tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

近畿文化会「東大寺と手向山八幡宮」

2008年05月13日 | 奈良検定
5/11(日)、近畿日本鉄道が運営する近畿文化会の臨地講座(現地見学会)「東大寺と手向山八幡宮」に参加した。
http://www.kintetsu.co.jp/event-hiking/hiking_info/hiking0004533.html

この会のことは、近鉄のホームページによると《近畿文化会は、「文化財愛護の心を養い、歴史的知識を高める」ことを目的に、近畿日本鉄道の文化事業として昭和24年に発足しました。毎月、専門講師の執筆による「近畿文化」を発行し、近畿を中心に、講師の解説を受けながら社寺・古墳・史跡などの文化財を訪ねる臨地講座の開催など、様々な文化事業を行っています》とある。
http://www.kintetsu.jp/kouhou/etc/bunka.html

入会金300円、年会費2200円を払うと誰でも会員になれる。 臨地講座は毎月2回程度実施される。大学の先生などが講師となって現地を案内して下さると、いう贅沢なツアーだ。

私は昨年11月に会員登録したのだが、冬場はあまり気が進まなかった。今回は市内だし、奈良検定対策にもなりそうだったので、初参加することにした。会社のN先輩をお誘いすると、すぐに会員登録され、一緒に参加していただけることになった。初めてのツアーに連れができるのは心強い。

集合は、東大寺南大門前に朝10時。小雨が降っていたのに、周囲は外国人を含むたくさんの観光客でごった返していた。前日は、目の前の県新公会堂に中国の胡錦濤国家主席が訪れ、昼食会が催されたばかりだ。

今回の参加者は約50人で、シルバー世代が中心だ。講師は菅谷文則氏(滋賀県立大学名誉教授)で、近鉄秘書広報部のT部長も同行された。参加費は2600円(弁当持参)だった。
※菅谷氏について書かれたブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/itoko9/35424517.html

ちゃんと会報に内容が詳しく紹介されていて、《今回は、明治維新による神仏分離により、東大寺から離された神社を含めて、東大寺旧境内の社(やしろ)を巡ることによって、神仏習合を理解したいと思う。また、今日の東大寺の輪奐(りんかん=立派な建物)を造営した鎌倉時代の重源(ちょうげん)上人と、江戸時代の公慶上人の墓所を拝するものである》(「近畿文化702号」)。

主な訪問場所をざっと並べてみる。
・手向山(たむけやま)八幡宮…大仏殿東側の丘の上=冒頭の写真
・興成(こうじょう)神社…二月堂と若狭井の間
・飯道(いみち)神社…二月堂南東の丘の上
・遠敷(おにゅう)神社…二月堂北東の丘の上
・転害(てがい)門
・五劫院(ごこういん)内の公慶上人墓所
・重源上人墓所…三笠霊園の上・三笠温泉郷のすぐ下=次の写真の中央



手向山八幡宮は、神仏分離以前は東大寺八幡宮と呼ばれていた。大仏の守護神として九州の宇佐八幡神を勧請(かんじょう)したものだ。興成、飯道、遠敷の3つの神社は、お水取りの際に僧がお参りする神社(小さな祠)である。

手向山八幡宮では権宮司(ごんぐうじ)さんのお話を聞かせていただいた。五劫院では、予約なしでは拝観できないアフロ仏「五劫思惟(ごこうしゆい)阿弥陀仏」も拝観できた。この仏さまは宋から請来したもので、五劫という無限に近い長い修行のうちに髪がぼさぼさに伸びてしまったのだそうだ。

奈良まほろばソムリエ検定・奈良通1級(第1回)には、「公慶上人の墓所がある寺の名は?」という問題が出ていたが、その正解が五劫院だった。他の選択肢は「東大寺勧進所」(大仏復興の寺務所)、「東大寺龍松院」(公慶上人の住坊)、「空海寺」(東大寺僧侶の葬儀のための寺)だった。1級合格者のひろさんから「良問」とされた問題である。

東大寺の旧境内には、まだまだたくさんの神社や祠(ほこら)がある。かつてはお坊さんが神社で般若心経を唱えたり、神主さんが柏手を打って仏さまを拝んでいたそうだ。神さまと仏さまが今のように区別されていなかったそうだが、それを身をもって知ることができた。

集合場所の南大門から解散場所の重源上人墓所まで4km、その前後を足すと約7kmほどの徒歩コースだった。朝は少し雨が降っていたがすぐ止み、みずみずしい新緑の中を楽しく歩いた。ユーモアたっぷりの菅谷氏のお話に、T氏のツッコミぶりが秀逸で、まるで息の合った漫才コンビのようだ。お2人とも、参加者にはおなじみのレギュラー出演者のようだ。

面白くてためになる、素晴らしいツアーだった。早速、N先輩と一緒に6/29の「古代葛城の仏像」を申し込んだ。「百聞を一見で実らす」という言葉があるが、本で読んだことについて、実物を見て反芻(はんすう)すると、理解が深まる。6/29のツアーの結果も、ぜひ当ブログで紹介したい。
http://www.kintetsu.co.jp/event-hiking/hiking_info/hiking0004544.html

コメント (6)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 胡錦濤閣下の大和づくしランチ | トップ | 言ったもん勝ち!?「経済波... »
最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
うらやましいです (蔵武S)
2008-05-13 10:10:49
 いいコースですね。戦前から続く会で、訪問箇所や取り上げ方がとてもディープです。残念ながら一度も参加した事はないのですが。Tさんとは、色々な面で親しくさせていただいています。16日は参加します。
返信する
楽しい講座 (三河人)
2008-05-13 22:19:58
良い講座に参加されたようで、明日(14日)の「その時歴史」も参考になりそうですね。

以前、修二会に参籠されている練行衆は、毎日、行(ぎょう)の無事を神様に祈っておられると聞いた時、「ええっ!神様と仏様はそんな間柄だったんですか!」と再認識したことがありました。

その後、意識して奈良のお寺めぐりをすると、古いお寺には必ずお社がお祀りしてあるのに驚きます。神様が仏様を護っているのでしょうか。大仏さまの完成も宇佐八幡様のお蔭だったのでしょうね。

仏様は明治維新の時にはたいへんな目にあいましたが、岡倉天心さんやフェノロサさんのお蔭で美術の対象として脚光を浴びることになったのでしょう。今の奈良観光の大きな目玉がこの時にできたのかも知れません。

また、五劫院の「五劫」は落語の「寿限無」で、ご隠居さんからありがたいお経(陀羅尼経)の言葉だと教えてもらいました。
奈良ってまだまだ面白いですね。

返信する
臨地講座 (イムダ)
2008-05-14 18:47:50
本当の勉強講座ですね。
特に、歴史文化古寺等は現場に行くほど実感するもので、理解度が違いますね。
私は、リハビリ生活中で臨地講座が羨ましく、
機能回復目指しつつ、例えば興福寺仏教文化講座、なら奈良館公開講座、その他講座会場目指して、歩行練習兼ねて受講しています。
難しい事もありますが、知る、解るといゆ事は
大変楽しいですね。
返信する
五劫のすり切れ (tetsuda)
2008-05-15 06:38:53
蔵武Sさん、三河人さん、イムダさん、コメント有難うございました。

> 戦前から続く会で、訪問箇所や取り上げ方がとてもディープです。

そのとおりですね。現地見学会の前に、ちゃんと会報誌に詳しく内容(歴史や由緒など)が掲載されるのが、良い勉強になります。Nさんも、喜んでおられましたよ。

> 16日は参加します。

私は残念ながら欠席です。

> その後、意識して奈良のお寺めぐりをすると、古いお寺には必ずお社が
> お祀りしてあるのに驚きます。神様が仏様を護っているのでしょうか。

そういうことらしいです。私もこれから、意識して見ることにします。

> 五劫院の「五劫」は落語の「寿限無」で、ご隠居さんからありがたいお経
> (陀羅尼経)の言葉だと教えてもらいました。

あっ、そうですね「五劫のすり切れ」。こんなところにも使われているのですね。

> 歴史文化古寺等は現場に行くほど実感するもので、理解度が違いますね。

全くその通りです。近場のバスツアーなどもありますので、お体が回復されたら、ぜひ。
返信する
勧進帳 (あすなろエディター)
2008-05-26 20:18:45
 同行頂いたエヌです。本当に有意義で楽しいツアーでした。我が家のパソコンが24個のウイルスにやられて、動かなかったのでコメント遅くなりました。
 安宅の関で弁慶が読み上げたのが、東大寺の「勧進帳」歌舞伎で有名な勧進帳ですが、今年10月5日に
大仏殿で 松本幸四郎主演で1000回目の公演が
開催されます。すでにチケット発売も始まっています。楽しみです・・・・・・
 
返信する
東大寺と勧進帳 (tetsuda)
2008-05-29 18:17:12
あすなろエディターことN先輩、コメント有り難うございました。

> 有名な勧進帳ですが、今年10月5日に大仏殿で 松本幸四郎主演で1000回目の
> 公演が開催されます。すでにチケット発売も始まっています。楽しみです・・・・・・

「勧進帳」はWikipediaによると、

> 源義経一行が、北陸を通って奥州へ逃げる際の加賀国の安宅の関(石川県小松市)での物語。
> 義経一行は武蔵坊弁慶を先頭に山伏の姿で通り抜けようとする。しかし、関守の富樫左衛門の
> 元には既に義経一行が山伏姿であるという情報が届いていた。焼失した東大寺再建のための
> 勧進を行っていると弁慶が言うと、富樫は勧進帳を読んでみるよう命じる。
> 弁慶はたまたま持っていた巻物を勧進帳であるかのように装い、朗々と読み上げる。

とあります。今まで、これが「焼失した東大寺再建のための勧進」帳だったとは、存じませんでした。

それにしても千回目の公演とは、スゴいですね。
返信する

コメントを投稿

奈良検定」カテゴリの最新記事