tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

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真田丸(40)幸村

2016年10月16日 | 感想
1週遅れの紹介になってしまった。先週(10/9)のNHK大河ドラマ「真田丸」は、「第40回 幸村」だった。NHKの公式HP「あらすじ」によると、

九度山での生活を楽しんでいた信繁のもとへ、宇喜多秀家の家臣だった明石全登(あかし・てるずみ)が訪ねてくる。大坂城で徳川家康を相手に戦ってもらいたいと信繁に懇願する。信繁は断るが、そこに現れたのは…。そして豊臣秀頼と茶々が苦境に立たされていることを知った信繁に、きりは…。大きな決断を迫られた信繁は、息子の大助を呼び、くじを引けと迫る。

気になる「真田丸」の視聴率、最近は15%台のようだが、「早丸」(BSプレミアムで2時間早くオンエアされる。私もこちらを見ている)で5%近くを取っているので、合計すれば約20%と依然、好調に推移している。

第38回(9/25放送)で私の故郷・九度山へ来てくれたと思ったら、もう次回「第41回 入城」(10/16放送)で大坂城へ入城するのだ。以前のNHKドラマ「真田太平記」では「こんなところに逼塞(ひっそく)しておっては…」というセリフが何度も登場し、「『こんなところ』で、悪かったな!」と憤ったが、「真田丸」では皆が幸せそうに描かれているので、少し安心している。

今回は、きり(長澤まさみ)のシーンで不覚にも落涙してしまった。明石全登の懇願を断った信繁を説得する場面だ。長くなるが、以下に再現してみる。



きり「いつかこんな日が来るような気がしていた。行きなさいよ」
信繁「向こうには淀のお方さま(茶々)がいる。前に言っていたな、あの方は人を不幸にする」
きり「でもあなたは行きたいと思っている。だったら行くしかないでしょう。あなたに来てほしいと思っている人がいるんでしょう。助けを求めている人たちがいるんでしょう、だったら」
信繁「私に何ができるというんだ」
きり「そんなのやってみないとわからない」

信繁「大軍を率いて敵と戦ったことなどない」
きり「真田安房守(あわのかみ)昌幸。徳川と2度戦って2度勝った男。あなたにはその血が流れている」
信繁「誰も私にはついてこない」
きり「真田源次郎は安房守の息子。いくさ上手に決まってる。この人に従っておけば間違いない。誰も疑わないわ。ほとんどいくさに出たことがないなんて。あとはハッタリよ。ここで一生終えたいの?それでいいの?あなたは何のために生まれてきたの?」

信繁「私は幸せなんだ、ここでの暮らしが」
きり「あなたの幸せなんて聞いてない。そんなの関わりない。大事なのは、誰かがあなたを求めているということ。今まで何をしてきたの?小県(ちいさがた)にいる頃は父親に振り回されて、大坂に来てからは太閤殿下に振り回されて」
信繁「振り回されていたわけではない。自分なりにいろいろと考え、力を尽くしてきた」

きり「何を残したの?真田源次郎がこの世に生きてきたというあかしを何か1つでも残してきた?聚楽第の落書きの咎人、とうとう見つからなかったわね。沼田を巡って談判もしたけれど、最後は北条に取られちゃった。氏政さまを説き伏せに、小田原城に忍び込んだみたいだけど、氏政さまが城を明け渡したのは、あなたの力ではないですから。あとから会いに行った、なんとか官兵衛(黒田官兵衛)さんのお手柄ですから。何もしていないじゃない。何の役にもたっていない。誰のためにもなってない」
信繁「うるさい」

きり「私が大好きだった源次郎さまはどこへ行ったの?がむしゃらで、向こう見ずで、やんちゃで、賢くて、明るくて、度胸があってキラキラしていた、真田家の次男坊はどこへ行ったのよ。私が胸を焦がして大坂までついて行ったあの源次郎さまは」
信繁「うっとうしいんだよ、お前は」
きり「わかっているわよ、そんなこと」

信繁「何か良いことを言ったような気になっていたら、大間違いだからな。思い上がるな、お前の言ったことぐらい、とっくに自分に問いかけておるわ」
きり(泣きそうな顔で)「もう言わない、2度と」
信繁「きり。だが自分で問いかけるよりも、お前に言ってもらったほうがよほど心にしみた、礼を言う」


見事なシーンだった。きりは、このセリフを言うために登場させたのか、と思うほどツボにはまっていた。こんなセリフを書ける三谷幸喜という人は、すごい人だ。長澤まさみの演技も光っていた。女優としての貫禄が出てきたのではないか。



あと今回興味深かったのは、信繁が改名して「幸村」という名前を得るシーン。兄が失った「幸」の字を使い、もう1文字はいろんな漢字を書き、ツボに入れる。それを子どもの大助がくじ引きのようにして「村」の字(「九度山村」の村)を引き当てる、というシーンだ。「なんぼなんでも、そんなアホな~」と笑ってしまったが、まぁそんな新説があっても良いだろう。ちなみに、「信繁」という名前は、昌幸の主君だった武田信玄の弟(補佐役)の「武田信繁」から取ったのだそうだ。これは藤丸さんの「真田信繁の名前の由来」で、初めて知った。なお「幸村」という名前は史料にはなく、講談本で初めて登場する。

この回は、大坂の陣への出陣を控えた「つなぎ」の回だったが、大坂への布石として大事な回だった。第41回は、いよいよ「入城」。ますます真田丸から目が離せない。では、締めはいつものように藤丸タダアキさんのブログから。



真田丸の視聴率は好調のようです。幸村好きとしては真田丸の視聴率が気になります。また、真田丸の視聴率に合わせて真田紐などにも脚光があたればなと。

さて、真田丸40話感想。元備前57万石、宇喜多秀家の元重臣、明石全登(元10万石)が登場します。そして片桐且元が登場し、信繁に大阪城入城を要請します。いきさつは…。

豊臣秀頼は徳川家康の勧めに応じて関西の社寺の再建を進めます。特に方広寺は伏見大地震以来、荒廃したままでした。秀頼は再建し、秀吉の17回忌の法要をする予定でした。家康は再建に作った鐘に刻まれた文字に難癖をつけます。国家安康・君臣豊楽。

家康の家と康を離している。わざと離して呪ったのではないか。と。その弁明に且元は家康に会いに行きますが、1か月も滞在するも家康は会いません。一方、大阪城の淀殿は側近の大蔵卿局を駿府に派遣します。家康は大蔵卿局には会いました。もう完全に古だぬきです。

大蔵卿局と且元の間に亀裂を作ります。大阪城の事実上の裁量者は淀殿ですが、当時は男性社会です。大阪城内に居づらくなった且元は大阪城を退転します。それは家康が豊臣家執政「且元」の追放です。家康はそれを断行の証とみなします。



信繁は大阪入城を断りますが、それをきり(長澤まさみ)が煽ります。真田丸に出てくるきり。キャストは長澤まさみ。真田丸ではきりはあまり良い役柄ではありませんでしたが、ここで、表舞台に登場しました。この説得で、信繁は翻意します。長澤まさみさんはとても美人ですね。真田丸のキャストの謎。きりの存在。今、ぐっと浮かび上がってきました。

信繁には思い出が脳裏をよぎります。秀吉・昌幸・信幸・大谷・三成・景勝。そして昌幸の最後の言葉「大阪へ行け」。信繁は改名を考え、1字は真田家の幸とします。残りの1文字は息子の大助にくじを引かせ、決めさせます。「幸村」となりました。名前の由来についてはこちらです。真田信繁の名前の由来

真田丸40話幸村の感想。それはもうきりの説得ですね。昨日、TBSの番組で土屋太鳳の頑張りを見て泣きました。女性の頑張りはより人を感動させるのですね。

真田丸はこれから大阪城へ舞台を移していきます。真田丸という名前は、大阪城の場外に信繁が作った出丸です。真田丸の最終章は、九度山に始まり、大阪城で終わります。真田丸40話幸村の感想を書きました。
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