弁証法と哲学

思索を綴ってまいります・・・・

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視点としての「資本」

2016-12-24 12:50:16 | 日記
最近、ネットで『資本論』の研究をしているブログを発見した。山口大学で理系の勉強をされた後に郷土の役所で技術系の仕事をされていた方のようだ。

私よりは20歳ほど年長の方のようだが、良い機会だから私も『資本論』および「マルクス」には一瞥をくれておこうと思う。

常々、私は思うのだが「研究」をする場合には「繊細さ」というか「細かな襞(ひだ)を味わい分ける」が如き感覚が必要だ。

「マルクス」を考える際にも、その方が説くが如き「歴史に残る偉大なる科学者」といった先入観を捨てて、虚心に眺めたならば「共産主義」だとか「革命」だとか「唯物論的弁証法」だとか「階級闘争」だとか様々な別々のカテゴリーが多様に絡み合ったところがあって、どのキーワード・カテゴリーから眺めるかが視点の方向性というか、志向性を定めていくように思われる。

それで、経済学には丸で素人の私が思うには、『資本論』というのを49歳で執筆した、まあ『経済学批判』を含めると40歳の執筆になるのかも知れないが、64年の生涯の中で「資本」というものが研究の中心となっていった経緯というか理由を知りたく思うわけだ。

私の素人考えで簡単に述べるなら、「資本」とは「金融業」と同義と言ってしまって良いくらいで、言わば「唯物史観」というよりも「金融史観」である。つまりは歴史的・社会的な現実の中で「銀行」だとかの動きを中心にして見る目なのだと思う。

だから、歴史においてロスチャイルドだとかアンドリュー・メロンだとかロックフェラーだとか、日本で言えば三井、三菱、住友なんかの財閥の金貸しシステムに焦点を合わせる研究思考じゃなかろうか?

オランダ東インド会社の株式投資の開始だとか、海外に進出して国際的な活動するにしても、戦争するにしても「資金」というのは必要で、その「資金融資」を専門にやってくれる業種が現実世界の実に巨大な存在として反映したことが、マルクスの焦点を「資本capital」に向かわせたのだろうか?

だが、そうした現実世界の資本・資本家の動きと、エンゲルスなんかが問題とした『イギリスにおける労働者階級の状態』のような福祉的視点とは必ずしも一致しないと思う。

経済政策において日本銀行の役割が大きいことなんかとも連関するのだろうが、フランス革命が「市民階級と王侯貴族との紛争」という事実があったところから、社会改革とは一般的に革命であり、革命とは一般的に階級闘争である、との考えをマルクスに持たせたのかも知れない。

それが「無政府主義」だとか「共産主義」といった思考に繋がったのだろうか?



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