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作品の終わりを尊重しよう

2017-04-18 23:37:41 | ヨン様
こんばんは、ヨン様です。


何か夢中になっているものというのは、早く先を知りたくなってしまうものです。
例えば、気になっている漫画の新刊が出たらどうでしょうか。
早くその新刊を入手して、手元に届いたのも束の間、すぐにでもページを繰って見たいという気持ちにかられるでしょう。

映画のようなコンテンツでも同じです。
100分で展開されるシナリオの中で、次はどうなるんだろうとか、きっとこうに違いないとか、自分なりに考えながら話を追っていきます。
物語に没入していればしているほど、次へ次へと続きが気になってしまいます。

このように、夢中になっているものほど、「次」への渇望は大きくなっていきます。
むしろ、優れた作品かどうかというのは、いかに「次」を期待させるかどうかにかかっているといっても過言ではありません。
恋も作品も、実は駆け引きが重要なのです。

しかし、夢中になって「次」を追っていたものほど、「終わり」が怖いものもありません。
大好きだった作品の最終巻が出る、充実した100分間が終わろうとしてしまう、…これほど寂しいことが他にあるでしょうか。
私は夢中になっていた作品が終わりを迎えようとしていると、早く結末を知りたいという気持ちと、ずっと終わらないで欲しいという気持ちの間で揺れ動きます。
最終巻では読み進めるペースが鈍化しますし、夢中になって見ていた映画ほど、90分あたりから時計が気になり始めます。
終わらない作品などないのに、次がないか、と期待してしまったりもします。
世間ではこのような状態のうち重篤なものを「○○ロス」「○○難民」などと呼んでいるようです。

たしかに、「ロス」状態というのは軽い失恋に近く、大きな喪失感を抱えることになります。
ただ、その喪失感は必ずしも虚無的なものではないように思います。
むしろこのような状態には、ある種の達成感や安堵感が伴うものです。
終わりを迎えることは、作品世界に最後の楔を打つということ。
人が死によって充実した人生を送ろうと思えるのと同じように、作品も完結によってより良いものとなるのではないでしょうか。
実際、延命措置をとることが、人にとっても作品にとっても、必ずしもいい結果を生むとは限らないのです。

作品の終了というものを、私たちはもっと建設的に受け止めてみてもいいのかもしれません。
いたずらに続編やスピンオフを期待することは、天寿を全うした人に対して甦ってほしいと願うのに等しい行為です。
同じ世界に浸り続けたいという気持ちは私も共感しますが、そんなときは、その作品をもう一度見てはいかがでしょうか。
あるいは、その続きを妄想する、というのも、一つの作品の楽しみ方になるでしょう。
なんにしても、その作品が終わりを迎えたということは、なんらかの形で尊重されなければなりません。


最近少しずつ進めている「ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド」の終わりが見えてきて、少し寂しい気持ちになっています。
重篤な「ゼルダロス」にならないよう、今のうちから気持ちの整理を付けておかねば…。

それでは!
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