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誰も知らない世界のことわざ 

『誰も知らない世界のことわざ』より

ハンガリー語 彼は、めんどりがアルファベットを知っている程度にはそれを知っている。

 これは、ある人がその話題についてまったく知識がないということを、少しだけ控えめに言った表現です。実際には「何もわかっていないから良い情報源にはならないだろう」ということです。日本のことわざに「最高の真理を得るためにはイロハからはじめよ(=千里の道も一歩から)」というものがあります。でも、めんどりがーまあ、最高の真理の持ち主とは思えませんが一一イロハさえよくわかっていないことは明らかです。ところが、実はニワトリはとても賢く、あきれるほど好奇心の強い鳥です。彼らは飼い主の人間についてまわり、庭仕事をしたり洗濯物を干したりしているのをじっと観察しては、お目付役みたいにふるまいます。ですから、めんどりが字を読めなくてよかった。この失礼なことわざを知ったら、きっと気分を害して、くちばしをツンと高くつき出すことでしょう。

ラトビア語 小さなアヒルを吹き出す。

 もしあなたが口から小さなアヒルを吹き出していたら、あなたは「くだらないことをペラペラと話している」もしくは「嘘をついている」ということになります。ですから、ラトビアの人に「小さなアヒルを吹き出しているね」と言われたら、あなたが真実を語っていないことをわかっているよ、と言われていることになるのです。今、バルト語派の中ではラトピア語とリトアニア語だけが残っていて、ほかは消滅してしまいました。けれども、言語学者たちはバルト語派に特別の興味をもっています。それは、インド・ヨーロッパ語族の祖先で、紀元前3500年ごろに話されていた古代言語の要素が、まだ残っていると考えられているからです。

フィンランド語 熱いおかゆのまわりを歩く。

 猫が、ゆったりとおかゆのまわりを歩いています。本当は、麦とミルクの入った熱いおかゆに足をつっこんでみたくてしかたないのですが、熱すぎてできないのです。そのかわりに、猫はおかゆのまわりをゆっくりゆっくり、全然時間がすぎないなあ、と思いながら回っています。これを人間にあてはめると、「何かにとても興味をもっているか、もしくは何か言いたいことや、したいことがあるのに、実際には近づいたり言ったりしない」人を意味しています。たぶん、彼らはおじけづいていて、ちょっぴり苛立ちを感じながらも行動すべきときを待っているのです。この表現は、英語のTo beat around the bush.(やぶのまわりをたたいて獲物を狩りたてる)つまり「重要な点に切りこまず、遠回しに探る」という意味のことわざを思い起こさせます。

ヒンディー語 ジャングルの中でおどるクジャクのダンス、誰が見た?

 とても有名な、哲学の命題があります。もし森の中で木が倒れ、誰もその音を聞かなかったとしたら、木は音を立てたと言えるのでしょうか? 私たちは何世紀もの間、こんな問いかけをする哲学者たちに悩まされてきました。そして、人間が真実を見据え理解するとはどういうことかを考えさせられてきたのです。このヒンディー語の表現もほぼ同じ意味です。でも、こちらのほうが現代人にはピンとくるかもしれませんね。「目撃者がいなくても価値があると言えるの?」「おどるクジャクが評価されるためには、公衆の面前でおどらなければならないの?」と問いかけているからです。けれども、おどるクジャクはそんなことは気にしないでしょう。きっと観客なんていらないはず。ひとりでおどるだけで満足にちがいありません。

アイルランド語 ブタの背中にのっている。

 ブタの背中にのっていたらきっといい気分でしょうね。すべてが順調で、豊かに暮らしている、そんな感じです。つまり、このことわざは「幸せで、人生に成功している」という意味で使われます。アイルランドでは17世紀ごろから使われはじめたようで、英語で書かれたものは19世紀ごろから見つかっています。このことわざと英語のpiggy-back(ブタの背中=おんぶする)やhigh on the hog (ブタの背に高くのる=分を超えたぜいたくをする)との間には、あまり関係はないようです。こんなふうに、互いにはっきりした関係がないのに、ブタに関する表現がたくさんあるのは、それほどおどろくことではありません。それくらい何世紀もの間、私たちは農業をしながら、ブタと共に暮らしてきたからです。

マルタ語 目が私について行った。

 もし、あなたの目があなたについて行ったとしたら「あなたは眠ってしまった」ということです。マルタ語は、マルタ島に住む50万人ほどの人々、そしてオーストラリア、イタリア、アメリカなどに移住した数千人の人々にも話されている言語です。マルタ語の語彙の半分は、イタリア語やシチリア語などにルーツをもち、また英語も20%ほど含まれています。つまりいろいろな言語が混ざり合っているのです。眠りにつくときは、マルタ島であれ、フィンランドやトンブクトゥであれ、とにかく目を道連れにすることが大切です。もし、それができなければ、よく眠れなくてリフレッシュできないでしょう。

アラビア語 ある日はハチミツ、ある日はタマネギ

 You win some、you lose some、(勝つときもあれば、負けるときもある)ということわざを知っていますか? このことわざのアラビア語版は、ハチミツとタマネギでたとえたもの。ずっとおいしそうでしょう? でも実は、とても合理的な処世術です。あるときにはとてもうまくいき、またあるときには悪いほうへいく。おそらく幸せは、その2つの間にあるのです。つまるところ、人生は予想のつかないもの。いつも奇妙で、タイミングの悪いことの連続です。でも、同時に、人生は切ないほどに美しく、この世界はありとあらゆる方法であなたを助けてくれようとします。だから、ある日がもしタマネギのように辛い一日であったとしても、私はだいじょうぶです。

ガー語 水を持ってきてくれる人は、そのいれものをこわす人でもある。

 「ガー」は、ガーナの一部族とその言語の名前です(ガーナの政府公認言語のうちのひとつです)。ガーナにはむかしから、井戸や川まで長い距離を歩いていく習わしがあります。ですから、水を汲みに行く人こそが、水を入れる土器を最もこわしがちだということです。ここには、「助言することがないときや、手伝うつもりがないときは、何かを成し遂げようと努力して、その最中にうっかリミスをしてしまった人を批判すべきでない」という意味がこめられています。努力するのをやめて家に閉じこもっていれば、間違いやミスを減らすことはできるでしょう。でもそうしたら、思いがけないことに出会うことも楽しみも奪われてしまいますね。そう思いませんか?
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