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日本人の低欲望化の傾向

『低欲望社会』より 日本が変わる最後のチャンス

一人っ子が加速させる「低欲望」化

 私は2007年に『大前流 心理経済学』(講談社)という本を書き、日本は国民の心理をコントロールすることが経済をコントロールすることと同義語になった世界最初の国である、と指摘した。もちろん、人々の心理や世論の動きというものは古今東西どんな社会においても重要なのだが、バブル崩壊後の日本では、「カネ、土地、人」という「繁栄のための武器」はすべて手の内に持っているのに、それを全く使おうとしない日本人固有の心理によって経済が衰退の一途をたどっていることに警鐘を鳴らしたのだった。

 今の日本人の家計の特徴をひと言で言えば、個人金融資産だけでも約1700兆円とGDPの3倍もあるにもかかわらず、時価の3%配当が見込める株式投資のほうには向かわず、雀の涙ほどしか利息がつかない定期預金に入れっぱなしになっているのが現状である。だが、これはどう考えても経済学的には非合理的な行動である。バブル期に株や不動産に投資して大きな負債を背負った苦い経験から、投資に関しては「莫に懲りて鱈を吹く」的な習性が身についてしまったのかもしれないが、とにかく多くの日本人が現預金をただ蓄え続けているのである。

 それに加えて、本書で論じてきたような日本人の低欲望化の傾向というのは、単なる経済現象というよりも、日本中のあらゆる面で表面化してきている社会現象と言ってよいと思う。たとえば、全国平均の空き家率が13・5%に達して過去最高になったとか、超低金利の住宅ローンがあっても借りる人が増えないといったことは統計上で表われているが、その背景にあるのは、「責任を取りたくない」「責任を持ちたくない」「自分自身の責任を大きくしたくない」という20代・30代の日本人の考え方である。そのため、会社に入ってもあまり出世したくないとか、結婚したらそれが重荷になる、家を買ったら一生借金で苦しむことになる--そんな考えが先に立つようになっている。私は今も世界各国を視察や講演で飛び回っているが、世界中を見渡してみても、こういう国民性は見たことがない。

 たしかに、1980年代のヨーロッパでは、それに近い光景を目の当たりにした経験がある。ポルトガルやスペイン、あるいは北欧諸国やスイスなどでも憂誉で退廃的な空気がたちこめていて、当時バブル景気に沸いていた日本やアメリカとは対極にある、〝斜陽〟国家の現実を垣間見る思いだった。

 しかし、そのヨーロッパもEUができてから大きく様変わりした。それまでは競い合い、いがみ合っていた隣国同士が同じ経済圏に集約された結果、日本はもちろんアメリカよりも巨大な経済力を有し、世界に対して影響力を持つようになった。個々の国の財政事情を見れば決して楽観できる状況ではないが、今やかつてのヨーロッパの憂僻な空気というのは、ほとんど感じられなくなっている。

 そんなEUの現状からすると、当時日本がアジアの中で圧倒的なリーダーシップを持っていたうちに、〝グレートアジア〟や〝日本円の経済圏〟を作っておけばよかったのに、と今にして思うが、そのチャンスはもはや失われている。それゆえに、今の日本の問題は日本だけで解決しなくてはいけなくなっているのだ。

なぜ変わらなくてはいけないのか?

 それでも私は、日本が抱える「低欲望社会」という課題は克服可能だと考えている。その鍵は、本書でも述べたような本格的な移民社会の実現だ。

 現在、日本の労働人口は毎年40万~60万人というペースで減っている。これだけの人口減少を移民で補おうとすれば、10年間で400万~600万人もの移民を受け入れていくことになる。発想や感じ方、生活習慣が全く異なる人たちがこれほどの規模で増えていけば、間違いなくこの国の風景は一変するだろう。

 だがもちろん、移民社会への移行は簡単ではない。

 欧米では、すでに多くの移民を受け入れているが、たとえば風刺週刊誌『シャルリー・エブド』襲撃テロ事件やパリ同時多発テロ事件が起きたフランスのように、イスラム系人口だけでも総人口の10%近くまで増えてくると、様々な社会問題が噴出してくる。それらを想定して、移民のための学習環境や住環境、あるいは雇用・資格制度を整備していかなくてはならず、決して一筋縄ではいかない問題である。それでも、そこまでやらなくては今の「低欲望社会」は変わらないと思う。

 なぜ変わらなくてはいけないのか? 〝狭いながらも楽しい我が家〟で、皆が貧しくとも平等に生きていければよいではないか--という意見も聞こえてきそうだ。

 だが、島国である日本は、諸外国に比べて同質性社会になりやすい。それは、非常に刺激が少ない社会であり、積極的に外の世界へと雄飛していく進取の精神に富んだ人間を生みにくくなる。その上、今後ますます本書で述べたような「内向き・下向き・後ろ向き」な若者が増えていくようになるのだ。それに加えて、ますます少子化が進展する中で、一人っ子家庭も増えている。一人っ子の彼らは、家庭の中でも競争することがないから、家の中で思う存分、自分の好きなことをやり、好きな時に飲み食いをして、ゲームやおもちゃを独り占めしている。いわば「低欲望社会」の縮図がそこにある。戦前、戦後の日本人にバイタリティがあったのは、兄弟がたくさんいて、競争しなければ食事にもありつけなかったからだ。また、長男以外は家を継げず、外に飛び出して食っていかなくてはならない環境の影響もあった。

 一方、同質的で内向きな社会は、その中に閉じこもっている分には居心地が良い。だが次第に幼稚化し、人間として退化していく。そうやって一人一人の目線が下がっていけば、必然的に社会や国家もまた弱体化せざるを得ない。そして、ある日突然、居心地が良かったはずの〝ゆりかご〟は、〝墓場〟へと変貌するだろう。いわゆる「茄でガエル現象」だ。

 それに対して、異能の人材がどんどん集まるような社会は、刺激に満ちて、向上心が個人のモチベーションを支えるようになる。端的に言えば、フィリピン人家政婦が日常にいることが当たり前になり、子育ても彼女たちに一部を担ってもらうような社会になれば、日本でもバイリンガルの子供がどんどん増えていくだろう。そうして育った子供たちは、いとも簡単に国境を越え、世界中で活躍するようになるに違いない。
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