tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

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田中敏子さん(若羽学園理事長)逝去(2012Topic)

2012年12月20日 | お知らせ
若羽学園理事長で、奈良県調理技能協会会長を務める田中敏子さんがお亡くなりになった。95歳だった。今朝(12/20)の奈良新聞によると
※トップ写真は若羽学園のホームページから拝借

11日午前9時27分、心不全のため奈良市の介護老人保健施設ロイヤルフェニックスで死去。95歳。葬儀は13日に大和郡山市の風の杜ホールで近親者のみで営まれた。喪主は甥弘之(ひろゆき)さん。お別れの会が来年2月14日午後1時から、奈良市西木辻町161の2の若羽学園講堂で行われる。

昭和23年に日本初の料理学校で調理師養成学校である若羽学園を開園。同57年に藍綬褒章(教育者功労)、平成6年に勲5等宝冠章(教育事業功労)を受章、平成14年に第7回奈良新聞文化賞を受賞した。


08年には田中さんの半生記『味は大和のつるし柿 食育一筋・田中敏子物語』(坂本照久著)も出版された。商品解説には《明るい家庭は楽しい食卓から―。日本初の料理学校若羽学園の創立者、田中敏子。90歳を超えてもなお教壇に立つ、食育にすべてをささげた不屈の女性の半生記》とある。同書の出版記念会の模様を伝える奈良新聞のコラム「國原譜」(くにはらふ 08.11.9付)には

 味は大和のつるし柿―食育一筋・田中敏子物語
 坂本 照久
 燃焼社

「明るい家庭は楽しい食卓から」―。若羽学園理事長の田中敏子さんの半生記「味は大和のつるし柿」(燃焼社)にあった、自ら教壇に立って生徒たちに語った言葉。平凡のようだが、明るい家庭や楽しい食卓が当たり前でなくなった現代社会にあって、光る言葉だ。飽食といわれつつ、食をめぐる環境がかくも無残な状況がかつてあっただろうか。それゆえに、食育にささげた田中さんの半世は力強い希望を抱かせる。

3日に開かれた出版祝賀会も、その生き方にあやかりたいと願う人たちでにぎわった。大正6年生まれの91歳。なお、かくしゃくと指導の第一線に立つ。元気の秘けつは、軌跡をたどった同書に詳しい。本紙生活面の「おかず」欄は、田中さんの若羽調理専門学校が割烹学園だったころからの40年を超える長期連載。39年前の家庭面(昭和44年11月13日付)には「糖醋肉(タンツーロー)」とワンタンの作り方が載っている。栄養があって、しかもおいしく。今読み返しても新鮮だ。

著書「大和の味」(奈良新聞社刊)は改訂版が出るほどのロングセラー。斯界の栄誉はほとんど網羅された田中さんだが、平成14年に奈良新聞文化賞を差し上げた時は若い社員にも分かるように戦後の食事情を話してくださった。新刊の祝賀会では、発起人代表の奥野誠亮さん(95)と壇上に立ち、荒井敦子さん、宋茜さん、岡田由美子さんら奈良を代表する“若手”ソプラノ歌手3人と一緒に「ふるさと」を快い笑顔で歌っていた。(コ)

田中敏子さんは2002年にスタートした県農林部の「奈良のうまいものづくり」部会の部会長を務められた。私も部会員として参加していたので、田中さんの謦咳に接する機会があり、県下の伝統料理や伝統食材に関する田中さんの豊富な知識と経験には、いつも驚かされた。『大和の味』は、今も手元に置いて時々ページをめくっている。「『奈良にうまいものなし』は間違い」と、いつもキッパリとおっしゃっていた。

田中敏子様の訃報に接し、心から哀悼の意を表します。安らかに永眠されますようお祈りいたします。
ジャンル:
文化
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