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預言者ムハンマドの姿

『イスラーム信仰概論』より 信仰体験論

信仰体験論は日々の信仰体験などを綴った内容であり、枠組みは自由で不定形だが、それだけ読者に訴える自然な力も強いものがある。随筆集のようなかたちをとることも少なくない。

まず初めにイスラームの原初的な体験の様子を訪ねてみたい。預言者ムハンマドに啓示が降りた七世紀初頭以来、当時のイスラームのあり方に根本的に手が加えられたものは何もない。むしろそのような逸脱を回避し、あるいは気がつけば是正したり軌道修正したりされてきた。それらの筆頭として聖者信仰や神秘主義といった思潮、あるいは墓参の慣行などの問題があった。

ではどのような心的風景がイスラームの原像として見えてくるのであろうか。

西暦六一〇年、啓示が始まるまで預言者ムハンマドは、特にラマダンの月になるとマッカ郊外にあるヒラー山に上り、そこの洞窟で一人黙想する日々を過ごすこととしていた。それは精神を浄化し、真実を見極めるためであった。その間、妻ハディージャが少しずつ食料を運んだとされる。八五〇メートルほどの標高だが、そこへの道のりは現在でも均されておらず、急勾配で岩肌が荒々しいかなり危険なものでもある。

ここに見られる求道者としての世俗欲から遠ざかる禁欲的な修行ぶりは、時間的には啓示の始まる前だからイスラーム以前のものということかもしれない。しかしそのような心的浄化と昂揚があったからこそ啓示があったとも理解される。そしてその禁欲的で純粋に道を求める者の心根が、イスラームにおける精神状況の原像として浮き彫りにされるのである。

この側面は名誉心を避けるといった心的な方面だけではなく、外的な、たとえば彼の衣服や食物の面でも控えめで最小限で事足れりとする態度などにも確かめられるのである。また預言者ムハンマドは高貴な家柄とされるクライシュ族出身であったが、そのような出自に関わる特権や待遇もかなぐり捨てていたということになる。

このときの様子はおよそ次のように特徴づけられる。

 節約、畏怖、帰依、禁欲、篤信などで彩られ、世俗から遠ざかり信仰を求めていた。

 宇宙の偉大さ、素晴らしさ、その規則正しいことなどを瞑想していた。柱がないまま誰が空を持ち上げたのか、そこに誰が光を創り、星をちりばめたのか。大地を広げたのは誰か、そこから水を出させて放牧できるようにしたのは誰か、また種々の雌雄の植物を出し、また形状やサイズや色彩や味わいを異にするいろいろの果実を創ったのは誰か、といったことを。

 預言者はまた考え続けた。人を一番素晴らしい形状に創られたのは誰か、聴覚や視覚を与え、筋力と活力、行動と思索を可能にしたのは誰か、と。

以上の求道者としての側面と重なりつつ改めて注目されるのは、預言者がいかに信心深い心境であったか、というイスラーム啓示開始後の信者としての精神状況である。

「本当にアッラーの使徒は、アッラーに終末の日を熱望する者、アッラーを多く唱念する者にとって、立派な模範であった。」(部族連合章三三:二一)

なかでも強調される特性は、過ちを悔いて主に悔悟することがしきりであったということであろう。一日の間に、彼は七〇回から一〇〇回は悔悟してアッラーの赦しを請うたとされる。それほどに通常ならぬ繊細な神経をもって自らを律していたともいえよう。あるいはそれほどに主の存在を常に間近に感得していたとも表現できる。

勤行の厳格な順守など彼が信者として際立った行動をとっていたことを間接的に示す証左としては、クルアーンに次のような言葉がある。その理解のためには、彼が悩んでいると見られるほどに、厳しく自分を律していたことを背景として想定する必要がある。それを前提に降ろされた啓示の言葉である。

「われがあなたにクルアーンを下したのは、あなたを悩ますためではない。主を畏れる者への、訓戒に外ならない。」(ター・ハー章二〇:二、三)

預言者ムハンマドに関しては、いうまでもなく歴史を通じて多量の文献が積み重ねられてきた。それらを通じて右に見た求道者や信者としての心根以外の側面についても、彼の精神状況として語られるものが少なくない。

その一つは預言者としてのそれである。例えば啓示を受ける際の精神状況については、多様な描写が伝えられている。落雷にあったような激震が走り、時に意識を失ったり、あるいは記憶喪失の症状も一時的には見られたようだ。

あるいは有名な「夜の旅「イスラーム」の物語にあるように、天馬に乗って一夜でマッカからエルサレムに飛び、そこで礼拝を上げてから天国に誘われ、暁までにはマッカに戻るといった出来事が伝えられている。天国ではアーダムほか先達の預言者に会うと同時に、アッラーより一日五回の礼拝の仕方を教示されたのであった。つまり当初は五〇回するようにとの命令であったのを、地上では五回まで軽減してもらったということだ。ただしアッラーは一回の礼拝の功徳を一〇倍に増加されたので、結局同じ量の恵みを授かることが確保されたとされる。

しかしながらこういった様々な状況は、預言者として啓示を受けるという、他の一般人にはありえない場面における模様である。したがってそれらの場面における精神状態について、ここでこれ以上叙述することは控えることとする。

最後に取り上げる別の側面は、預言者の人間としての偉大さである。まずクルアーンにいう。

 「本当にあなたは、崇高な特性を備えている。」(筆章六八:四)

彼の人格の高邁さや性格の素晴らしさを称賛する言葉も多く伝えられている。預言者伝承集にはそのような章が設けられている。そこでは預言者がいかに謙遜家であり慎み深いか、あるいは思いやりがあり人々に圧迫感を与えず逆に非常に親近感を持たれていたか、いかにハンサムで白肌で上品な容姿であったかなどが列挙されている。

これらは多分に人が尊敬すべき理想像であり、なかでも心は平静で、慈悲深く寛大であったといった彼の偉大な徳性については注目される。しかし本節では預言者の信仰上の心的世界に焦点を絞るのが趣旨であるので、その人格の全体を取り上げることはこれ以上はしない。

預言者の人格が及ぼしてきた影響の大きさについても、看過するわけにはいかない。今日でも日々の礼拝等を通じて、世界で最も称えられる人物は預言者ムハンマドであるということだが、それだけに彼の人格の世界的な影響力は、それこそ語り尽くされぬだけの質と分量である。それをここでは象徴的に比喩をもって語ることで済ませるしかないだろう。

彼の歴史を通じた影響力の大きさは、マディーナからマスジド建設が世界に広まったことが、象徴しているようでもある。元は預言者の質素な家の隣にあった空き地を礼拝所として利用したことが、その始まりであった。礼拝の方向(キブラ)を示すために小石を置いたり槍を立て掛けたりし、そのすぐ近くには三段からなる台がしつらえられていた。それが説教台(ミンバル)の始まりであった。そしてこれらがその後世界に広まる、マスジド建設の雛形を提供した。またそれが数百万人を収容する現在の壮大な預言者マスジドのキブラとミンバルの定位置となっているのだ。

預言者ムハンマドの影響力の大きさは筆舌に尽くしがたい分、このような世界へのマスジド建造発展の話で象徴させることとした。
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