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時間の進み方がおかしくなっている

時間の進み方がおかしい

 無限ループに入るとイヤだなあ。この時間軸の遅さがどうしても気になる。そもそも、時間の進み方がおかしくなっている。<今>がどうなっているの。

 完全に、時間がおかしい。夜はたくさん寝たのに、時間が進んでいない。朝はちょこっとしかねていないのに、時間が経っている。

本のコンテンツをバラバラにする

 本を買うことも借りることもなくなる世界になる。目的である、知の力は増します。それはどういうことか。いまは、テレビは見ない。録画するけど、見ない。あまりにも、そこから探すことは大変だから。その代わりに、ネットに上がっている、ある人が抽出したモノを見ている。ある人はものすごく増えている。

 キーワードを入れておけば、その部分が出てくると同時に、その周辺も出てくる。同じことを本の世界で行なってきたことに気づいた。経歴は10年以上です。

 社会はこのように変わっていく。その時に、一人ひとりの努力で「本棚」システムを作ることになる。それを互いにオープンする。本のコンテンツは拡散する方にお金を出して行けばいい。それを集めて、著者に渡していけばいい。紙を使う本は消費であるから、もったいない。

本はもったいない存在

 そう考えると、本は本当にもったいないですね。紙を消費するわけだから。それを並べて場所とか保管場所がもったいない。ベルギーは木材がないから、紙がないから、本が無い。これは逆転しています。そういう意味では本をばらしましょう。そしてくっつけましょう。

バラバラにして再構成

 生ちゃんが好きなところは自由なところ。それを言われた時に、生ちゃんと生駒が言ったのは、センターをやり遂げた時に、一端、バラバラになって、それを再構成したと話していた。頂上を経験することで、先が見えてくる。

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OCR化した5冊

『シンガポールを知るための65章』 ⇒ リー・クアンユーに引っ張られてきた都市国家。シンガポール航空には乗ってみたかった。

 都市国家の形成 アジアの新たな試み

 コミュニティ・クラブ 「草の根」の管理機関から娯楽・奉仕活動の場へ

 シンガポール航空 小さな国の大きな翼

 リー・クアンユー シンガポール「建国の父」

『死ってなんだろう。死はすべての終わりなの?』

 死のほんとうの顔 ⇒ 137億年のスケールで自分の生を感じている。だから、時間のスケールの長さが気になる。何が起こるのか、何を起こすのか。

  わたしたちは皆、ずっとこの世に存在していたわけではない。ある日、この世に生まれてきた。だからわたしたちの背後には、わたしたちが生きていない、過去のとてつもなく長い時間の積み重ねがある。そしてわたしたちの前にも、わたしたちが生きることのできない未来がずっとつづいている。そのふたつの膨大な広がりのあいだに、わたしたちの誕生と死がある。そう、わたしたちの人生があるのだ。

  生きるためには生まれなくてはならないように、生きるためには死ななくてはならない。そこに死のもうひとつの顔があるのではないだろうか。恐ろしいだけではない、べつの顔が。

  これからは死について、べつの考え方をしてみてはどうだろう。最大限に生きるために、いつかやってくる死をうけ入れる。もしかしたらこれこそが、死への恐怖をのりこえるたったひとつの方法かもしれない。

『ヒトはどこまで進化するのか』

 宇宙で孤独に、自由に ⇒ 孤独が故に自由!

  人間という種の物語は私たちに何を告げているのだろうか。ここでいう物語とは、宗教とイデオロギーにどっぶり浸かった古めかしいバージョンではなく、科学によって認識可能になった物語のことだ。大量で明白な証拠から、次のことは十分に言えると私は思う。私たちは超自然の知性によってではなく、偶然と必然によって、地球の生物圏に存在する無数の種のひとつとして創り出された。そんなはずはないと思いたいかもしれないが、外部からの恩寵が私たちの頭上に降り注いでいるという証拠はなく、私たちに課された明白な宿命だの目的だのも存在せず、この世での生を終えたのちに第二の生が約束されていることもない。私たちはどうやら正真正銘の天涯孤独らしい。それは非常にいいことだと私は思う。私たちは完全に自由なわけだ。そう考えれば、私たちを不当に分裂させる不合理な信念の原因は、診断しやすくなるだろう。私たちの目の前には、昔はほとんど想像もつかなかった新たな選択肢がある。それらの選択肢が私たちにもたらすのは、人間全体の結束という史上最大の目標に今まで以上に自信を持って取り組む力だ。

  人間の存在について語ることは、人文科学と自然科学の違いにより明確に焦点を当てることだ。人文科学は人間同士の、そして人間と環境とのあらゆるかかわりかたに非常に細かく取り組む。環境とは、美的な面や実用の面で重要な植物や動物などをさす。自然科学はそれ以外のあらゆるものを扱う。人文科学の自己完結した世界観は人間のありようについては説明しても、なぜこうであって、それ以外ではないのかについては触れない。自然科学の世界観のほうははるかに大きい。人間の存在の意味--人間のありようの一般法則、人間という種の宇宙での位置づけ、そして人間がそもそも存在する理由--を網羅している。

『フォト・ジャーナリストの眼』

 マスードとの再会

 若者の心、イスラムの心 ⇒ 長倉さんが一番分かっている。相手が兵士だろうと。

 子どもたちの未来 ⇒ マスードが語ったように「教育」次第です。マスードは「銃よりも本」の方が武器になると。

『国家を考えてみよう』

 国家主義について ⇒ 憲法改正を狙っているモノは国家主義。国家という枠は「自由」のために作られたが、「自由」のために脱する時かもしれない。

  そこがゴールでいいわけでもない

  「国家主義」ってなに?

  「個人のあり方よりも国家」という考え方

  「代表者」と「指導者」

  「指導者」のいる国家

  国民を指導する国家と指導しない国家

  頭の中はまだファンタジー

  「国家」という立派な鎧

  国家主義は「変革」と相性がいい

  意外と身近な国家主義

  国家主義者は憲法を変える

  憲法という最高法規

  大切なことはちゃんと考えなければならない
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