みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

朋友(はらから)

2017年04月04日 | 俳句日記

 昨日の隣の客について読者から早速の注文です。 ひととなりの説明を求められました。

件の姑娘と入れ替わりにお座りになった方は40代のサラリーマン。私の旅は弁当造りから

始まります。折しも彼岸の最中、郡山を立つときに10個のお稲荷さんを、四つの使い捨て

パックに詰めて、腹が空けば食べることにしていました。この時は二つ目を開くつもりです。

 

 でも稲荷寿司は匂いますよね。ですからお隣さんに「すいません。弁当を開きますので」

と、おことわりを申し上げました。もちろん彼は、「どうぞ、どうぞ」と許してくれます。

 その時です、私は座席テーブルの上に置いていた私物を、おっことしてしまいました。

拾うにもテーブルが邪魔になりますので、ま、いいか、食べ終わって拾おうと思っていると

彼は瞬時に身をかがめて拾ってれたのです。 この行為が常識になっているとしたならば、

日本と言う国はなんと素晴らしい国でしょう。食べ終わると改めてお礼を申し上げ、それから

彼が静岡で下車なさるまで楽しい会話が続きました。

 

 続いてお座りになったのは30代の女性でした。私は昨今では市民権の無い喫煙者です

ので、たびたび席を立つことがあります。そのことをあらかじめお断り申し上げますと、

「私の父も吸っておりますのでお気づかいはいりませんよ」とにこやかに応じてくれました。

 そのことからお互いの行く先、住まいを話した際に「お住まいが静岡ですと東南海地震が

ご心配ではありませんか?」と問いかけたことから「3.11」の話に発展しました。

 

 彼女は予備自衛官でした。3.11の際も待機を命ぜられたそうですが、公務としての

出動はなかったものの、やはり現地のことが気掛かりで知人を訪ねて宮城まで出かけた

そうです。発災の数か月後であったので、悲惨な状況を目撃されていました。

 志の高い方だけに、随分と心を痛められたとお話になられたのです。

 

 であるだけに東海・東南海地震には人一倍関心をお持ちでしたので、私が知る限りの

情報をお伝へ致しました。その後の東北の状況についてもお話を差し上げました。

 余命に限りのある私にとっては、このような方と出会うことはこの上もない喜びです。

別れ際にそのことをお伝へすると、嬉しそうに「頑張ります」と言ってくれたのです。

 

 その余韻に浸りながら新大阪でさくら553号に乗り換え西へ向かいます。瀬戸内海は

東南海地震までは大丈夫でしょうが南海地震ではどうでしょう。津波の直撃はのがれた

としても、水位の上昇は避けられません。この地域のコンビナートも臨海部ですから相当

の被害は出るはずです。市民はご苦労をなさることでしょう、気掛かりです。

 

 喜びと嬉しさと憂慮がない交ぜになった思いの内に列車は関門トンネルを通過しました。

今日は夕刻から元社員や友人・知人が集まってくれることになっています。どんな小宴に

なるのでしょう。今からわくわく、どきどきです。どんなご縁があって私と付き合いを持って

下さったのか、思い返せば極少確率での出会いでした。ご交誼に感謝するばかりです。

 

今ではもう上も下も無い、利害得失も無い、同時代を生きた人間どうしの同朋なのです。

 

< 福博の はらから集う 春の宵 > 放浪子

 

四月四日(火) 天気晴朗 南風

        歳をとると疲れは2・3日後にくる。

        もじどうり春眠の誘いに身を委ね、

        朝寝をしてしまった。

        日常の生活空間を取り戻す為に、

        断捨離を敢行、動けば蘇生する。

        

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