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中東危機の影--EUと中東

『EUは危機を超えられるか』より EUと中国

トルコに頼るEUのジレンマ

 米国の調査機関、ピュー・リサーチ・センターが2016年春に実施した世論調査によると、「何があなたの国にとって主要な脅威か」という問いに、ほとんどの欧州諸国では過激派「イスラム国」(IS)という答えが最も多かった。そして、海を渡る難民の来着が多いイタリア、ギリシャや、イスラム教徒の移民が歴史的に少ないポーランド、ハンガリーといった東欧の国では、難民を脅威と感じる比率が高い。

 EUは2015年9月の内相理事会で、合計16万人の難民を分担して受け入れる措置を賛成多数で決めた。しかし、ハンガリー、スロバキアなど東欧諸国は、多数のイスラム教徒を受け入れる社会的な環境が整っていないといった理由で、分担受け入れに反対した。ハンガリーが非合法の難民の流入に国境を閉ざしたのに続いて、マケドニアなどバルカン諸国も相次いで入国規制を厳格にした。その結果、財政危機の続くギリシャに、地中海を渡ってきた大量の難民が滞留する、新たなギリシャ危機が懸念されるようになった。

 このため、EUはトルコが欧州への難民流出を抑えてくれるよう、トルコの協力に頼り始めた。16年3月18日のEU・卜ルコ首脳会議で、(1)トルコからギリシャに密航した新たな難民全員と、難民認定の申請が却下された人たちをトルコに送り返す、(2)トルコに送還されるシリア難民の数に見合う形で、トルコにいるシリア難民の一部をEUが正規の手続きで受け入れる、圓15年H月の共同行動計画でEUがトルコに約束した30億ユーロの資金援助に加え、2018年末までに30億ユーロを追加拠出する--合意が成立した。

 トルコの協力を得る見返りとしてEU側は、トルコのEU加盟交渉を加速して次の段階の協議開始の準備を進めるとともに、トルコ国民がEU(シェンゲン地域)に渡航する際のビザ免除を前倒しで実施する方針を示した。

 ところが、実際にビザを免除するには、EU側が設けた基準をトルコが満たす必要がある。焦点になったのは、トルコ政府がメディア統制などの根拠としている「反テロ法」だ。EU側は同法を修正するよう求めたが、エルドアン大統領は拒否し、板挟みになった3月合意の立役者、ダウトオール首相は16年5月に辞任した。

 トルコのEU加盟交渉を加速するというEU側の約束が、EU諸国の政治に及ぼした影響も無視できない。英国では6月23日の国民投票の前に、EU離脱派が「人口約8000万人のトルコから人が押し寄せ、移民の流入が制御不能になる」「国民投票は、トルコ人が自由に英国に入るのに賛成か反対かの選択だ」と叫ぶようになった。キャメロン英首相(当時)は「トルコのEU加盟が近づいたわけではないし、英国は拒否権も持っている」と反論したが、トルコの問題は国民投票でEU離脱という結果になった要因の1つだろう。

 トルコではダウトオール首相が辞任した後、外交政策の急旋回が始まった。ダウトオール氏が掲げた近隣諸国との対立のない「ゼロプロブレム外交」が破綻し、シリアの政権との敵対関係、イスラエルやエジプトとの関係冷え込みに加えて、ロシアとも深刻な対立に陥り、「ゼロフレンド」と皮肉られる状態になったことが背景だ。エルドアン大統領はイスラエルとの関係修復に着手し、撃墜事件についてプーチン大統領に謝罪してロシアとの関係修復にも動いたが、反テロ法などをめぐるEUとの隔たりは埋まらなかった。

 トルコ外交が微妙な局面にある中で、16年7月15日にトルコ軍の一部が反乱を起こした。クーデターの企ては粗雑さが目立ち、参謀総長など軍の主流派は政権側に付いたので、反乱はおよそ半日で鎮圧された。

 トルコでは1990年代まで、軍の幹部が多数を占める国家安全保障会議が、内閣の上位にある国の最高意思決定機関だった。この政治体制をEUは、シビリアン・コントロール(文民にょる軍の統制)の欠如と批判した。このため、21世紀に入ってトルコは同会議を文民多数に変尨、EU加盟交渉と並行して同会議の権限を縮小した。さらに、2010年代になると、軍の幹部の人事権も政権側が握るようになった。

 内政への軍の影響力をほぼ排除してから、エルドアン政権は強権色を一段と強め、かつて連携していた宗教運動指導者ギュレン師との対立が表面化した。トルコ政府は2015年にギュレン師が主導する運動を「テロ組織」と規定し、反テロ法を根拠にギュレン運動への締め付けを強めていた。

 エルドアン政権は、軍の一部反乱の最中からギュレン師がクーデター計画の黒幕だと断じ、鎮圧後にすぐギュレン系人脈を一掃しようと動いた。事件後2週間で政府機関や軍、警察、検察、大学などから排除された人は6万人を超え、粛清の嵐はギュレン系以外の政権批判勢力にも広がった。市民を殺傷した反乱勢力を極刑に処すべきだという声を背景に、EU基準に合わせて2002年に廃止した死刑の復活を求める動きも起きた。

 クーデター未遂事件を非難し、選挙で選ばれた政権を支持すると強調した欧米諸国も、エルドアン政権の行きすぎに懸念を強めた。人権の尊重を求めるEU諸国は「エルドアン大統領に白紙委任状を渡したわけではない」(エロー仏外相)と批判し、ビザなし渡航の実現はさらに遠のいた。死刑復活の動きも懸念材料になった。トルコのEU加盟交渉の加速は見込みにくく、難民問題でのEU・トルコ合意の履行も宙に浮いた格好だ。トルコ政府は「EUとの関係は重要だが、それがすべてではない」と説明している。

 米国とトルコの関係も難しくなった。トルコ政府はギュレン師が住む米国に、同師の身柄の引き渡しを求めた。だが、米政府はギュレン師がクーデター事件に関与した明白な証拠が必要だとしている。クルド人勢力との連携をめぐる対立に加えて、ギュレン師の身柄の問題で新たな対立が深まると、ISとの戦いでの国際的な協力関係に暗雲が増す。`

EUは地中海を越えず

 この章の最後に、冷戦後のEU拡大の動きの中で、中東・北アフリカ諸国がどう位置づけられてきたかを振り返ってみよう。

 冷戦終結後のEUの最大の課題は東西欧州の一体化だったが、EUは一方で中東・北アフリカ諸国との協力関係も強化しようとした。1994年10月、モロッコのカサブランカで開いた経済協力会議で、当時のドロール欧州委員長は「われわれは30カ国をはるかに超える国が参加し、8億人規模の人口を擁する世界最大の経済圏の実現をめざす」と力説した。

 ドロール発言の下敷きになったのは、欧州委員会の欧州・地中海パートナーシップ構想だ。「バルセロナ・プロセス」とも呼ばれるこの構想は、当時のEUと東欧諸国、EU非加盟の地中海諸国を、1つの自由貿易圏にする構想だった。自由貿易の対象となる「地中海諸国」は、モロッコ、アルジェリア、チュニジア、リビア、エジプト、イスラエル、ョルダン、レバノン、シリア、トルコ、キプロス、マルタの12ヵ国。そのうち、国際的な制裁下にあったリビアを当面の交渉相手から外す一方、地中海に面していないョルダンを最初からパートナーに加えた。

 その背景には、93年のイスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)の和解、94年のョルダンーイスラエル和平条約締結を踏まえ、中東和平を後押しする狙いもあった。ただし、EUは中東・北アフリカ諸国が将来、EUに加盟する可能性を事実上、排除した。各国が自由貿易を含むEUとの連合協定を結び、これを足がかりにして経済構造改革と投資環境の整備を進め、直接投資を誘致して国内の雇用機会を創出すれば、各国からEU諸国への移民の流出も抑制される--。これが、EU側の基本的な発想だ。

 1990年代から2000年代にかけて、東欧諸国や旧ソ連のバルト3国がEUに加盟し、ドイツに近い地域にEUの重心が移った。これに対してフランスやスペインなどが推進したのが、地中海を重視してEUの重心を南のほうに移す戦略だった。キプロス、マルタのEU加盟は、こうした政治力学に伴って実現した。

 地中海パートナーシップの延長線上で、2008年にフランスのサルコジ大統領(当時)は「地中海連合」の創設を主導した。この連合に加わった国の地図を、古代のローマ帝国と属州の地図に重ね合わせる人もいる。サルコジ大統領は当初、EU加盟の南欧諸国と地中海岸の中東・北アフリカ諸国だけによる地域協力の枠組み創設を意図したが、ドイツが他のEU諸国をオブザーバー参加にとどめることに反対したため、地中海連合の枠組みも修正された経緯があった。

 トルコは地中海連合への参加をEU加盟の代替としないという保証を求めたうえで、この枠組みに参加した。しかし、1987年に当時の欧州共同体(EC)に加盟申請したトルコのEU加盟プロセスは、ほとんど前進しなかった。%年にEU・トルコ関税同盟が成立、2005年10月にようやく加盟交渉が始まったが、EU側が設定する35の政策分野のうち、交渉開始から10年間で協議に入ったのは15分野にとどまり、共通ルール導入の協議を終えたのは「科学研究」分野だけだ。

 トルコのEU加盟交渉は、なぜ進まないのか。トルコの国土の大半は、首都アンカラも含めてアジア側にある。トルコの人口はドイツを追い抜こうとしており、キリスト教の国の集まりであるEUで最大の人口を抱える国が、イスラム教徒がほとんどのトルコになりかねない。トルコの法制は人権保護などの面で、EUの基準を満たしていない。すでにEUに加盟したギリシャ系のキプロス政府と、キプロス北部の帰属をめぐって対立関係にある……。

 こうした要因が、かねて指摘されてきたが、最大の焦点はEUに加盟した場合の、トルコからEU各国への労働力の移動だ。キャメロン前英首相は、イスラムの国だが西欧型の民主制度を導入したトルコの加盟はEUの戦略として重要とかつて語っていたのに、16年6月の英国の国民投票の前にはトルコの加盟はあり得ないと示唆するようになった。

 選挙とは無関係なEUという主体の戦略としては是としても、国民の選挙にさらされるEU諸国の政権は票が逃げるテーマであるトルコの加盟を推進しようとはしない。一方でトルコの政権もEU加盟は実現困難とわかりつつ、EU加盟という国家目標とEUからの外圧を自らに都合よく利用してきた。この虚構と実態の隔たりが、現在の難民問題への対応にも影響を及ぼしている。
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