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強い人間原理とマルチバースで決まりでしょう

『文明は<見えない世界>がつくる』より 宇宙論における人間原理と文明 宇宙原理か、人間原理か ⇒ ここにそれを証明する観察者がいるのに!

宇宙はなぜこのような宇宙なのか

 我々のいる宇宙がどういった宇宙であるかが、マクロの世界においてもそしてミクロの世界においても明らかになればなるほど、科学者たちはある疑問を持たざるをえなくなります。その疑問とは「宇宙はなぜこのような宇宙なのか」という疑問です。宇宙のことが明らかになるということは、筆者の言葉でいえば、〈見える世界〉の奥に潜む〈見えない世界〉が数式などで記述できるようになるということです。それはすなわちこの宇宙の特性が、数学で示せるということです。具体的には光の速度、あるいは電子の質量など素粒子の標準模型に登場する基本的点状粒子の特性、あるいはブランク定数、重力定数などを用いた方程式で示せるということです。そこには基本的な四つの力の存在と、その強弱の程度も含まれています。

 ではなぜ物理定数がそのような値でなければならないのか? その値に何か特別な意味があるのか? 科学者はそう考え始めたのです。「たまたまそうなのだ」という考え方もあるでしょう。しかし物理学者は「たまたま」という考え方は拒否します。それは神が決めたのだということと同じことで、思考がそこで停止するからです。何らかの理由があるからだと考える根拠も指摘されています。

 じつは「たまたま」選ばれた数字の間に何らかの関係性があったのです。そうなると、もはや「たまたま」ではすまされなくなってきます。そのことを明確なかたちで示したのが、オーストリア生まれの数学者・宇宙論学者のハーマン・ボンディです。ボンディはミクロな世界の物理量、我々サイズの世界の物理量、宇宙の性質に関わる物理量から、基本となる物理量七つを選び出します。電子の電荷と質量、陽子の質量、重力定数、光の速度、宇宙の物質の平均密度、ハッブル定数の逆数です。それらを組み合わせていくつかの量を作っていくなかで、驚くべき「奇妙な偶然の一致」を発見します。英語ではこれを「コインシデンス」と言います。

 彼はこれら七つの定数から、四つの無次元数を作りました。この場合の次元とは単位のことです。つまり単なる数という意味です。電磁力と重力の比、宇宙の半径と古典的な意味での電子の半径の比、宇宙の質量と陽子の質量の比(陽子の個数)において、いずれも四という数字が現われてきたのです(ちなみに、最後の比は、その数字の二乗というかたちで登場します)。ボンディは四つの無次元量を作りましたが、四つめは他の三つから導けるので、ここでは省略します。

 いずれの比も、マクロの世界とミクロの世界の比較という性格をもっています。したがってこのコインシデンスが示す可能性は、ミクロの世界とマクロの世界が分かち難くリンクしているということです。もっといえばミクロの世界の特性が、宇宙全体というマクロな世界の特性を決めているということです。

 その後イギリスの理論物理学者ポール・ディラックも、このコインシデンスという問題に関心を寄せます。彼は宇宙の年齢と、電子に特有な時間(その古典的半径を光が通過するためにかかる時間)との比にも同様のコインシデンスを見出しました。このコインシデンスの意味するところは、宇宙の年齢が三つの基本的な物理量により決まるということです。その結果コインシデンスという問題は、ますます無視できなくなるようになります。それは、基本的物理量がおおよその宇宙の年齢を決めている可能性を、このコインシデンスは示しているからです。我々の生きているこの時代は何らかの意味で特別だということになります。ディラックはこのような考え方を受け入れず逆に、いつの時代でも同じであるべき、すなわち物理定数が変化していると考えました。今日、この考え方は否定されています。

強い人間原理

 問題は「強い人間原理」のほうです。カーターが、「強い人間原理」を説明するにあたって述べたのが、最初に引用した「宇宙は(それゆえ宇宙の性質を決めている物理定数は)、ある時点で観測者を創造することを見込むような性質をもっていなければならない」という言葉です。我々のような知性が存在するという条件を課すことにより、単に我々が出現した時期だけでなく、宇宙そのものが持つ性質を説明できるという考え方が、カーターの言うところの「強い人間原理」なのです。

 そこには観測選択効果の入り込む余地はなく、人間の存在は宇宙の性質を説明する際の必須の条件となります。人間を宇宙における特別な存在と位置づけることとなるこの考え方は、ある意味目的論の肯定であり、神を中心とした世界観の復活とさえなりかねません。そうした反発を見透かすかのように、カーターは、「強い人間原理」の説明のあとに、こう続けます。「物理定数の値や初期条件が異なるような、無数の宇宙を考えてみることには、原理的には何の問題もない」と。

 つまりこの宇宙が一つであった場合には目的論の誹りを免れないが、宇宙は無数にあるということを前提とすれば「我々は存在可能な宇宙に存在しているだけであって、この宇宙がこのような宇宙であるのは、たまたまである」ということになるのではないかと。「強い人間原理」と言われるものも、観測選択効果の一つに含まれ、目的論の対象にもなりえないというのです。カーターはそこまで視野に入れたうえで、人間原理という言葉を用いたということです。

 しかしカーターがこの論文を発表した一九七四年当時、この「宇宙は無数にある」という考え方は、単なる突拍子もないアイデアでしかありませんでした。可能性としてはゼロではないが、そのアイデアを支える理論も存在していなかったからです。ところが一九九〇年代に超弦理論が登場したことにより、多宇宙が宇宙モデルとして認知されていきます。そのような状況において、カーターの「強い人間原理」は、科学者たちの間で見直されることになるのです。
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