実を知っている人にとっては、確かになんの情報価値もありません。
つまり、「江戸川コナンは工藤新一だ。」という文が情報価値を持つ背景にあるのは、「江戸川コナンは工藤新一ではない(可能性がある)。」という前提であり、また、そのような場合においてのみ、「江戸川コナンは工藤新一だ。」という文は情報価値を持つと考えられるのです。

すると、「ある事物の同一性に対する言及が意味を持つのは、その同一性に対する疑義が前提となっている場合に限る」という一般化がえられることになります。
ここで、先ほどの問題に立ち戻ってみましょう。
「1+1=2」は、それが単に「1+1」で表された対象と「2」で表された対象が等価であることを表していると考えてしまうと、「=」になんの情報価値も見出せなくなってしまうのでした。
しかし、先ほどの「名探偵コナン」の例と並行的に、「ある対象aと、aとの同一性に疑義のある対象bとが、等価であることを表す」ものとして「=」を捉え直すことができれば、先ほどの問題は全て解消されることになります。
このような一般化に従えば、「1+1=2」は「1+1と2という、同一性に疑義のある2つの対象があるが、それらは等価である」というようなものとして理解されることになります。

もちろん、これは言語的な問題を数学の問題に応用しているので、そのような単純な置き換えは難しいのかもしれません。
また、数式について「同一性に対する疑義」という、極めて人間的な予測を盛り込んでいるので、あまり行儀の良い分析とは言えないでしょう。
このあたりのことについて、もしご意見や先行研究がございましたら、ぜひともご教授いただければ幸いです。


話は変わりますが、次の日曜日にはシュビドゥヴァーズの録音が予定されています。
夏コミに向けた準備も折り返しになりますので、ここでもう一度気合を入れ直さなければ…。
詳細な情報も、当落が確定したら随時公開していきますね。

それでは!
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