塩哲の色即是空

私の日常の活動状況を飾り気なく、素のままで表現する。

広重「江戸百」今昔 猿わか町よるの景

2007-09-29 05:28:36 | 江戸百・今昔
 安政3年(1856)8月の改印がある「江戸百」90景
「猿わか町よるの景」(さるわかまちよるのけい)。
 安政2年(1855)10月2日、突如襲った安政の大地震で
江戸市中はどこも壊滅状態に遭遇した。ところがどっこい、
江戸は火事が日常茶飯事で、江戸っ子も慣れたもの、地震後の
復旧も順調に進んでいた。その矢先、翌年の8月に今度は
野分(現在の台風)が襲いかかり、大きな被害をもたらした。
 浅草の芝居小屋がかかる猿若町でも例外ではなく、市村座、
中村座、森田座の3座では大屋根が吹き飛ばされたという。
広重がここを訪れたのは、その時期で、絵のコンテ作業の時は
屋根がなかったのではないだろうか、と推測する。
 この絵を見てみよう。満月の夜の芝居小屋が立ち並ぶ
浅草・猿若町である。見た目、なんだか物寂しい風景である。
 普通、庶民の憩いを求める芝居小屋が立ち並ぶ通りは、
客の注目を集めるために、歌舞伎文字の看板や役者絵看板、
飾り物等を小屋の店頭に並べて、派手に宣伝するはず。
 広重は、台風で被害を受けた各座の屋根をわざと描き、
再開幕を願った風景ではないだろうか。それを意味するのが、
日中の風景を避け、夜にしている点だ。
 また、月に照らし出された通りを往来する人物の影である。
なんとも侘びしさを漂わせる絵だ。
 猿若町とは、歌舞伎の始祖「中村勘三郎」にちなみ、勘三郎が
創作した狂言「猿楽」からきており、当初勘三郎も猿若勘三郎と
名乗っていたという。
 写真は、旧猿若町の通りで、近くに市村座の跡碑があった。
(台東区浅草6丁目18番地辺り)

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