goo

トルコ 新たな国家へ

『トルコ 中東情勢のカギをにぎる国』より ⇒ トルコの地域を見ていると、脱・国民国家を感じている

国内で民主化を望む人びと、世俗主義を支持する人びとからは厳しい批判にさらされ、EUやアメリカからも民主化の後退を非難されてもなお、トルコは国家としての統合を維持している。逆に、このことが、中東からのトルコヘの信頼を高めている。ここで一つ、特筆すべき利益をトルコが得ていることに触れて、本書を閉じることにしよう。

シリアやイラクの混乱という事態に隣国として対峙するトルコは、これらの国からの頭脳流出によって、むしろ多大の恩恵を受けているのである。とくにシリアでは、ほとんどの大学が機能せず多くの教員がトルコに逃れている。さらに、層の厚い在野のイスラム学者、スーフィ各教団の指導者たちも大挙してトルコに入った。シリア人教員で、トルコ語ができるか、あるいは英語などの外国語ができる人たちには、工学系や医学系でトルコの大学に就職する人もいる。イスラムの学識に秀でている人たちには、イスラム組織のネットワークのなかで活動を続けている人もいれば、エルドアン政権の庇護下で安心して研究を続けている人もいる。いまやイスタンブールはイスラム学の中心となりつつある。

これまで、トルコでのイスラム学の研究は、法学であれ、神学であれ、トルコの教育制度がアラビア語とアラビア文字を排除してしまったために、大きな困難があった。建国の父アタテュルクは、近代国家トルコ共和国を建設していく過程で、アラビア文字を使っていたオスマン語を廃したのである。全てラテンアルファペットで書かれるようになり、トルコ人は、わずか一〇〇年前の文化遺産を失ったのである。一般のトルコ人は、オスマン帝国時代の学術書であれ、文学であれ、法律文書であれ、イスラム学の書であれ、何一つ読むことができなくなっていた。それが今、シリア人学者の流入によって、アラビア語が学問言語として蘇り、それにともなってオスマン語を取り戻す努力に拍車がかかっている。

このことは、九世紀から一〇世紀にかけて、異端として排除された西アジアのキリスト教徒だちが、逃避行の末に、イラクのバグダードにやってきて、アッバース朝カリフの保護の下、大翻訳運動を実践して、古典古代のギリシャの諸学をイスラム世界にもたらしたことを思いださせる。アッバース朝七代のカリフ、マンスールは首都のバグダードに「知恵の館」という今日で言う大図書館と大学を兼ね備えたような知の集積を実現した。アリストテレスも、プトレマイオスも、ヒポクラテスもユークリッドも、ここでギリシャ語や古代シリア語からアラビア語に翻訳され、以後、ヘレニズムの諸学でさえ、アラビア語で学ばれる時代になったのである。いま、それがイスタンブールで再現されようとしている。

私には、もはやその知的興奮を学徒として追体験する力はない。だが、これからイスラムに関わる諸学を学ぶには、イスタンブールが最良の地となっていくだろう。かつてシリアのダマスカス大学に留学していた三〇年前、ダマスカス南部のミーダンという保守的なスンニー派学者の集まっている旧市街を何度か訪れた。万巻の書に埋もれるようにして、信徒の疑問に答え、イスラムの学問的追究に一生をかける老師たちの何人かと出会った。イスラムが政治運動と化した瞬間、アサド政権は苛烈な弾圧を加えるが、静謐のなかで継承されていくイスラム諸学の伝統は、確かにシリアに生きていたのである。その膨大な知の集積が、いま、イスタンブールに移りつつある。このことは、軍事政権の監視下に置かれ、徐々に御用学者の力が強まっているエジプトのアズハル大学をも凌駕する可能性を示唆している。目下のところ、エルドアン政権はこれらのイスラム諸学を輸入することに積極的な姿勢を示している。国内の西欧化論者、とりわけ西欧的な人文知こそ近代化の証だと信じてきたトルコの学者たちに、イスラムを基軸とした諸学をぶつけるには最適の環境が用意されつっある。シリアから逃れたイスラム学者に庇護を与えることで、エルドアン大統領は、結果として、アッバース朝のカリフと似た役を演じることになったのである。

トルコ語がアラビア語とはまったく異なる言語であったがゆえに制約されてきた、トルコのイスラム的学知の集積は、シリア、イラクの内戦を奇貨として進んでいくことになるだろう。このことによって、「イスラム国」のバグダーディのように、実体のないカリフを名乗らずとも、実体的にはエルドアンがカリフ的存在となる可能性が出てきたのである。スンニー派アラブの盟主サウジアラビアの弱体化、軍事クーデタによってイスラム諸学の発展を阻害したエジプト、世俗的なアサド政権によって国家が崩壊寸前のシリア。政治的に見れば、程度の差こそあれ、西欧近代国家、領域国民国家を擬制としてきた中東の国々は、その存続に困難を生じている。そして、中東諸国が崩壊の危機に向かったことで、逆にトルコは西欧的領域国民国家の体裁は維持しながらも、これまでに類例のないイスラム的統治を志向する新たな国家へと変貌を遂げていくのではないだろうか。

そのことを予見する事態が二〇一五年一一月から一二月にかけて続いた。一一月二四日、卜ルコ軍機が領空侵犯を理由に、シリア空爆を続けるロシア軍機を撃墜した。シリア領北部、卜ルコ民族のトルクメン人が生活している地域をロシア軍が空爆していたことに、トルコ政府は怒りを募らせていた。ロシアは、「テロとの戦争」を謳い「イスラム国」を主たる敵として攻撃しているとしながら、実態としてはアサド政権に抵抗する反政府勢力を叩いてきた。トルクメン人も反政府勢力の一つであった。撃墜事件の後、トルコとロシアの関係は悪化したが、エルドアン大統領、プーチン大統領共に、一歩も譲らず相手を非難し続けた。ロシアはトルコが「イスラム国」から石油を密輸していると非難した。密輸業者が何度も捕まっていたから、二〇一四年終わりぐらいまでは事実だっただろう。だが、有志連合軍の一員として、対「イスラム国」作戦に参加した今、それはかなり難しい。「イスラム国」が支配しているシリア領内の油田からの石油は、アサド政権側に売られていると、トルコ側は反論している。ロシア国防省は、記者会見を開いて大量のタンクローリーの衛星写真を証拠としたのだが、今度は、北イラクのクルド地域政府が、あれはうちの石油の運送だと発言して事態を混乱させた。

ちょうど同じころ、トルコ軍がイラク側に越境して、「イスラム国」が支配するモスルの周辺に入っているとイラク政府が激しく非難しはじめた。いったい何が起きたのか。クルド地域政府の民兵組織ペシュメルガを訓練するために、トルコ軍が協力していたのである。かつて、クルド地域政府から武器などがPKKに流れていることで、両者の関係はしばしば緊張した。しかし、今、「イスラム国」を掃討するために実際に動けるのはペシュメルガしかない。イラク政府軍は、そもそも一四年に「イスラム国」が台頭したとき、モスルを捨てて簡単に退却した。米国も地上部隊を投入したくないから、ベシュメルガを後押ししている。トルコ軍は、有志連合の一員としてついに地上部隊を送って、ペシュメルガの支援に乗り出したことになる。トルコ政府とクルド地域政府が緊密に協力するというのは初めてのことである。しかも、クルド側が頭を下げた格好となった。なぜなら、彼らは陸路でトルコに送らない限り、イラク北部の油田から産出する石油を売ることはできないのだ。

ロシアが「イスラム国」の石油はトルコに密輸されていると、大上段に非難したのは失敗だった。これを言うと、クルド地域政府がトルコ経由で石油を売っていることも「密輸出」になってしまうのである。イラクの中央政府は、クルド地域政府が独自に石油を売りさばいていることを認めていない。クルド勢力は、独自の財源確保のために是が非でも石油を売らざるを得ないから、アメリカの支持を受けながらトルコに石油を運んでいる。アメリカも、「イスラム国」掃討作戦に貢献するクルド地域政府を支援し、トルコにも軍事支援を要請したことになる。

一二月に入ると、EUがトルコとの間に、いくつかの画期的合意に達したと報じられた。①難民流出の抑制、②三二億ユーロにのぼる難民対策資金のトルコヘの提供、③トルコ国民に対するEUへのビザなし渡航、が主な内容である。これでトルコはEU加盟をしなくても実を取ったことになる。ビザなし渡航ということになれば、実質的にシェンゲン協定の加盟国と同じ扱いになる。そこまでEUが譲歩したのは、途方もない数の難民をトルコに押し戻したいという切実な欲求があるからである。トルコは、難民のおかげで労せずして、最も望んでいたビザなし渡航を勝ち取ってしまった。しかし、私は、これらの合意が実現するかどうか、疑問をもっている。最近のある調査によれば、トルコ国民の八%程度が「イスラム国」に同調的だと言われている。数にして五〇〇万人もの人が「イスラム国」に同調しているのに、ビザなし渡航を認めることは現実的ではないだろう。一一月一三日に、パリは凄惨な同時多発テロ事件を経験したばかりである。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 支配民族のい... イベリア半島... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。
数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。