意志による楽観主義のための読書日記

面白きこともなき世を面白くするのは楽観力、意志に力を与えるのが良い本 *****必読****推奨**閑なれば*ムダ 

B面昭和史 半藤一利 ****

2017年05月08日 | 本の読後感

A面とは政治経済外交軍事、B面は庶民の生活を記述。通常の歴史書ではA面中心の記述で、昭和史に関して言うと、「なぜ無謀な戦争に突入してしまったのか、人々は反対しなかったのか、どう思っていたのか」などという疑問を持つ。親や祖父母の世代が戦争を経験していても、苦しい経験やつらい思い出などを聞いて、戦争は決してしてはいけない、という訓話を聞くばかり。政府に騙されたのか、新聞は何を書いていたのか、庶民も戦争に賛成していたのか、などを本書ではB面から記述する。

昭和は1925年に始まる。その頃の人々の感覚は、その10年前に第一次大戦で獲得した太平洋と中国でのドイツの権益の記憶、20年前に日露戦争で獲得した樺太と満州、朝鮮半島権益、さらには30年前の日清戦争での台湾や朝鮮半島などでの権益などの記憶から、「戦争をすると国家はなにかを獲得をする」というもの。ロンドンやワシントンでの軍艦建造交渉で米英の力に抑えられて追従しようとする政府の外交方針に、弱腰外交と迫る軍部の勢いに同調する論調が新聞にも増えてくる。こうした中で起きる政治家暗殺事件に、暗い論調の新聞の裏にも、欧米との穏健的外交姿勢への反発を感じ取るのが人々の心理にあったのではないか。

張作霖爆殺事件から満州事変へとつながる中国進出に、多くの国民は「暴支膺懲」という軍部のプロパガンダに乗せられていく。国際連盟からのリットン調査団は満州国の独立性と日本の謀略を非難、植民地を多く持つ欧州なら日本の立場や言い分を理解してくれるのではないかという、都合のいい考え方は、軍部による政治の利用を日本政治の未熟と評価され、簡単に否定された。国際的孤立に不安を抱きながらも、このままでは日本が明治維新以来獲得してきたアジアでの権益を英米にかすめ取られるかもしれないという不安や、日常生活での不満を日本国の発展という幻想で紛らわしてしまいたい、という庶民の淡い期待が、こうした不安を上まわってしまった。

ドイツが欧州で侵略戦争を始めるころ、そのあおりを受けてフランスやオランダはアジアでの権益どころではなくなってくる。アメリカからの経済的締め付けに苦しんでいた日本は、「バスに乗り遅れるな」として、フランス領であったインドシナへの進出を決め、多くの国民の支持を得る。ソ連への対抗戦略として、北方侵攻方針も同時に実施、軍事力の南北同時拡大方針を実施することになる。庶民はドイツとの同盟に期待を寄せながら、米英とソ連との同時対立に大いなる不安を抱く。インドシナへの侵攻によりアメリカとの決定的対立が明確になり、石油需要のほとんどを依存してきたアメリカからの石油禁輸措置を宣言されるにあたり、英米との戦争は事実上避けられないものとなる。この時点でアメリカと日本との経済力格差は20倍、それでも初戦突破とドイツの勝利、ソ連による和平交渉、などという一方的な思い込みと期待の中で戦争に突入する。

戦争が始まってしまうと、多くの国民は大本営発表の戦勝報道に踊らされる。1941年12月に始まった太平洋戦争は1942年6月のミッドウエイ海戦での大敗北以降は、海軍力で圧倒されていく。同年8月のガダルカナル島での戦闘では、圧倒的物量の差から、一方的な敗北を喫する。このころのアメリカ兵の感想からは、戦況は「太平洋の七面鳥打ち」と言われるほど一方的であり、日本軍の戦いは無謀であり無力に映った。それでも日本国内では戦勝報道が続く。ガダルカナル5か月の戦闘でその時点で太平洋地区で持てるほとんどの航空力と駆逐艦をせん滅され、ガダルカナル島からの撤退を余儀なくされるが、日本国内での報道では、戦略上の転進と伝えられる。

1944年になるとアメリカ軍はソロモン諸島伝いにフィリピンへというマッカーサー大将指揮の陸軍と、ニミッツ大将の海軍は中部太平洋の島伝いに攻めあがるという遠大な二面作戦を進めていた。日本にとっては絶対国防圏とされていたサイパン、テニアン、グアムなど中部太平洋がニミッツ大将率いる海軍の猛攻を受けて陥落、本格的な本土への空襲が始まる。このころ日本陸軍はインド侵攻のためのインパール作戦を実施、10万を超える歩兵が二週間分の食料を持って山岳地帯を進み、補給のない進軍は、そのほとんどが餓死するという悲惨な結果をもたらす。この時点で日本軍の勝機は完全に失われたと思われるが、大本営は絶望的な状況にも、レイテ島防衛戦を実施、国家の全力を傾けた戦いではあったが、ここでも大敗北、1944年度の軍事費は国家予算の90.5%を占めた。庶民は「本土に引き付ける作戦、そうすれば必ず神風が吹く」と妄想ともいえる作戦を信じた。

1931年の満州での戦闘開始からはずっと戦争が継続している状態であったが、庶民の感覚を年とともに追って行っても、ここからが戦争、という切れ目ははっきりとしない。こうして歴史を通して読んでみると、1936年の「陸海軍大臣現役武官制」の復活あたりから、報道統制、隣組による庶民への言論統制が強化されていった様子もうかがえるが、実際に日常の暮しを庶民からすれば、いつのまにか、という感覚であったと感じられる。報道統制の法律的背景には1925年制定の治安維持法があり、その実際の運用が現場の警察に丸投げされていた現実もある。とすると、報道期間の自主的報道抑制が一つの目安とも考えられる。もう一つさかのぼると、朝鮮統合や満州侵攻などからくる民族的優位感、これが庶民感覚に根付いてしまう時期、これが多くのその後の出来事のベースになっているという気もする。

歴史は繰り返すのだろうか。現在の状況にも、北朝鮮による軍事力強化、中国の領土拡大戦略、宗教対立に根差す国際的緊張、難民問題、保護主義、すべてがエネルギー資源確保という国家戦略が背景に見える。日本国内においては民族差別的感覚、ヘイトスピーチ、報道の自由と抑制、共謀罪の議論などがあるが、庶民の一人としてなにを考えなければならないのか。歴史の認識を正しく持っていない政治家たちに、大切な判断を任せていいのか、今の我々にもできることはたくさんあると思えるが、B面昭和史を読むと、「唇寒し」時代の流れの中でも自分の意見を口に出して言うことの重要性を強く感じる。

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