
続いて功運寺から西北方面に位置する上高田3丁目へ進んでみた。
民家が密集する路地の奥に「『たきび』の歌発祥地」があった。
かきねの かきねの まがりかど
たきびだ たきびだ おちばたき
あたろうか あたろうよ
きたかぜ ぴいぷう ふいている
(小学校唱歌)
この童謡の作詞者は、巽聖歌(たつみせいか、1905〜73、本名
・ 野村七蔵)。生まれは岩手県、北原白秋に師事し、数多くの童謡
歌を作詞している。
聖歌は、この「たきび」が作られた1930年頃からこの辺りに住
んでいて、当時はまだ林野が多く、散歩に出ると民家の庭先でたき
火をする光景が見られたのだろう。
現在でも、たきびの歌発祥地の辺りは、猿の腰掛けが付いた欅の
老木が何本か残っており、垣根の風情も当時の面影を残している一
角で、こんな風景を継承して行かなくてはいけないと、つくづく思
った。
(中野区上高田3丁目26番地辺り)
民家が密集する路地の奥に「『たきび』の歌発祥地」があった。
かきねの かきねの まがりかど
たきびだ たきびだ おちばたき
あたろうか あたろうよ
きたかぜ ぴいぷう ふいている
(小学校唱歌)
この童謡の作詞者は、巽聖歌(たつみせいか、1905〜73、本名
・ 野村七蔵)。生まれは岩手県、北原白秋に師事し、数多くの童謡
歌を作詞している。
聖歌は、この「たきび」が作られた1930年頃からこの辺りに住
んでいて、当時はまだ林野が多く、散歩に出ると民家の庭先でたき
火をする光景が見られたのだろう。
現在でも、たきびの歌発祥地の辺りは、猿の腰掛けが付いた欅の
老木が何本か残っており、垣根の風情も当時の面影を残している一
角で、こんな風景を継承して行かなくてはいけないと、つくづく思
った。
(中野区上高田3丁目26番地辺り)










