jr大久保駅前ラーメン店 カムイ

大久保駅ホームから見える40年続く昔ながらの屋体の味のラーメン店
大久保の自然さくら紅葉電車の行き来き見られます。

jr大久保駅前から北に20m楽楽食堂と合体した中華料理のカムイ 40年来の屋台の味

2017-06-20 09:59:54 | 日記

jr大久保駅前から北に20m楽楽食堂と合体した40年来の屋台の味

スープを変えてみました、香り豊かな透明なスープでガンコ親父は勝負します。

 

明石北高に行く道沿いに昭和51年26歳で、6坪の店で創業、二年後大久保駅前のパチンコ店サンケイホールの前の古家を借り開店、区画整理でビルになり、その一階に再入店し約30年、バブルも弾け、パチンコも不景気になり、大久保駅西の線路沿いの今の店に移って八年になる。最盛期の四分の一程の売上しかありませんが、昔の味を守り、何より激動の40年を生き続けた名物店主を味わって下さい

この40年間いろんな事があった、忘れられない事件は創業して半年、知人と来た客と話していて「親父が死んで相続した店が有る、買わへんか」と誘われ、まんまと話に乗り、その物件を見に行ったり、知人に相談したり、そこがラーメン屋として儲かるか慎重に考え、1ヶ月後に契約し200万渡した、それは全く他人の持ち物で、気付いて警察に訴え、残金を払うからと刑事と張り込んで待ったが、来なかった。彼は詐欺の常習者で他にも何人も騙していた。何ヶ月後に捕まったが金は一銭も返らなかった。それからは契約に慎重になった。客商売の怖さを経験し、甘い顔を見せず、きちっと対応する事を覚えた。その後も寸借詐欺にあったり、ヤクザに脅かされた事は数え切れない程だ。

少しでも大久保駅に近づこうと駅から100メーターのビルの二階にラーメン屋の支店を出した、他人に任せるのも初めてだし、二階という事もあって、直ぐに駄目だと解った。失敗と解ったら直ぐ撤退すべき、後に解ったが、その時はもう少しやり方が有ると信じて模索する。二階だからラーメンではダメだ、若い女の子を置いてカラオケの店にした、一時的に客は来てくれたが、若すぎるという事で評判になったのか、警察官が見に来た、たまたま女の子が居なかったので帰った、二度目に警官が来た時に「これは犯罪なのか」と気づき、すぐ辞めさせた。あの時に捕まっていたら40年は続かなかっただろう、そのあとカラオケの店として又貸しし二三年続いたが。結局辞める事になり、家主から「元に状態のガランドウにしろ」と言われ、これ以上損をしたくないと思い自分で内装を壊していた。帰ろうとしたら下の店のシャッターの下から洪水の様に水が流れ出している。直ぐに水道管を破壊してしまった事に気付いた、家主に連絡し、水栓を止めてもらい、下の店の持ち主に何度も謝まりに行き、修理代に30万程渡して解決できた。人に頭を下げ続けなければならない辛さ、失敗はしたくないものだ。そして二階では店はしないと決めた。その時には三軒目の店をパチンコサンケイホールの前でやっていたので、気持ちは楽だったが、大きな挫折だった。

40年前の大久保駅は雑草の生い茂った原っぱや田んぼが沢山あって、飲食店も少なく、駅南は神戸製鋼の工場があり、朝夕だけ改札口が開いた、高丘団地が出来て人口も増えつつあり、活気に満ちていた。その駅前に出店するのは悲願であったが、困難を極めた。

パチンコ屋の前の古い空家に目を付け家主に貸してほしいと掛け合ったが余所者は相手にもされない、区画整理が有るのでその時に揉めない為には空家の侭の方が良いと 思っていた、半年ぐらい通ったがラチがあかないので、世話になっていた同じ地区の有力者にお願いし、保証人になってもらって、やっと契約にこぎ着けた。最初の店を出す時も中華料理の修行先も紹介してもらった、親代わりの存在。自分ひとりの力では限界がある、そうして出すことが出来た店だった。40年間続けて来られたのも、その恩人のお陰、自分の親よりも世話になり続けた人だった。人は人との巡り合いで運が開ける。

9月9日 大久保駅前で息子が「楽々」と言ううどん屋を初めて10年になります。当初こそ忙しかったのですが近頃は全く暇で、夜は閉店状態。14坪程ある広い店です、そこで鉄板焼きとお好み焼きの店を屋台村形式「調理場は共用」でやりたい人を募集しています。若くて「40才代」の女性経営者を望んでいます。、tel 078-935-0385

もう一点、この店を生かす方法として、書、絵画、写真等の展覧会をしたいと思いの方、無料で会場をお貸しします。店の活性化の方法として考えています。

店の場所は大久保駅を北に降りて1分、大東建託の西隣です。パチンコ屋が隣にあり、場所は抜群の好立地、この店を再生する為に、立飲み屋など気軽に入れ、仲間でワイワイ話が出来るそんな店に変身できればと考えています。店の雰囲気はお客が作るものだから。良いアイデアがあればお願いします

 9月17日 今店に来てくれるのは30年来の馴染みの客ばかり、そんな人が沢山いたが、一人一人亡くなったり、病気になったりして来られなくなり、寂しくなる日々。そんな来られなくなった人々にいろんなドラマがある、おいおい書くとして、今日も何人か集い、焼酎を飲み昔話に花を咲かす、その人達がはも鍋宴会をしてくれるという、小鉢、はも鍋、うどん、てんぷら、ビール一本で1800円。うどん屋「楽々」の起死回生の策がやっと一組やってくれると言う、まだまだ諦めない。まさに昔ながらの雰囲気のこの店の仲間に入りませんか。

2016 9 14 今だ低迷の日々を送っています、土曜日の夜は子供達との柔道に行っていて、日曜日も三時には閉店、そんな中馴染み客が応援してくれていますが。ここらで一念発起、旨いラーメンを作ろう、濁りのない透明なスープで勝負することに決断しました。40年の歴史に新たな一歩を加える。あっさりしたコクのある魚介の香りが漂うスープが出来上がりました、ぜひ一度来てください、平日は朝七時が夜10時迄やっています。お客さんと話すのが好きです、柔道は中学生には負けません体力は自信があります、そして高校受験にお悩みの受験生をお持ちの方、少しでも力になれればと思います、過去四人の受験生の勉強を見てきました。私の顔を見に来て、渾身のラーメンを食べてください。

 とれとれ食堂楽々を15年やって来た息子が思うように売り上げが伸びず、ガンコ親父に偉そうに言われる事に嫌気がして、九月末で辞める事になりました、親父としては頑張って欲しい一念でいろいろ忠告したのですが、それが嫌だった様で、親子の決裂です、遅すぎた反抗期か、今まで親父の言う通りにしてきたが、自分のプライドも有ったのでしょう、小さな食堂が苦境の現在、縛り付けて置く訳にも行かず、人生の再出発を願うだけです。

そこで当分の間、自分が楽々食堂に行く予定です、カムイの透明スープの極細ラーメンはそこでも出すつもりです。大久保駅を北に降りて、西側の歩道を北に二本目の横道を入った所にあります。ガンコ親父に会いに来て、何でも話しかけてください、味のある出会いがあると思います。

 2017 1 18

去年の10月から息子の店で働き三か月が過ぎました、幸いカムイに来てくれていた馴染みの客のお蔭でどうにかやって行ける目途が立ちそうですが、カムイの家賃を払わなければならないので大変です、直ぐに完全閉店する訳にも行かず、まだまだこの店には可能性があると信じ。愛着も有ります。 

 6 月10日

カムイの店はアラホーのぽっちゃりの娘が居酒屋として改装し、カムイグループの一員として協力してやって行くことになり、二階のカラオケスナックもグループの一員として、セット料金2200円、歌い放題、美人のママが経営する事になり、七月初めにオープンです、

さてカムイ楽楽の合体店は九か月を過ぎ、息子の時の客は少なくなり、ガンコ親父の馴染み客で、店の雰囲気も少々賑やかで、静かな客が少なくなり、良いの悪いのか、悩ましい日々です。うどん屋として夜の対策が急務で、中華で勝負しようと思っても、中途半端になっている現実、今はママの絶品の大阪風のお好み焼き、ピリ辛牛すじカレーを売出し中

手作り餃子を客の注文があってから巻きます、ひだ付のかりかり餃子です

 

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