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ホロコースト アーレントの本がなぜ重要だったのか

『ホロコーストに教訓はあるか』より アーレント

アーレントの本がなぜ重要だったのか。『イェルサレムのアイヒマン』は、歴史学の技法を尽くして書かれた本ではない。むしろ確実に、その反対だ。この本が熱い論争を引き起こしたのは、一九六〇年代、歴史学を学んでいる研究者に生の材料を提供したことと、広く聴衆に訴えることで、ヨーロッパ・ユダヤ人の殺害--当時の歴史の核心部分で熱い議論が行われていたユダヤ人問題--と結びつけたからだった。『イェルサレムのアイヒマン』は、たとえば、ナチスの殺害計画の規模やシオニストの活動家ユダヤ人評議会、戦後の正義といった多くの話題を広範囲に明らかにした。アーレントの怒りは行問から香り立ち、多くの若者を魅了した。それは、バークレー校の学生デモに参加した学生たちにとっては新鮮で、かつ心を挾るようなものだったのだ。アーレントは、西欧諸国ですでに自分の立ち位置を確立しているユダヤ人評論家たちの立場をさらに悪くしたことなど我関せずだった。「『イェルサレムのアイヒマン』は、アーレントの作品のなかでは最高傑作だ。痛みを伴う話題に正面から対峙し、権威付けされた陳腐な決まり文句に異を唱え、批判した人々だけでなく同調者にも議論を焚きつけた。特に、人々がこれまで受け入れていた安易な平穏をかき回したのだ」と私よりたった三歳年下なのだが、情熱家のトニー・シャットは述べた。これはアーレントに対して肯定的な見方だった。だが、反対する人々にとって、アーレントの仮定は我慢ならないものだった。ドイツ生まれのイスラエルの哲学者であり、ヘブライ大学エルサレム校でユダヤ神秘主義の歴史を研究していたゲルショム・ショーレムは、かつて賞賛していたアーレントを鼻であしらった。「ハンナ・アーレントは社会主義者で、思想の半分が共産主義者だった頃を知っているし、シオニストだった頃を知っている」と。ショーレムは、ヴァルター・べンヤミンやレオーシュトラウスと親しかった。ショーレムはヒトラーが首相になる前にベルリンにいたアーレントを知っていた。アーレントのことを「かつて深くかかわっていた運動のことを、何光年も離れた極度に高いところから見て話ができる能力があることにびっくり仰天した」と評価したこともある。このように捉えた人々がいるということは、かつてアーレントが問題提起し戦っていたときに、それに関心を寄せていた人々はほとんど中立的でなかった、ということだ。

アーレントはこのテーマについて、これまで受け入れられていた概念に挑み、アーレントらしい辛辣な言葉を使って、広く社会に議論を提起した。そのため、アーレントは冷徹で感情がないと評されることが多かった。「極悪非道のナチスというこれまでの概念の代わりに、『凡庸な』ナチスというイメージをアーレントはわれわれに示している。高潔なユダヤ人という概念の代わりに、悪の共犯者というイメージをわれわれに示している。有罪と無罪を対峙させる代わりに犯罪者と被害者の『協力』というイメージをわれわれに示している」-ノーマンーポドレツは「コメンタリー」誌でこう批判した。この裁判を通して高い評判を得たイスラエルの検事ギデオン・ハウスナーが、アイヒマンのことを何世紀にもわたりユダヤ人の歴史にダメージを与えてきた反ユダヤ主義を体現する者と捉えていると述べ、そしてハウスナーは「典型的ガリツィア・ユダヤ人」だとアーレントを痛罵した。(ウスナーの主張は「間違った歴史に基づいており、安っぽいレトリックを使っている」とアーレントは述べた。真の問題は、多くの中間層、すなわち、アイヒマンのように思考力のない官僚が、ナチ体制を動かしていたということであり、彼らが近代の全体主義体制に奉仕していた、ということにあった。アーレントはアイヒマンの考えを、極悪非道の悪意ある反ユダヤ主義イデオローグだとして切り捨てた。アーレントの見解--後世の歴史学者は受け入れ難い考え方だと付け加えたいが--によれば、アイヒマンはまったく「凡庸な」人物で、権力に目が眩み、出世欲があり、自分の行為の間違いを理解できなかった、ということになる。最後にアーレントは、ヨーロッパ中の「ユダヤ人問題」の「最終解決」のためにドイツ人が利用したユダヤ人行政官に次のような熔印を押した。すなわち、同胞を取り締まり、搾取し、一斉検挙し、移送して死に追いやったドイツの悪魔のプランを可能にした人々だ、と。これは「全体の暗い物語のなかで、最も啼淆たる一章となっている」とアーレントは挑発的に書き起こし、「品位のあるヨーロッパ社会にナチスが引き起こした道徳的崩壊の全体性が、ドイツだけでなくほとんどすべての国に、迫害する側だけでなく犠牲者側にもあること」を描き出した。

ホロコーストの歴史を意識し、関心を持っていた学生たちは、アーレントの思考を真剣に検討した。真剣過ぎるほどだったと言えると今では思っているが、アーレントが俎上に載せた問題が、トロント大学とバークレー校のホロコーストに関する正規の教育ではまったく欠けている、と感じたのは私だけではなかったのは間違いない。アーレントを批判的に捉えた人々--多くが批判的だったのだが--なかには、現代のユダヤ人問題について最も積極的に発言している作家たちが含まれていた(ホロコーストの専門家は当時ほとんどいなかった)。ライオネル・エイべル、オスカー・ハンドリン、ノーマン・ポドレツ、マリー・シルキンらだ。アーレントにはユダヤ民族に対する愛情が欠落していると非難したゲルショム・ショーレムと、アーレントは激しい公開書簡のやりとりを行った。そのなかでアーレントは、どの民族に対しても愛情など持っていないと回答した。愛情は友人に対して持つだけだと断言した。イスラエル人の迫害について助言した、ニューヨークに活動拠点を置くリトアニア生まれのユダヤ人官僚ジェイコブ・ロビンソンは、アーレントの間違いをテーマにして、『歪んだものを平らに』を出版した。題名はイザヤ書からとった一節だ。気質的にも、受けた教育からも、法律にこだわり形式を重んじたロビンソンは、アーレントの作品のなかに事実関係の誤りを数多く見つけた。しかしロビンソンはアーレントにまったく太刀打ちができず、論争を進めることができなかった。一九六〇年代半ばの三年間、激しい論争が行われ、その議論の多くが本になった。

これらがすべて、ホロコーストの歴史について無知だった私のような者にとっては、糧となった。イスラエルの外にいるユダヤ人にとって、アーレントの本に関連する裁判と論争は「がんじがらめになって一体化した」問題に発展したと、歴史学者のイディスーゼルタは述べている。今日でも、デボラーリプスタット教授かアイヒマン裁判について著しているように、この裁判のことをアーレントの分析から切り離して考えるのは難しい。このテーマは現在のユダヤ人が自己を定義するうえで重要であるばかりか、近代史の空白を埋め、理解するうえで決定的に重要な問題になっている、ということに私は気づいた。
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