藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

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原爆で死んだ米兵秘史(2)

2017-01-04 14:32:05 | 日記・エッセイ・コラム

  夕飯後、布団の中で読み始めた。 戦後、大人が話していた原爆炸裂時の話が、頭の中でぐるぐると巡り、当時の噂話と現実の検証の過程が伝わってきて、同じところを幾度となく読み返しながら読んでいった。

  原爆炸裂時、私の父は広島市の南端、吉島飛行場で被爆した。 何時もの様に出勤していたら、鷹野橋(広島市役所)で、被爆し、おそらく亡くなっていただろう。 本人もそう言っていた。 偶々、前日の夕刻5時過ぎに、ゼロ戦が一機フラフラと飛行場に着陸してきた。 特攻機であったそうである。 尾道あたりから、エンジン不調でこのまま鹿屋までは飛べないと判断し、飛行場が目に入ったので着陸したそうである。 そのゼロ戦のエンジンを修理するために深夜までかかり、翌日今一度点検して送り出そうと、食事だけ取に帰宅して、夜明けとともに飛行場に戻ると、ゼロ戦はすでに飛び立っていたそうである。 二十歳前後の若者であったそうである。 そのおかげで、命を拾ったと、何時も言っていたことが蘇って来た。

  誰も取り上げることのなかった「捕虜」の死。 それも米兵。 常に冷静に検証された事実。 「菊池寛賞」に相応しい出来であった。 こうした「広島の事実」を、書き残して頂いたことに、感謝である。 

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