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哲学していいですか? 全てを知りたいだけだけど

『哲学していいですか?』より 哲学の始め方 「ただ知っていること」の力 世界が奇妙な場所に見えるとき ⇒ 哲学するのにそんな難しいことは必要ないのでは。池田晶子さんから入った私は、「ヘーゲルって、跳んでいて素敵じゃない!」というtころから入った。

わからなさが増大する

 このように、相互の見解の不一致を見据える哲学のまなざしには、他者の提示する異質な見解に対して自分が同意を与えることの不可能性だけでなく、自分の側の正当化の論理もまた他者には受け入れられないのだろう、という点に関する気づきまでもが含まれている。そして、このような気づきを伴う限りにおいて、「哲学すること」をめぐるわたしたちの経験には、相互の「合理的不同意」が導かれる過程の裏側において、自分自身の見解を支える土台の信頼性にまで揺さぶりがかけられる、という事態が含まれていることになるだろう。

 以上は、こんなふうに言い換えることができるだろうか。多様な考え方にふれ、自分のものとは違った異邦人の思考を試みに用いつつ、他者との真剣な議論に打ち込んでみること。哲学の練習はそのことから始まるのであるが、その結果として辿り着かれるのは、「自分の見解は、自分が思っていたほど正しいわけではなかったのかもしれない」という苦々しい気づきだけであるのかもしれない。すなわち、「真剣に議論すればするほど何か正解かわからなくなる」。それが、哲学するという知的営みにはつきものの経験であるのかもしれない、と。

 しかし、哲学することの結果として得られるのがそういった「相互の不合意が不可避であることの確認」と「わからなさの増大」だけであるのだとしたら、そこには当然こんな疑問が生じることになるだろう。「時間をかけて議論して、それで結局「お互いわかりあえませんね」みたいな結論になるわけですか。おまけに、考えれば考えるほどわからなくなる、ですって? そんな結果しか得られないのであれば、なんのために哲学なんてやらなくちゃいけないんですか。それなら、最初からやらないほうがずっとましなんじゃないですか」。

 もっともな反応だとは思う。しかし、ここで言われる「哲学することを通じたわからなさの増大」という経験のあり方には、簡単に切り捨てて済ませることのできない重要な論点が含まれている、ともわたしは考えている。さまざまな具体的問題について哲学することから得られるのは、「他者理解」や「相互理解」の増大ではなく、「最後のさいご、究極のところではお互いにわかりあえないのだろう」という事実を冷静に見据えてみせる覚悟だけであるかもしれないということ。あるいは、わたしたちが「妥協と譲歩のない真剣な議論」から引き出すことを期待できるのは、ハーモニーではなくむしろノイズが増大していくことだけであるかもしれないということ。これらの点について掘り下げた検討を施すことは、哲学のもつ「社会的存在意義」を確認するための視座を切り開くことにもつながっていくのではないか。それが、わたし自身の考えだということである。

 なんとも、先の見えない、息苦しい議論が続くように思われるかもしれない。しかし、このようなやり方で一歩ずつ問題を掘り下げていくことは、それ自体が哲学することの一つの実践ともなりえているのではないかと思う。以下、もう少し辛抱強く、「哲学することの意義」をめぐる検討を続けていくことにしよう。

「哲学の勇気」を下支えする

 いま話題とされている哲学の勇気-すなわち、「外の思考を箱の中に持ち込む勇気」--に関しては、強調しておかなければならない点が一つ残されている。すなわち、「哲学する勇気を、個人の孤独な決断の問題にしてはならない」という点である。

 さまざまな問題についてひとりで思いをめぐらし、周囲との軋棒を恐れることなく異邦人の目線を維持し、みずからの責任において「みなが見ようとしないもの」に目を向けるべきであると人びとに告げる。そのような仕事を孤独のうちに易々と実行することができるのは、一部の英雄的な人間だけであろう。とりわけ、「べつに、波風立ててまで人と違ったふうに考えなくていいじゃないか。無理しないで流されていればそれでいいじゃないか。何もかもうまくいくように、わたしがぜんぶやってあげるから」、そんなふうに、目の前の不安や厄介ごとをまとめて面倒見てくれる、親切でわかりやすい言葉が手の届くところに準備されている場合には、おそらく、大多数の人間はあっというまに「考えること」を放棄する。

 そして、このような仕方で外の思考の実践をめぐる困難のあり方を指摘することは、おのずから、問題に対処するうえで有効な選択肢の方向性を示唆するものともなっているように思われる。というのも、安楽椅子での快適なまどろみを教える誘惑の言葉に抵抗し、なおかつ、隣人たちからの反発を恐れることなく「ちょっと待って」と最初の一声を上げるということ。このことが、ひとりの人間に背負わせるには重すぎる課題であると言うのならば、われわれに必要とされるのは、外の思考の実践をめぐる困難を個人ではなくみなが共同で引き受けるべき課題として位置づけることであるように思われるからである。

 外の思考の担い手たちに、「大丈夫。あなたの言葉を受け止めてくれる人がかならずいる」というメッセージを適切な仕方で届けておくこと。そして、そのメッセージを拠点として、おのおのが「自分だけではない。仲間がいる」という気持ちを抱くことができるようになるということ。そういった、相互の信頼関係を構成するプロセスがあってはじめて、外の思考の実践はその最初の第一歩を踏み出すことができるのではないか。そして、その意味において、哲学の習慣を実践するうえで重要なのは、「哲学の勇気と言語」をわがものとする人間たちの周辺に、「あえて考える」同様の習慣をもった人間が幅広く拡散していることである。そう考えておくことができるのではないか。

移動するアゴラ

 ここで重要なのは、以上のような過程を通じて「哲学の器量」を修得した「市民」たちは、どこにでも移動していくことができるという点である。

 たとえば、少人数の身内から構成される演習室の授業で身につけた度胸を踏み台に、三百人の大教室で最初に手を挙げて「わかりませんでした」と宣言し、質問をぶつけてみることができるようになるということ。次に、もう少し大きな一歩を踏み出して、教室を離れたウェブ上のネットワークや地域の集まりで、「ちょっと待って」の一声を上げることができるようになるということ。このように哲学の習慣を備えた「器」たちがさまざまな場所に移動していくことで、哲学の規則を備えた討論の場所/アゴラがさまざまな場所へと拡散していくきっかけとなる。わたしたちは、この点にも哲学の大きな社会的存在意義を見出すことができるのではないだろうか。

 もちろん、世の大多数の人びとは、あえて場の空気を乱すことを厭わない哲学の流儀を煙たく思い続けるであろうし、それゆえに、哲学の習慣を備えた人間のやり方が世の主流となることは期待すべくもないところだろう。また、錯綜した議論を見事に整理しては人びとを見通しのよい高台へと案内する次世代のリーダーだとか、新しいアイデアと卓抜した行動力に基づいて世の中に輝かしいイノベーションを導入する起業家だとか。そういった、いわば華やかな表舞台でスター級の活躍をする人材が、通常の、ごくありふれた哲学教育の実践を通じて輩出されることもおそらくは期待できないだろう。

 しかし、それでもなお、「何かがおかしくないか」と声を上げることで、世の多数派であるわかりやすくて大きな声の流れに「待った」をかけ、その場の空気をすこしだけ違ったものにすることができる。そして、そのことを通じて、世界をすこしだけ違った場所にすることができる。哲学の教育を通じて、そんな生活習慣を備えた人間がすこしずつ世の中に居場所を増やしていくことくらいは期待してみてよいのではないか。

 もちろん、最初は周囲の手助けを借りた状態から始まるのであってさしつかえないだろう。教員や先輩たちの助けを借りながら、おっかなびっくりの危なっかしい足取りが、やがては力強く、安定したそれに変わっていけばよい。そして、ゆっくりとした速度においてではあれ、哲学の習慣を身につけた人間が、教室を離れ、世のあちこちへと拡散していけばよい。

 このようにして、哲学の声の聞こえる場所がすこしずつその数を増やしていくということ。そして、そのことを通じて、硬直した「箱の中」に「外」の風を吹き込むための通路がすこしずつその数を増やしていくということ。言うならば、「演習室から大教室を経て地域へ/そして世界へ」。わたしは、これが現実昧のない夢物語だとは思っていないし、このスローガンに従いつつ、哲学の習慣を身につけた人間が各地でその数を増やしていくことの社会的意義を否定することはできないだろうとも思っている。

 外へと開かれ、本当の意味でみずから思考する習慣を身につけた人間を育成するということ。繰り返し述べてきたように、このような目標のもとに遂行される教育の社会的存在意義を、テストの点数や資格、さらには具体的な就職先のリストや生涯獲得賃金といった数値化可能なデータに基づいて証明してみせるのは難しいことだろうと思う。しかし、それでもなお、「哲学の器量」を身につけた市民たちが、世のあちこちに居場所を確保していることの重要性は誰にも否定できないはずである。そして、それゆえにこそ、「哲学の器量を備えた市民の育成」を目的とする教育がこの国の大学から姿を消すことがあってはならないのである。
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