”広島の果物屋”トド店長のひとり言

3代目のトド店長が、今日も美味しい果物を求めて東奔西走、果物の豆知識に旬の果物から新品種、はたまた雑感まで呟きまくり!

トド店長の独り言 台湾バナナ

2017-01-13 11:07:41 | いらっしゃいませ
台湾バナナが日本へ輸入されるようになったのは、都島金次郎が1903年(明治36年)に輸入したのがきっかけだと言われています。
この当時、日本では冬のみかんが終わってしまえば、夏のスイカまでめぼしい果物が少なかったために、次第に日本の消費者にも受け入れられようになり、日本の統治時代になってからは、日本人の好みに合わせて品種改良もされるようになりました。
また、出荷も(量の多寡・品質の違いはあるにせよ通年出荷は可能)も日本の果物の少ない時期-春から初夏-に合わせて行われるようになりました。
以来順調に生産量を伸ばし、1937年(昭和12年)には出荷量が最大になったのですが、第二次世界大戦の勃発により激減しました。
戦後、食糧の配給時代には、台湾バナナを干したものが支給されたりもしました。
今でも、お年寄りの中には「懐かしい」と言って買って帰られる方もあります。

その後台湾バナナの輸入が再開されたのですが、日本は外貨不足で中々思うように輸入できず、庶民にとっては高嶺の花、果物屋にとっては、台湾バナナは高級果物としてシンボル的な存在でした。
当時の台湾バナナは、籐丸籠に30kGくらい入っていて、籠単位で買うと割安だったのですが、その代わり品質の悪いものも混ざっていたりして、よく父がぶつぶつと文句を言っていたりしました。

         -続く-

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