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技術に敬意を示すということ

2017-07-18 01:35:44 | かみさと
こんばんは。かみさとです。

お恥ずかしいことに飲み会後の終電帰りを経て、現在このブログを更新しています。
JRから地下鉄への乗り換えで街中をダッシュする必要があり、もうてんてこ舞いの疲労困憊です。

そんな帰路、最寄り(から1〜2駅)の構内で、あるシンガーソングライターが弾き語りをしていました。
フライヤーを頂きましたが、聞いたこともない名前。
宣伝文句等を見るに、セルフプロデュースの方策も改善点が数多と言えるでしょう。



が、それはそれとして、歌が上手い。すこぶる上手い。
僕よりも上手い。



大学で作曲を学ぶ、クリエイターの端くれとして、『技術の価値』には思うところがあります。

人はとかく目に見えないものに対して価値を見出すのが苦手です。
音楽が娯楽として、大衆的なコンテンツとして消費されるようになり、その辺りの風当たりはより強くなったように感じます。
あるいはボーカロイドの台頭やDTM環境の発展で作曲へのハードルが低くなり、相対的に我々作曲家の"一人当たりの価値"も下がった、ように感じるだけの話かもしれませんが。

だからこそ、私は個々人の会得した『技術』に対して、可能な限り敬意を払うようにしています。

たとえば作曲も、ロボットのハード・ソフト面での開発も、あるいは農作物の研究も、すべてはその個々人の努力・経験によって勝ち得た技術(あるいは見識)です。
消費者である限り、我々の目に飛び込んでくるのはそれらの結果ばかり。
ですが少し立場を変え、目線を変え、思考を変えれば、その"結果"に至るまでの過程が見えてきます。
これは経験則ですが、大抵の場合、ぱっと見は特別に見えない"結果"にこそ、生半可ではない"過程"が潜んでいるものです。


心地よく聴ける歌を披露してくださったあのシンガーソングライターの方も、それはそれは怒涛の経験を積んできたのでしょう。
きっとそれは、この一晩で私が推し量るに余りあるものです。
だからこそ、私はその道程に想いを馳せ、そこに敬意を表するのです。



さて。
話題は変わり、今週末に控える副次的文化系合唱祭。
昨日の記事で、ヨン様・imockさんの編曲が取り上げられる、と紹介されていましたが、僕の編曲も1つやります。いつも通りアイマス合唱部です。
先ほど練習に顔を出させていただきましたが、『これはいけるぞ!』とニヤリと笑ってしまう出来でした。
シュビドゥヴァーズと併せ、是非お楽しみください!シュビの演奏をまだ聴けてないのは内緒です。
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