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ドラッカーと生涯学習

『ユダヤ人の歴史と職業』より 生涯学習を求めて−−聖書よりピーター・ドラッカーまで

ホロコーストを逃れて流浪や移民を体験したピーター・ドラッカーは、ヒトラーのような全体主義に抵抗するために、自律した組織や自律した個人を創造する重要性を説いた。彼の経営学の根本には、全体主義への抵抗が横たわっているのである。その意味で、自伝的な『傍観者の冒険』(一九九四)で述べるように、個人の独自性、社会の多様性を重視する態度が、彼の全著作を貫いている。また、ドラッカーの人文科学への関心が、彼の経営学を血の通った内容にし、豊かな響き合いを生み出しているのである。組織の経営、そして各人の生涯の運営を図る上で、ドラッカーは味読すべき貴重な思想家であると言えよう。

まず、各自の学習を伸ばしてゆく際、弱みを是正し強化してゆくという考えもあるかもしれないが、それはおそらく犠牲的な努力が多い割には、非効率的であろう。やはりドラッカーが述べるように、強みを活用してこそ、人は効率的になれるのである。強みを伸ばしてゆく中に、手ごたえを感じ、やること自体に楽しみを覚えるであろう。そうすると物事は良い方向に回ってゆく。組織においても、各人の強みを発揮する方向が、結局、組織全体の生産向上へと向かってゆく。教育現場においても、各生徒の強みを伸ばす学習方法が成果を挙げるであろう。
ドラッカーによれば、教育の使命とは、各生徒の強み、好み、才能を見出し、それを伸ばすよう助けることである。定量の情報を無批判に覚えるよう指導して、その暗記の度合いを推し量ることではない。そうした教育から創造の芽が伸びることはない。各生徒が熱中できる対象を見出し、それに没頭し、ある年齢に至ればまとまった成果を得られることが理想であり、その過程で、核となるものを強化するために、周囲の裾野を広げるように努めてゆければ、さらに効果的である。

『傍観者の冒険』で回想される小学校の恩師は、ドラッカーに強みを尋ね、それを伸ばすよう指導してくれた。彼は、この先生たちにお礼を述べ、後年その恩返しをしている。また、『アジアのドラッカー』(一九九五)においては、若いときに熱中できるものを見つけ、それに没頭して気がついたらノーべル賞候補にまで成長していた、という逸話が含まれている。若いときに熱中できる対象を見出し、それに没頭できる人は幸せである。いっぽう、熱中するものがわからず、ただ偏差値の高い学校へ入ろうと目指すことに何の意味があろうか。そうした勉強は、結局、「甘美」ではなく苦行となり、勉強嫌いを作ってしまう。ドラッカーは言う、知識労働者の社会においては、偏差値教育など役に立たず、ましてや、学校卒業と共に勉強を放棄するようでは、労働者としても無益であると。また、受験教育が生涯学習に携わらない勉強嫌いを大量に作り出しているとすれば、国家の存亡に関わってくると。
ちなみに、ノーべル文学賞候補と目される村上春樹の作品には、卒業後に多くを学んだという作家自身の体験を反映してか、充分な正規教育を受けずに、きわめて優秀な人間に成長している例が少なくない。たとえば、科学者の娘は、六歳のときからずっと登校していないが、それでも四つの外国語を操り、楽器を演奏し、通信機を組み立て、航海術や綱渡りも習い、料理や射撃も得意である(『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』)。また、図書館に勤める大島さんの場合、必要な一般知識を読書によって獲得したという(『海辺のカフカ』)。さらに、『ねじまき鳥クロニクル』に登場する笠原メイやシナモンは、正規の教育機構から外れているが、かえって興味深い人間になり、その才能を伸ばしている。ドラッカーは、前述したように、小学校の教師に強みを伸ばす教育を受けたが、その後、学外で学んだものが多いという。学校は基礎知識を与えてくれる場所であるかもしれないが、各自が強みを発揮し、際限なく伸びてゆこうとするならば、テーマに沿った生涯学習が有効であり、生涯学び続ける姿勢こそが、各自の潜在能力を最大限に伸ばす要因であろう。

そうした生涯学習の過程で、ドラッカーが実践したように、「一年ごとに新たな題材」を取り上げ、それを集中的に学び、自己の核を取り巻く裾野を広げてゆくことは、きわめて大事である。ドラッカーは経営学という核を豊かにする意味で、裾野の拡大を試みたのである。それによって彼の執筆内容も豊穣なものとなった。裾野の拡大によって、テーマが幅広くなり、新たなテーマも加わったことであろう。加えて、彼が経営相談、執筆、教育の三領域の響き合いを大切にしたことも、それぞれの豊かな内容となって現れている。ドラッカーは、生涯に四十冊以上の本を書いているが、その中の二十四冊は「還暦後」の仕事であったという。研究者としての長命の秘訣は、堅固な核と裾野の拡大にあると思われる。

短期と長期のテーマを一〇年先、二十年先まで設定し、そのファイルを準備し、関連情報を折に触れて挿入してゆく。そこで現在読んでいる文献が、十年先のテーマに役立つこともあろう。時間管理の観点から、これは効率的な方法である。十年先、二十年先を考えて、現在の学習を行なっていれば、その学習は体系的なものとなり、些事に時間を浪費することは減ってゆく。

ところで、『ドラッカー三六六日』(二〇〇四)において、知識労働者がその生産性を挙げるための六つの要件をドラッカーは挙げている。それは、仕事の内容の吟味、自律性、絶えざる革新、生涯学習、仕事の質と量、所属する組織にとって大切な宝と見なされること、である(同じ組織に属する同僚の関心領域を知ることと、その中で自らの領域がいかに組織に最大の貢献を成しうるかを問うこと。それは、組織全体の、そして知識労働者の、生産性を挙げる上で重要であるという)。

「知識労働者の効率性を最も体系的に最も首尾よく向上させた国や企業に、経済の指導力が移ってゆくであろう」(『機能する社会』)とドラッカーは言う。知識労働者の養成には、問いかける学習、テーマを探求する学習、核およびその周辺を固める学習、そして生涯学習が求められよう。
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