goo

紙の世界の変化

『紙の世界史』より 変化し続ける世界 ⇒ 電子書籍はグーテンベルクを超える変化を及ぼす。一冊の本からバラバラにされたコンテンツ。個人の視点で統合された、私的空間を作り出す。最終的に「知のカプセル」を生み出す。

変化が起こるときにはいつも、勝者と、敗者と、まったく影響を受けない第三者がいる。

一九六九年から一貫して紙の卸売りに携わってきたハリー・グールドは、紙ビジネスの未来についてこう語っている。「卸売り業者の数は今よりもずっと減るでしょうね。もっとも、スチールやアルミニウムのような商品の卸売り業者だと、最後の五業者に残れれば、そこそこ儲けることはできるんですよ」。グールドは製紙業界についてもいくつか予測を立てていて、小さな製紙会社は生き残るし、アート紙も安定して売れ続けるだろうという。「オフィス用紙の売上は年に三パーセントぐらい落ちるでしょうが、三パーセントならさほど深刻な数字ではないですし、競争が減れば価格が上がるということもありえます」。ビジネス用のレターヘッドの販売数は減っても、私信用の便隻、とくに高品質のリネン紙が使われた便僕は今後もよく売れるという。そしてグールドによれば、「おむつと紙袋は不況に強い」そうだ。

デジタル時代の勝者のなかでも大勝利を収めているのが、包装用のボール紙と段ボールである。オンライン・ショッピングの隆盛とともにパッケージ業界は活況を呈し、このことが歴史上はじめて、世界の製紙に占める「情報」用紙の割合が半分以下という事態を引き起こした。いや、正確には歴史上二度めだ。蔡倫以前の古代中国では、紙の用途のほとんどは包装だった。

ハリー・グールドは最後にこういった。「紙が消滅することはけっしてないでしょう」

たしかに紙は、多少の縮小はあったにせよ、今のところ、わたしたちの文化に確固たる地位を確保している。ミッチェル・ケイパーはいった。「現時点で、紙にはまだコンピュータ画面より優位な点がいくっもあります。まず折り曲げられること。寿命が長いこと。これは紙の特性を備えた代替物がないからです。わたしは、紙はこれからもずっとあると思っていますよ。永遠という意味ではありませんが」

紙にはもうひとつ利点がある。電子工学の専門用語を使えば「セキュア」、非常に安全性が高いことだ。電子メールにはハッキング、不正アクセス、改竃という危険がつきまとうが、紙にはその心配がない。アメリカ国家安全保障局(NSA)を内部告発したエドワード・スノーデンが、NSAによる一般市民の監視の実体をジャーナリストのグレン・グリーンウォルドに暴露しはじめたときに、ふたりが恐れたのは政府に通信内容を傍受されることだった。これは充分に根拠のある危惧で、会って話すことはできても、部屋が盗聴されている可能性もある。高度に暗号化された電子メールを送ったとしても、それすら安全とはいいきれない。結局、ふたりは座って手書きのメモを渡し合うことにした。紙なら破けるし、燃やせる。そう、紙のもうひとつの利点とは破壊のしやすさ--電子情報とは比べものにならないほどの--なのだ。

皮肉なことに、デジタル機器を使用したコミュニケーションが人間と文明にもたらす破滅的な影響について書かれた多くの紙の本が出版されている。それらの本は、わたしたちは記憶力や、ひとつのことを考え続ける能力や、じっくりと考えて、ひとつのアイデアから正しい道を探りあてる能力を失っていくと警告する。情報伝達の方法が口伝えから書き言葉へと変わったときにも、まさに同じ警告がなされた。プラトンやソクラテスが討論していたころの警告にもある程度の真実があったし、現代においてもまた同じくだ。携帯を片手になんでもかんでもグーグルで検索しようとする無礼な相手と会話していると、プラトンの『パイドロス』のなかでソクラテスがいっていたことが、とてもよく理解できる。「書かれた言葉というものは人々に忘れやすさの種を植えつけるだろう。人は書いてあるものに頼り、記憶力を働かせることをやめてしまう。もはや自分の頭を探ってなにかを思い出そうとはしない……そんなものは真の知恵ではないのだ」

「そんなものは真の知恵ではない」。インターネットから拾ってきた話を得々と披露する人を見るたび、そう思うのではないか? 検索エンジンに頼りきっている人を見るたび、書き言葉をあてにする人々についてプラトンが語った言葉がよみがえってこないか? 「彼らはいろいろなことを知っているように見えるが、ほとんどなにも知らない」。けれど、書き言葉が確立されても人間の対話と知の追求は続き、やがて書き言葉は便利であることが証明された。紀元前一世紀の詩人ホラティウスは「リッテラ・スクリプト・マネト」「書かれた言葉はとどまる」という言葉を残した。

デジタル時代に消えゆくであろうものを予測するまえに、口承文化が今も生き残っているということを思い出してみるのもいいだろう。新刊本の販売促進で最初におこなわれるイベントが著者による朗読会であったりするのは、人には耳で聞いたものを読みたくなる傾向があるからだろう。オーディオブックも人気となっている。

今なお受け継がれている口承の伝統はたくさんある。アフリカの語り部。特異なリズムとライムで即興の歌詞を競い合う、トリニダードのカリプソ・ミュLンシャン。独特の覚えやすい韻律で死者のために唱える「カディッシュ」のような古代ユダヤから伝わる祈り。口承の伝統ではリズムとライムが記憶の補助に不可欠である。

バスク地方には「ベラチョラリ」と呼ばれる即興詩人が即興詩を競う伝統行事がある。バスクの詩歌もリズムと韻の踏み方が特徴的で、バスク地方の千四百人もの人が参加する行事だ。さらにいえば、どんな文化でも詩それ自体が、書かれた形で続いてきた口承文学の実例である。書かれた詩がもつ口承の特性を疑う同きには、アイルランドの詩人、ウィリアム・バトラー・イェイツ本人による詩の朗誦の古い録音を聴くことをお勧めする。

人間が生まれながらにして人とのつながりを求める生き物なのはあきらかだ。脳のなかには、人間をもっとも社会性の高い動物にしている部分、他者とつながりたいという欲求を起こさせる部分が存在する。わたしたちの脳はそのように進化してきた。遺伝コードにその部分が組み込まれていて、人間の進化につれて強まると思われる。つながりを求めるのは生存に利する形質だからだ。人間が話し言葉を、つぎに書き言葉を発明した理由はそこにある。さらに紙を、印刷を、電子機器を発明したのも同じ理由からだった。これは進化であって、革命ではない。

書き言葉については、発達の初期段階である絵文字や象形文字への回帰も見られている。道路標識、女性トイレや男性トイレの案内。デジタル・コミュニケーションにおいては、「エモーション」--感情を表す「エモーション・アイコン」の略--と呼ばれる顔文字の活用も増加している。わたしたちはなぜ発達の初期段階の文字に立ち返ろうとするのか? なぜ「ハッピー」を意味する②のような感情の絵文字が、二+一世紀のデジタル言語にどんどん仲間入りしているのか? それは、変化と変化に対する抵抗はつねに手を取り合って進むからなのだ。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 『コーラン』... サファイア循... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。
数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。