みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

星総合病院

2017年05月25日 | 俳句日記

若い頃、寝屋川の精神病院で住み込みの
介護士見習いとして働いたことがある。
苦学生であった。
その二年後、今度は患者として、裏門司
の結核療養所で一年を過ごした。

その後も10日以内の入院は何度か経験
したが、昨年は3カ月間星総合にご厄介
になってしまった。

病院という空間は不思議な空間である。
別乾坤と言ってもいい。
患者、先生、看護師、技師、薬剤師等、
建物、部屋、機器等、そして、音、匂い
喧騒と静寂、光と闇、生と死。
興味の尽きることのない事象が、全て手
の届くところにあって、しかも其れに触
れることは出来ない。
つまり、ここで当事者になることは許さ
れないのである。

もう既に霊界に居て、この世に働く人々
を眺めているようなものなのである。
そこで、詩が生まれ絵が出来る。
自由なものは、自らの精神だけなのだ。

そんなことを考えていると、死は魂の解
放だとする理屈が分かるような気がして
くる。
ここで働く人々が、あの世に患者を導く
如来や菩薩に思えてくる。
勝手な患者の引水である。

ところが、彼らが違うのは如何様な患者
であっても見捨てはしないという、強烈
な使命感をお持ちである事だ。
そこのところに於いて、彼らは本物の如
来に、本物の菩薩に成られる。

ありがたい御存在である。
私も、余命をいただいた。使命を思い出
して、もうひと暴れしよう。

〈五月雨や 如来と菩薩に 別れ告げ〉
放浪子

5月25日〔木〕雨
朝から宣告を受けに行く。
どうやら転移はないらしい。
よし、後は気力だ。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿