意思による楽観のための読書日記

論語の本 佐久協 ***

論語、学校時代に習ったフレーズがしっかりと解説されていて、いい感じに確認できる。

まずは孔子の生涯について、紀元前552年、山東省の曲阜に生まれた。父を3歳で、巫女だった母を24歳で亡くした。魯の国の下級役人になるが出世はせず、勉学に励む。魯の国の勢力争いに巻き込まれ隣の斉の国に逃亡、この国の進んだ文化を身に着けた。魯の国に戻るとその知識と見識を買われ出世するが、再び権力争いに巻き込まれ14年間も隣国の衛の国に亡命する。衛でも歓待されるが仕官はせず様々な国を流転、結局魯の国に戻り、3千人の弟子を教育することになる。74歳で亡くなるまで多くの弟子を育て上げた。この時代は春秋戦国時代、理想の政治は礼・楽・射・御・書・数(礼節・音楽・弓術・馬術・文学・数学)の六芸と言われたが、孔子は親に対する「孝」を基本に据えて、その心の内面的表れを「仁」、外面的現れを「礼」とした。孔子が唱えた理想はその後の儒教の根幹である五常である「仁義礼智信」をなす。論語は孔子と弟子たちの会話をまとめた言行録で、孔子の没後100年で編纂され、400年をかけて現在の形になった。

日本には4世紀に百済を経由して王仁により伝来、聖徳太子がまとめたといわれる17条の憲法「和を以て貴しとなし、さからうこと無きを宗と為せ」に「礼の用は和を貴しとなす」の論語の流れがみられる。仏教伝来とともに論語の勢いは影をひそめるが、中世の足利学校で教材として取り上げられ、戦国時代には前田利家、加藤清正、そして藤原惺窩が儒教の復興をはかり戦国大名たちに講義して回った。江戸時代には藤原惺窩の弟子林羅山が幕府内での儒教を広める大役を授かり、上下関係に厳しくしたいという徳川幕府の政策とともに儒教の考えが日本全国に広まった。明治になると論語は否定はされないものの、公益の観点も必要だという実利的解釈も付加された。現在の日本では、宗教観を問えば「無宗教」と答える日本人が多数を占めるが、「仁義礼智信」の儒教的価値観は広く根付いているといえる。

改めて本書に紹介されているフレーズの中から、心に残るものを現代語に訳し紹介する。

1.儒教の根本「仁義礼智信」は正直者が説くからこそ価値がある。私心や利己心は正しい価値観を麻痺させ、正直が誠実を、誠実が徳を生む。

2.学習に必要な三要素、「聞く」「考える」「気づく」これを続ければ成長していける。

3.人を理解する三要素、「視」行動を観察する「観」行動を起こした動機や経緯を考える「察」その人は行動に満足したか目的は達したかを考える。

4.学問の楽しみとは、勉強したことを実行し、友人と議論し、他人の目は気にしないこと。そうすれば知識や考えが深まり勉強が楽しくなる。

人生100年時代、まだまだ先は長い。


↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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