意志による楽観主義のための読書日記

面白きこともなき世を面白くするのは楽観力、意志に力を与えるのが良い本 *****必読****推奨**閑なれば*ムダ 

古事記・日本書紀 ***

2017年07月16日 | 本の読後感

古事記、日本書紀ともに知っていると思っているが、そうだろうかと考えて本書を手に取ってみた。両方とも712年、720年という近接した時期に完成しているが、古事記は天武天皇が天皇家の系譜を記した「帝紀」と朝廷の伝承を記した「旧辞」に史実とは異なる記述が多いため誤りを正そうと稗田阿礼に命じて誦み習わせた、という。権力のトップにある人が、歴史の誤りを正そう、と思うとはどういうことかと考えてみる。

一時期作業がとん挫していたのを711年に元正天皇が太安万侶に稗田阿礼の語る内容を筆録させた。漢字を使って日本語の記述をしたので、音だけを使った当て字で書いた、といえる。古事記は上中下の三巻、上巻は神代時代、中巻は神武から応神、下巻で仁徳から推古までの天皇家の歴史をまとめた。天皇家の先祖は神様である、という権威付けである。

神代の時代に関しては、天地の始まりから、伊邪那岐(日本書紀では伊弉諾)伊邪那美(伊弉冉)、天照大神、須佐之男命(素戔男尊)、天宇受売命(鈿女命)、大国主命の国ゆずり、蘆原中国平定、邇邇芸命(瓊瓊杵尊)、山幸彦海幸彦などの神話である。

神武から応神の中巻はほとんどが後世の逸話をベースとした作り話かと考えられる。下巻の仁徳から推古についても、仁徳の人家から煙が立たないのを見て三年間課税を免じた逸話、雄略の残忍な性格などの記述はあるが、系譜のみの記述も多く、事実性は不明である。

日本書紀も天武天皇が編纂を命じて、天武の子舎人親王が40年をかけて完成させた。こちらはすべて漢文で記述、神代から持統天皇までの天皇家の歴史である。こちらは古事記とは異なり、中国や朝鮮の歴史書も参考にしており、渡来人が編纂に深くかかわっていたことが伺える。中国とのやり取りで、天皇家の正当性と国としての歴史がしっかりと記録されていることが重要と天武時代に強く感じていたことが編纂動機である。さかのぼれば遣唐使、遣隋使を通して、倭国としての国の成り立ちや歴史を示すことを求められたときに、歴史書どころか文字さえも国字が確立できていなかったことに危機感を感じたのではないだろうか。

そこで、当時の西暦でいえば700年から遡ること千年以上前から倭国は存在していることをなんとか証明しようと試みたのだと考えられる。つじつまを合わせるために、過去100年程度の間に起きたことなどを数百年分に引き延ばして記述したので、神功皇后の新羅遠征や武内宿禰の逸話などを創作した。読んでいて個人的に感じることは、推古時代までの記述はほとんどが作り話で、その実在さえ不明確なのではないかということ。推古時代には蘇我氏が権力を握っていたはずで、その後の乙巳の変以降が事実に近いのではないかと。

また、稲作やたたら製鉄、陶器などの技術が朝鮮半島経由でもたらされて以来、渡来人の数は何回もの波のように増えていき、縄文文化を西から東に南に追いやっていったのではないかとも感じる。つまり、継体以降の天皇家は朝鮮半島王族の血が色濃いのではないかと。そのことは天武などは、自分では分からないながらも、渡来人の進んだ文明や技術を取り入れるたびに感じていたのかもしれないと思う。伊邪那岐、伊邪那美による天地の始まりの逸話では、天上からまだ海だった日本列島の場所に、天の矛から滴り落ちるしずくを落とし、淡路島、四国、隠岐の島、九州、壱岐、対馬、佐渡島、本州の大八島を作ったという。渡来人たちが最初に到達するのが対馬、壱岐、隠岐の島、佐渡島、九州、そして本州は出雲、敦賀などで、九州からは瀬戸内海を通って四国、鞆、大阪に到達したのではないかという直感と整合する。

本書は、「大判ビジュアル図解 大迫力!写真と絵でわかる」とキャッチフレーズにある通り、絵図を多用して視覚的に印象に残るように作られていて、視覚的記憶に残りやすい。歴史はこういう絵図中心の教科書があれば学生時代には興味がもっと持てたのではないかと思う。Kindle版では百円そこそこ、一冊いかが。

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