みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

白村江

2017年03月15日 | 俳句日記

 落語にも怪談話てぇのがありましてな、

きようは嫌な「噺」をしなければなりません。

 

 時は天智二年の三月のことでございます。

当時朝鮮半島には三つの国がありましてな。

北から順に、高句麗(こうくり)、新羅(しらぎ)、

百済(くだら)と申します。

 

 中国には唐という大変文化の発達した大国

がありまして、半島を征服しようと幾度となく

兵を送って来ましてな。最初に狙われたのが

半島の付け根にあります高句麗です。

 

 突先にある百済は倭国(日本)に近いもの

ですから、お互いに仲よくやっておりました。

 ところが、唐が高句麗を攻めている間に

百済と新羅が戦いを起こします。

 

 あろうことか新羅は唐に援軍を頼んじまっ

て、唐は新羅を助ければ高句麗を挟み撃ち

にできるんじゃねぇかってんで、新羅を助け

百済を滅ぼしちまった。

 

 百済の生き残りは、海を渡り倭国に逃げ込

んで悔しがりましてね、倭国にお国の再興の

手助けを頼んだんですな。

 そこで倭国はハタと考え込んじまった。

 

 なぜかというと、唐といやぁ「遣唐使」を送り

込んで文化を学んでいる先の国ですんでね。

 それでも、なじみの国か滅ぼされたとなりゃ

助太刀いたそうてんで、三年戦ったんですな。

 

 前の前の年から一万、一万、三万と計五万

の兵を送り、ついにその時がやってきます。

 天智二年三月にまず陸上兵力二万を送り

唐と新羅の軍と互角に戦いを続けます。

 

 すると、唐は白村江に水軍を派遣して、

新羅軍と合流し倭軍と百済軍を待ちます。

 時は八月の末、突入の時期をわずかに

遅れたわが水軍は白村江で大敗します。

 

 その後、半島から引き上げる倭軍は

百済の遺臣を連れ帰り、帰化人として

長門や筑紫に領地を与え共に暮らします。

 あわれ高句麗は五年後に滅び、新羅は

唐の属国となるのです。

 

 唐はこのとき倭軍の強さを知り、倭国への

侵略は考えなくなりました。でも倭国は唐の

侵攻を恐れ、国の制度を改革し、筑紫の国に

水城を築き防人を置いて備えたのですな。

 

 それからもいろいろと危機がありましたね。

平安末期の「刀伊の乱」、鎌倉時代の「元寇」

そして「日清戦争」、あれもね、朝鮮王朝が、

清に付くか、日本に付くかで迷って分裂しち

まったのが原因で始まった戦ですよ。

 

 背景にはロシアの脅威がありやした。

 結局それが「日露戦争」につながり、

挙句の果てに「日中戦争」「大東亜戦争」に

まで行き着いてしまったんですな。

 

 とにかく、半島と付き合って得なことは

日本の歴史の中で一度もないんです。

 太閤様も命を縮めやしたしね。

 ロクでもないことばかりですな。

 

 その半島でいま、きな臭い匂いが立ち

始めたんですから、たまったもんじゃない。

 お客様もそれぞれが構えて生き残らなきゃ

なりませんぜ。二度あることは三度あります。

 

< おきつなみ など立ち騒ぐ 春あらし >

               放浪子

 

三月十五日(水) 正午まで雪、のち曇り

         世はすべて波動である。

         旧友よりTEL。

         いよいよ半島有事か。

         波は伝わる。

         天の波動の救いを祈る。

         

 

 

 

 

 

 

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