目指せ華麗な七十代!

旧mandalaflowerからタイトルを替えました。今から始まる七十代をより華麗に生きる覚悟です。

神長官守矢史料館でわかったこと🌟残念な歴史

2017-03-27 | 日記
二晩続きで雪が降りました。

朝起きた時には真っ白な雪化粧。

でもすぐに消えて無くなりましたわ。

束の間のなごり雪、ですね。


午前中はうっすらと日も射していたのに今はすっかり曇っています。

ちょっと寒いからまた雪が降るのかもしれません。





一昨日、何年かぶりに茅野市の守矢資料館に行ってきました。

二回めです。

近所の若い人を連れて遠足気分で出かけましたよ。

彼らに史料館を見せたかったのです。

若い人と言ったって皆さんもう30代後半で子供がいる人たちです。

還暦五年生ともなると若い人の幅が広いのよね。うふふ

大人七人子供四人、総勢十一名が三台の車に乗ってドライブを楽しみながらの小旅行でした。



道路ぎわに立った守矢史料館の看板を見過ごさないようにゆっくりいきました。

道から逸れるとすぐに駐車場あり、その先を歩いて行くとタイムスリップしたような空間が広がっています。



左奥に見えるのがミジャクジ神社で、こちらの神様が諏訪の神様よりもずっと昔から信仰を受けていた神様なのです。
明治以降、こういった土着の信仰は忘れられていきました。
何しろ当時の政府が言う所の神様は天皇様だけですからね。
昔っからの神様は受け入れられなかったのです。
でもそれはこともと日本にあった信仰なのにね。禁止するってひどいね。



守矢史料館は個人の家の古文書を展示してある小さな小さな史料館ですが、

建物がユニークなことで知る人ぞ知る、マニアックなスポットなのです。

この建物についてはまた今度。


7年前に初めて訪れた時にそのひっそりとした小さな史料館で見知った事はとても大きな驚きでした。


茅野市といえば

縄文のヴィーナスと呼ばれる縄文時代の美しい土偶が発掘されたので有名です。



諏訪湖の東側になりますが、縄文時代より多くの人が住んでいた場所でもあります。

実際に縄文時代の遺跡や発掘品などの多さでいうと、この辺りには随分たくさんの縄文人が住んでいたようです。

もしかして縄文時代に一番人口の多い地域だったかもしれません。

守矢氏はその当時よりこの地を治め

神官として祈りを捧げ、神のお告げを聞いた入り、神と交信するための祈祷を取り行ったりしてきた一族です。

そしてめんめんと時代を生き抜いたその末裔が

今でもこの地に住んでいることに大変驚きました。

なんてロマンチックなんでしょう。

何千年も同じ土地に生きてきた人々、それも神官として。。。。


こちらはご祈祷所。

明治時代までここでひそやかな儀式が行われていました。

それが今やほんのわずかな人の興味を引く歴史の中の小さな資料館としてひっそりと存在しているだけなのです。

ご祈祷所は今や閉ざされた空間なのでしょうか。

なんだかとても物悲しいものを感じます。

守屋山をご神体と仰ぎ古代からの神事を執り行ってきた一族が、

今やそんな一族がありました、と

過去形で語られることになってしまったのです。

一体どういうわけで長い歴史がストップするようなことになったのでしょう。



それは日本人にとっての心の形成のために大きな損失だったのではないでしょうか。

明治政府は江戸時代から伝わってきたものにことごとく反対したそうです。


また明治政府は神仏分離令という法律を作り

神社と寺を一緒に祀ってはいけないと決めました。

こうして、現在森友騒動においてちらほら名前の上がっている日本会議の人が

言う最強の政府、

日本会議が近代日本の祖と仰ぎ立てる明治政府はこのような法律を作って

天皇を現人神として神道国家という宗教を新たに作り上げたわけであります。

その過程で天皇家自然から信仰されてきた土着信仰の類は消されてしまったようですね。

それまで仏教を心の支えとして、

仏の教えを生きてきた人々が無理やり明治政府の教える神道に変えさせられました。


明治政府は本来受け継いできた日本人の心を捻じ曲げました。

神道と仏教を切り離し、神道を国の唯一の宗教として定めたので、

日本人ならば全て神道を信じなければならなかったのです。

ですから、学校で

毎日毎日、繰り返し繰り返し、教育勅語を耳に流し込み

忘れるな、お前ら天皇陛下の子供だぞ、忘れるなよ、親孝行しろって言ってるだろ

天皇陛下はお前の親だ、親のためには命を捧げよ、

などと教え込まなければならなかったのです。

もっと昔の日本人はそんなこと言われたことなかったはずですよ。

新しい考えを植え付けるには毎日それを唱えさせること、そうして洗脳するのです。

まるで北朝鮮みたいですわ。

私は今心の思うことを

阿呆のようにペラペラ喋っておりますが、

これも皆、主権は国民にあり、国民は誰もが自由に発言する権利を持っていると、思っているからです。

現在の法の元の安全があるからできること。

でもねそれが将来、

「主権は国民にあるなんて国はですね、私は間違っていると思います」などと

発言する

稲田朋美防衛大臣のような人が総理になったら

もう何も言えなくなりますからね。

過去の発言もチェックされてブラックリストに載るかもしれません。

クワバラクワバラ。




私はそんな時代は真っ平御免です。

どうか皆さんそんな時代にならないように自分の頭でよーく考えましょう。



明治三年に施行された神仏分離令の後廃仏棄釈運動が起きました。

これは国の宗教は神道、仏教は排斥せよという運動だったらしいです。

この法律によって、

仏教の心は失われ貴重な仏像や古い寺院が焼き払われたりしたのです。

このことに関して詳しく書いたサイトがあります。

興味のある方は読んでみてください。

廃仏棄釈運動

「三流の維新と一流の江戸」という本の著者は

こんなことも書いてます。

「 私ども大和民族は、それまで千年以上の永きに亘って「神仏習合」というかたちで穏やかな宗教秩序を維持してきた。

 平たくいえば、神社には仏様も祀(まつ)って別(わ)け隔てなく敬ってきたのである。」とね。

それを明治政府は無理やり神道に仕立て上げ国民を洗脳しました。

学校で廃仏棄釈のことを習ったような気がしますが、

言葉は覚えていてもそれがなんだったのか本当には理解していませんでした。

今思うと、大変なことが起きていたのですね。



守矢資料館から話が少し離れてしまいましたが、

古代から神官を続けてきた守矢氏もこの頃まで職務に勤しんでいたわけですよね。


仏教が排斥され、神社が尊重されたのならそれは

守矢氏にも都合の良いことではなかったのか?

何と言っても守矢氏は代々諏訪大社の神官の長なのです。

誰もがそう思うでしょう。

守矢家はますます安泰だと。


ところが、

ところがなのです。

それが今回の驚きなのだけど、

明治政府は

なんと、

これまで代々受け継がれてきた神官の世襲制を禁止したのです。




なんてこったい


そんなバカな。。。。。


(;´д`)事をしたら代々受け継がれてきた儀式の執り行いや

玉ぐしの使い方や、なんやらこうやらの大事な祭祀が消えてしまうのじゃないでしょうか。


代々受け継いできたものを

政府が指名する新しい神官に

全ての秘密を受け渡したでしょうか?

それは大いに疑問です。

どうも時の明治政府は

古代から受け継がれてきたヤマト魂を骨抜きにして

自分たちの都合のいいように作り変えた宗教観を植え付けようとしたのです。

明治維新はまさにクーデターのようなものでした。

それにより新政権の思うがままの国民が育っていったのです。

その様子を

視点を違えてみれば、

過去にカンボジアに起きたクメールルージュのクーデターと同種のことが起きたように思えます。

クメールルージュに新しい考え方を徹底的に吹き込まれた子供達は

平気で大人をこき使い、そして殺しました。

明治時代、日本人は新政権が教え込んだ新しい宗教で洗脳されたといってもいいかもしれません。

彼らが国民に信じ込ませた神道なるものも、

実は古代からの土着の信仰を排斥し、

国民を操るのに都合の良い、

新しい神道だったのではないでしょうか。

今回の訪問で神官の世襲制が廃止された事を聞かされ本当に驚きました。

私はまだ続いているものと思っていたからです。

なぜなら7年前に初めて訪問した際には

数え始めてからでも89代とかの長い間続いている守矢家のおばあちゃんにお会いしました。

だから神官は続いているのだと勝手に思っていたのです。

でもそれは間違いでした。

何千年と続いた神官職は政治家の思惑一つでおよそ百年前に途絶えていたのです。

なんて残念な歴史でしょう。
































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