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アラブ世界ハンドブック 変革と革命

『地図で見るアラブ世界ハンドブック』より 変革と革命 ⇒ トルコモデルはueからの改革であった。やはり、コミュニティからの改革を前面に出さないといけない。エジプトよりも下が優れていると感じた。エジプトの日本語ガイドのアムロさん、頑張って下さい。

隣接する「モデル」

 アラブ・ナショナリズムとイスラーム主義は、半世紀以上も前からアラブ諸国の政治の主流となっている。このふたつの潮流を体現しているのが、ナショナリズムのミシェル・アフラク、イスラーム主義のサイイド・クトゥブという思想家たちである。彼らの主張するイデオロギーは、一見すると大きく異なっているように思われるが、じつはそれほどかけ離れているわけではない。この闘争的なふたつのイデオロギーに共通する基盤の存在が、結局は同じアラブ思想の潮流に属していることを証明することになる。2011年以降、アラプ諸国のリーダーたちはふたつの大きな「モデル」を引きあいにだしている。つまりイランのモデルと、トルコのモデルである。

 イラン「モデル」

  イランのモデルは1979年にアーヤトッラー・ホメイニー(1902-1989年)が樹立した「イスラーム教の共和国」というモデルである。これはある程度の代表性を確保した近代国家であるが、権力のかじをとる宗教的指導者によって全面的に支配されている。このような「議会制神権政治」がイランで可能だったのは、イスラーム・シーア派(イランの多数派)には、霊的優位にたち、政治的リーダーとしても任ぜられる宗教指導者がいるからだ。しかし、スンナ派が多数をしめるその他のムスリム諸国では、このような宗教指導者は存在せず、世俗的な権力と精神的な権力を聖職者たちの手に集中させるつもりもない。それでもイランのモデルは、スンナ派イスラーム教徒の多くのリーダーたちの心をとらえてきた。イスラーム教政治がはじめて成し遂げた輝かしい成功だからだ。このモデルは今では疲弊して息もたえだえのように思われ、半世紀前からアラブ諸国で優勢だったかつての独裁政治と同じような問題と困難をていしている。

 トルコ「モデル」

  いっぽうトルコのモデルは、「ムスリムの民主主義」というモデルだ。現代トルコの国父であるケマル・アタチュルク(1881-1938年)の、かたくななまでに修正資本主義的で近代主義的な事業の成果が基盤となっている。アタチュルクは1920年代から30年代にかけて、トルコがヨーロッパの近代主義や進歩主義にくみしたと思われるような数々の改革をおこなった。このような徹底的な改革はアラブ諸国ではもうあり得ない。そのプロセスについても、明らかに望ましいものではない。なぜならこのモデルは、トルコ国内でも手放しの成功ではなかったからだ。社会的な力が選択したのではない方向へと強制的に導くものだったのである。革命はまず精神においてなされるべきだ。トルコのモデルは、時をおいてみると、軍によって管理された高圧的な改革論理にもとづく専制的なモデルであるように思われる。だからこのモデルはアラブ諸国にとって、完全な民主よ義の行使に向けたひとつのステップであり、過渡的段階にすぎないのかもしれない。

 カリフ制の「復活」

  2014年6月、ISIL[過激派組織「イスラーム国」]は、1924年にケマル・アタチュルクが廃止したカリフ制の復活を宣言した。イスラーム諸国全体から異議を唱えられたとはいえ、それはアラブ世界にまだくすぶりつづけている統一願望の強さをしめしていた。実際のところ、ナセル主義者やバアス主義者が推奨するアラブ・ナショナリズムによって、長いあいだ統一計画が進められていたが、これまで実現されたことはなかった。汎アラブ主義の体現者たち(ナセル、サダム・フセイン、カダフィ)は挫折したが、政治や経済が大きく動く時代には団結が力になるという考えを心のなかにうえつけた。現在このような統一の夢をいだいているように思われるのは、汎イスラーム主義である。19世紀の終わりにあらわれたこのイデオロギーは、共産主義の瓦解とアラブ・ナショナリズムの失敗が残したイデオロギーのすきまを利用して力ずくで復活しようとしている。

アラブ諸国の軍隊と治安機関

 2011年までは、アラブの政体は程度や形態の差はあれ、いずれも専制的、さらには独裁的だった。専制レベルはつぎの5つの要素にもとづいて定められる。統治者の出自=氏族出身であることが多い。競争のレベルは、多くは低い。行政権の制限は存在しないことも多い。市民参加には、つねに厳しい規制がある。抗議行動や公共の場での意見表明は、統制され、大幅に制限される。このような夕イプの政体をささえているのはたいてい軍隊か治安機関である。

 アラブの軍隊

  多くのアラブ諸国で軍隊は政治や経済の主要な要素となっているが、軍隊の性格や構成は国によってさまざまである。「アラブの春」で、その相違があらわになった。リビアやシリアのように体制側についた軍隊もあれば、チュニジアやエジプトのように民衆の立場に立った軍隊もあったのである。このようにアラブの軍隊にはさまざまなタイプがある。まず人民軍は、徴兵によって集められるので民衆と強い絆があり、民衆蜂起のさいに大殺戮を回避できることもある。次にプロあるいはセミプロの軍隊は、大半が職業軍人で組織され、独自の社会階層や階級を構成し、能力を誇りとし特権に執着している。最後に、ある民族や部族出身者からなる氏族的軍隊は、出身地や血縁関係にもとづく帰属や忠誠の論理が浸透している。

 治安機関

  世間の認識では、軍隊(al-jaysh)と治安機関とのあいだには本質的な違いがある。いっぽうは一般的に母国を守るものとして高く評価されている。もういっぽうは市民を抑圧する機関として嫌われている。アラブ諸国ではこの言葉そのもの(ムハーバラート)が恐れられている。なぜなら治安機関の権力には際限がなく、国外にいる離散者たちにも国境を越えて行使されるからだ。

  「アラブの春」以前は、チュニジアやシリアのように、たえず市民を監視していたムハーバラートの残忍さで知られていた国もある。その他のヨルダンやサウジアラビアのような国は、イスラーム主義者の監視とテロリストの追跡をおこなう機関の有能さで知られていた。アラブの体制は、どの国でも、威圧、強奪、不法逮捕、見せしめの拷問をもちいる警察国家だったし、いまだにそうである国もある。

  こうした人権に反するやり方のせいで法治国家とは名ばかりであり、個人の自由はそれを保証する法律や憲法があるにもかかわらず、ふみにじられていた。実際のところムハーバラートは、市民の包括的な監視をおこなう一種の治外法権であり、少数で大多数の人々を支配することを可能にしていた。

 テロリズムとの戦いと人権

  この20年間のテロリズムとの戦いは、全アラブ諸国で人権や市民権の侵害となってあらわれている。アラブ国家は安全上のリスクを利用して社会統制を強化し、重大な自由の侵害に関して西側民主主義陣営からの支持や、さもなければ黙認をとりつけている。こうした国家はアメとムチを同時に使い、テロリズムの脅威をちらつかせたり抑えたりしながら、技術支援をえたり、ときには外交的優位にたったりするすべを知っていた。こうした国家の本性に欺かれるものはだれもいないが、譲歩や妥協はおこなわれた。とはいえこのようなプラグマティズムは「アラブの春」で限界を露呈した。そして専制政治に対しておこなわれた現実政策の失敗を明らかにした。こうして政権移行への道が開けたのだが、それはまだ混沌としたものだった。
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