てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

幻になったコンサート(1)

2011年06月12日 | その他の随想


 このたび生まれてはじめて、「チケットの払い戻し」なるものを経験することになった。出演者が急病になるとか、不可抗力によってコンサートが中止され、払い戻しされるというケースがしばしばあるのを知ってはいた。しかしまさか、自分がそういう目にあおうとは・・・。

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 ぼくの家はおカネがありあまっているという状態ではないので、以前あれだけ好きだったクラシックのコンサートに出かけるのも、今では稀なことだ。しかも、最高ランクの席で3000円からせいぜい5000円ぐらいの、比較的安いコンサートを選んで ― もちろん演奏者の名前や曲目も吟味したうえで ― 妻とふたりで出かけるのである。

 廉価なコンサートというと、どうしても国内のアーティストに限られてくる。さすがに巨匠クラスの人や名門オーケストラともなると、相当の出費を覚悟せねばならず、日常生活に支障をきたさないともいいきれない。

 だが、ときにはやはり音楽の本場、ヨーロッパからやってきた演奏家をナマで聴いてみたくなる。いくら日本人の技術が進歩したところで、音楽にこもるスピリットというか、理屈では解明できない部分で、どうしても太刀打ちできない部分があるのは否定しがたいからだ。たとえばドイツ音楽を聴くときは、何があっても絶対にドイツ人の演奏で聴くべきだとはいわないが、ドイツ人による演奏を一度も聴かずして、ベートーヴェンやブラームスについてあれやこれや考えても、それは空しいことかもしれない、ということである。

 別の角度からいえば、日本人が毎年のように各地で『第九』を聴いたり歌ったりするのは結構だが、改めてドイツのオーケストラが演奏した『第九』に ― たとえCDであれ ― 耳を傾けてみると、これまで自分たちがやっていたのとはちがう新しい側面が発見できるのではないか、ということにもなる。年中行事のように『第九』の合唱に参加することを自分に課し、なおかつ喜びにしているひとは、他者の『第九』の演奏をじっくり鑑賞したことがどれだけあるだろうか?

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 かくして、思い切ってドイツのオーケストラの来日公演のチケットを買った。ドレスデン・フィルである。ドレスデンというともうひとつ、シュターツカペレ ― NHKでは「ドレスデン国立歌劇場管弦楽団」と呼ぶのだったか? ― という古参オーケストラがあって紛らわしいのだが、それほどの超のつく名門というわけではないだろう。ただ、ドレスデン・フィルはあのベルリン・フィルよりも少し歴史が古いようだ。

 料金は、A席で10000円×2枚だった。今の経済状況では、かなり思い切った出費だといわざるをえない。けれどもプログラムがあの『運命』だとなると、これは是非聴いておいてみたくなる。この曲はクラシックの定番であり、いやでも耳にする機会が多いが、それと同時にドイツ音楽の代名詞でもある。小さな煉瓦を積み上げて大聖堂を築くように一分の隙もなく、緻密で論理的に構成されたような交響曲が、おいそれと日本人の感性に馴染むわけはないと、ぼくはどこかで思っているのだ。

 妻とよく相談のうえ、チケットを“大枚はたいて”買ったのが、今年の1月25日。ドレスデン・フィルが大阪に来演するのが6月25日だから、ちょうど5か月前になる。以来、ぼくたちはその日を楽しみにしていた。日ごろ音楽に触れることが少なくなっていながら、あとしばらく待てばドイツのオーケストラでベートーヴェンを聴けるということが、毎日の味気ない生活にある種の希望と、同時に一抹の緊張さえもたらしてくれるような気がしたのである。

(画像は記事と関係ありません)

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