てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

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山に向かいて ― 相原求一朗の風景 ― (3)

2007年04月18日 | 美術随想


 畢生の連作『北の十名山』に着手したとき、相原求一朗はもう76歳を迎えていた。だが、その絵には年齢を感じさせるものは何もない。「描きたいもの」をようやく見つけたひとりの画家が、脇目もふらず、嬉々として山を描いている。そんな印象である。

 だが、いったいなぜ相原は北海道を描きつづけたのだろう。本人の述懐によると、かつて滞在していた満州の風土が北海道とよく似ていたそうだが、それだけの理由ではあるまい。

 ぼくは北海道に行ったことがないので想像するしかないが、北海道の風景は対立しあう要素が渾然一体となっているのではなかろうか。相原が強く惹きつけられたのも、まさにそこではないかと思われるのだ。それは、どこまでも広がる田園地帯と、行く手に立ちはだかる厳しい山々とである。

                    ***

 『春暁の丘』(上図)を観ると、はてしない大地の広がりが実感される。それはどんな人生をも受け入れてくれる、ふところの深い人の心のようだ。かつて『風景』の中で、壁のように北海道の大地を描いた相原だったが、今はちがう。彼はすでに北海道とひとつに溶けあってしまったかのように見える。

 だが彼の描く山には、誰ひとり近寄らせない、犯しがたい気高さがある。それはまるで孤高の精神のようだ。なかでも銀色に雪化粧した山々は、純粋な輝きを放ちながら凛として聳え、ぼくたちを立ちすくませる。

 『北の十名山』には、そんな北海道の二面性が描き込まれているように思われるのである。手が届きそうで、決して届くことのない山々・・・。それは、芸術家としての相原が目指した境地そのものでもあったろう。

                    ***



 求一朗という名前にふさわしく、求道者のように北海道を追いつづけてきた相原が最後に到達したのは、大作『天と地と』(上図)だった。描き上げられたのは、死の4か月前のことだったという。ぼくはこの絵の前に立ちながら、自分のちっぽけさを痛いほど感じていた。

 はるか遠くに聳える雪山のこちら側には、険しい崖が幾重にも連なっている。そこには、のどかな田園の広がりはまったくない。まるで前人未到の秘境のように、われわれを厳しく拒むのである。

 この風景を前にして、相原も自分のちっぽけさを感じていたにちがいない。描けども描けども、手もとから離れていってしまう北海道の自然。だがそれだからこそ、雪をいただいた峰々の輝きが、よりいっそう眼にしみるのだ。

 果敢に巨大なキャンバスに立ち向かう相原の姿を想像すると、ぼくは目頭が熱くなるのを抑えることができなかった。


所蔵先:
 『山麓紅染む 旭岳』(『北の十名山』のうち)、『天と地と』相原求一朗美術館
 『満州点描』個人蔵
 『線路のある風景』『風景』川越市立美術館
 『雪の樹林』『春暁の丘』AOKIホールディングス

DATA:
 「相原求一朗展 ― 北の大地に青春の残像を探し続けた生涯 ―」
 2007年4月4日~4月16日
 京都高島屋グランドホール

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