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「科学的であること」は「正しいこと」なのか

2017-05-16 23:18:44 | ヨン様
こんばんは、ヨン様です。


世の中には「科学的に証明されたこと」を謳い文句にするものがたくさんあります。
「ミクロのゴミも逃さない掃除機!」「見えない雑菌をやっつける芳香剤!」「○○100個分のビタミンC!」などなど、よくまぁそんなに見つかるものだと思うほどに、巷のスーパーでは科学的なお墨付きを受けた宣伝文句が並んでいます。
そういったレトリックの中には、確かに私たちの心を惹きつけるようなものもあるでしょう。

ただ、「科学的であること」ということが、その品物の品質を保証するうえで本質的なことなのでしょうか。
例えば、「見えない雑菌をやっつける芳香剤」について考えてみましょう。
そのテの芳香剤は、得てしてまず「実は部屋や寝具には、見えない細菌がたくさん潜んでいる」というような脅しをかけてきます。
そして、「当社の芳香剤なら、見えない脅威をやっつけます!」と、消費者を誘導するのです。

ところで、よく考えてみれば、その「見えない雑菌にまみれた部屋や寝具」というのは、我々がこれまで過ごしてきた生活スペースであり、まさにその点によって、我々にとって無害な存在だと言えるのではないでしょうか。
もし仮に劣悪な衛生環境の家屋に住んでいて、部屋に漂う雑菌の存在により健康障害を来していたのならば、そういった芳香剤を試してみる価値はあるでしょう。
しかし、実際のところ、日常生活にも支障をきたすようなレベルの衛生環境で過ごしている人など極めてまれです。
つまり、これまで何の問題もなく過ごしてきた生活空間が科学的に有害だと判明したとしても、経験的に有害であるとは限らないのです。

科学というものは、経験というものの限界を超越することによって発展してきました。
科学的な視点無くして、リンゴが地面に落下することと、月が地球の周りをまわることが同じ原理で説明できるなどと、誰が想像しえたでしょうか。
そのような、経験では決して見通すことのできない視点を獲得することで、近代以降の文明社会があるのです。

一方で、科学の信頼性があまりにも強力なものとなってしまったために、「科学的であること」と「有益であること」とが混同される、あるいはそのような混同を助長し、利用することが増えてきているのも事実です。
冒頭に見たような宣伝文句、最近話題になった水素水は、その点で似たようなところがあります。
「科学的であれば正しく、有益である」ということが、無批判に受け入れられるようになってきてはいないでしょうか。
本来であれば、「なぜ科学的でなければならないのか」ということが問われなければならないことにまで、科学の権威を振りかざすことにはなっていないでしょうか。

実際には、「科学的に正しい/間違っている」ということでも、別の科学的視点によって覆されたり、経験的には無視して良いこともあり、そのことの実際的な妥当性を十分に吟味する必要があります。
「科学的であれば正しい」というような盲目的思考構造は、「免罪符を買ったら救済される」という思考構造とさして変わりありません。
つまり、それは科学という名という看板を掲げた宗教に他ならないのです。


疲れているからか、よくわからないことを熱弁してしまいました。
ともあれ、「科学的であること」の正統的な意味に向き合っていきたいものです。

それでは!
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