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『西洋の没落』の成立について

『西洋の没落』より

最後に、個人的な心覚えを加えることを許されたい。一九一一年に自分は、現代の若干の政治現象と未来におよぼすその帰結とについて、もっと広い視野から何かをまとめようと企てた。当時、歴史的危機は、第一次世界大戦という、すでに不可避的となった形を取って間近に迫っていた。そこで問題は、この大戦を過去の数世紀--数十年ではなく--の精神によって理解することであった。最初の小さい著作に従事しているうち確信がわきあがってきた。すなわち、この時期を真に了解するには基礎となる範囲を非常に広く取らなければならないということ、その結果のより深いあらゆる必然性を放棄しようとしない限りは、この種の探究の対象を一つの時期に、またその時期の政治的な事実に制限したり、これを実用的な考察の枠のなかに止めたり、純粋に形而上的な、最も超越的な観察さえも放棄したりすることは、まったく不可能だということ、この確信である。明らかとなったことは、一つの政治問題というものは政治自身からは理解され得ないということ、また深い奥底に活動している本質的特徴かしばしば芸術の分野においてだけ--その上、ずっと縁の遠い科学思想と、純然たる哲学的思想との形をとって具体的に現われるということ、これである。十九世紀は二つの強力な遠くにまで見える出来事--その一つは、フランス革命とナポレオンとによって、百年間にわたって西欧の現実の像を決定した出来事であり、もう一つは、ますます加速度的に近づいてきた、少なくとも同じに重大な出来事である。--の間の緊張した平和の時期である。この十九世紀末葉の政治的社会的分析さえも、結局、存在のあらゆる大問題の全範囲を含まない限り、おこない難いことかわかった。それは歴史的な世界像においても、自然的な世界像においても、そのなかにすべての根本的な傾向の全体を体現していないものは二つもないからである。そこで本来の主題は、非常に拡大されてきた。無数の予想外な大部分は全然新しい問題と関連とが湧きあがってきた。最後に、完全にはっきりしたことは、歴史の一断片でも、世界史一般の秘密か、より正確にいえば、規則的な構造を有する有機的統一体としての高度人類の歴史の秘密か明らかにされない限り、ほんとうに明らかにされたとは言い得ないということである。そうしてこのことでさえも、今まで少しもなされたことかなかったのである。

自分は、現代をー近づきつっあった第一次大戦を--全然違った光で見た。歴史家は、国民感情や、個人の影響や、経済的傾向に基づく偶然的事実に、ある政治的な、あるいは社会的な原因結果的公式を当てはめて、それに統一と事柄の必然性という外形を与えるが、この第一次大戦はもはやこういう偶然的な事実の一度だけの状勢ではなく、歴史の一転換期の型であった。この転換期は、正確に限定されうる範囲を持つ大きな歴史的有機体の中で、一つの生涯として、数百年以前から予定されていた位置を占めていたのである。この大きな危機の特徴を示すものは、無数の非常に情熱的な疑問と見解とである。それらは今日、数千の書物や意見となって出ているかまとまりもなく、パラパラで、専門分野の狭い立場からのものであるため、刺激させ、落胆させ、紛乱させはするか、解放することはできなかった。これらの疑問は認められるのであるか、それらの同一性は看過されている。自分は、形式と内容、線と空間、図画と色彩、様式の概念、印象主義、ヴァグナー音楽の意義などに関する論争の基礎である芸術問題を挙げるか、その芸術問題は、その根本的意義において、全然理解されなかったものである。また自分は、芸術の衰退、科学の価値に対する疑惑の増大、農村に対する世界都市の勝利から生ずる無産児・離村等の重大問題、浮動している第四階級の社会的位置、唯物論・社会主義・議会制度の危機、国家における個人の位置、私有財産問題とそれに伴う結婚問題を挙げる。上べからいうと、まったく異なる分野に属するものとして、神話と信仰とについて、芸術・宗教・思想の起原についての大量な民族心理的著作を挙げる。これらの著作はもはや観念的に取り扱われないで厳密に形態学的に取り扱われたものである。--これらの問題はすべて今まで決して十分明瞭に意識に浮かんでは来なかった歴史一般の一つの謎を目標としていた。ここにあったものは無数の問題ではなく、いつも同一の問題であった。ここでは誰もそうだとは予感していたか、しかしその立場か狭溢なために、ただ一つである包括的な解決を発見しなかった。その解決はニーチエ以来、漠然としてではあるか、あることはあったのである。ニーチエはすでにあらゆる決定的な問題を手にしていたか、ロマン主義者として、厳しい現実を直視することをあえてしなかったのである。

しかし、その中にこそこの確定的な説の深い必然が存しているのである。それは来なければならなかった説であり、そうしてこの時期だけにくることができた説である。それは現存している思想と著作とを攻撃するものではない。むしろ過去数代にわたって探究され、なしとげられたことをすべて確証するものである。この懐疑主義は、あらゆる個々の専門分野にわたって、その意図かどうであろうと、真の生きた傾向として存するものの全内容を明らかにするのである。

だがとくに、最後に残ったものは歴史の本質を把握することのできる対立である。すなわち歴史と自然との対立である。繰り返していうが、人間は世界の要素および担持者として、ただ自然の一員であるばかりでなく、また歴史の一員でもある。歴史とは、自然と異なる秩序と異なる内容とからなる第二の宇宙であるか、形而上学はすべて第一の宇宙のためを図り、この第二の宇宙をないかしろにしていたのである。自分が、まずわれわれの世界意識のこの根本問題について省察したのは、現代の歴史家か感覚的に把握し得る出来事、すなわち成ったことを手探りして、それでもってすでに歴史、起こること、成ること自体を理解したと信じているのを観たからである。こういうことは、ただ理性的に認識するものすべての有する偏見であって、直観する者には存しないのである。この偏見は、すでに偉大なエレア派をして、認識する者にとっては、成ることは存在しない、有ること(成ったこと)かあるのみだと主張して困らせた、その偏見である。言葉を換えていうと、歴史は物理学者の客観的意識において自然と見られ、それにしたがって取り扱われたのである。自然研究者の習慣を模倣することか自慢となった。そこで時には、ゴシックとは、イスラムとは、ギリジャーローマのポリスとは、何であるかという疑問は起きても、一つの生きたもののこの象徴か、なにゆえにその時に、そこで、この形式をとって、この期間中に、現われなければならなかったかという疑問は起きたことはなかったのである。どの現象も、一つの形而上学的謎を出しているということ。それか決してどうでもいい時に現われるものではないということ。無機的な、自然法則的な関係とは別に、どんな種の生きた関係か世界像-―これは人間全体の放射であって、カソトの考えるように、ただ認識する人間だけの放射ではない1-のなかに存しているかをさらに調べなければならないということ。一つの現象か悟性にとっての事実だけでなく、魂の表現でもあり、ただ対象であるばかりでなく、象徴でもあるということ。その上、それか宗教的および芸術的の最高の創造から日常生活の些細なことにいたるまでそうであるということ。これは哲学的にはまったく新しいことであった。

こうして自分は大掛かりな、完全な内的に必然な解決を目の前にはっきりと見たのである。それは見出さるべきであって、今日まで見出されなかった唯一の原則に帰せられるべき解決である。この原則こそ青年時代から自分につきまとい、自分をひきつけていたものであり、そうして自分がその存在を感じ、課題として感じていたにもかかわらずこれを把握することができなかったがために、自分を苦しめたものである。それで本書は、新しい世界像の一時的な表現として、やや偶然的な動機から生まれたのである。それは最初の試みに伴う欠点はすべて持っているし、不完全であり、矛盾のあることはもとよりである。これは自分自身のよく知るところである。それにもかかわらず本書か二つの思想を、否定しえないまでに形づくっていることは、自分の確信するところである。その思想は、もうI度いうが、ひとたび述べられるや否や、決して論駁されないであろう。

したがって、より狭い主題は、今日、全地球上に広かっている西欧文化の没落の分析である。しかし目的は二つの哲学の展開であり、世界史の比較形態学という、この哲学に独特な、ここで検討されるべき方法の展開である。本書は当然の結果として二部にわかれる。第一部「形態と現実」は大きな諸文化の形態語から出発し、その起原の最も深い根源に到達しようと試み、こうして一つの象徴主義の基礎を得るのである。第二部「世界史的展望」は現実生活の事実から出発し、高度人類の歴史的実践から歴史的経験の精髄を得ようと試み、これに基づいてわれわれの未来を形成しようとするのである。
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