女帶ものがたり

帶解も  花橘の  むかしかな

                           其角

 

女帶は着物の上に結ぶものです。

むかしから小袖があれば帶のあるもので、長着は帶なくしては完結しません。今、女帶は、長さ一丈二尺、幅九寸と決まっています。「帶」はバンドであり、ベルトでもあります。

「帶」をもしベルトのひとつとするなら、世界最長のベルトでしょう。また、もっとも広く、もっとも華麗なベルトだと、言えるかも知れません。

けれども女帶はそのはじめから、今のように長く、広かったわけではありません。江戸中期以降のことかと。

 

「延宝のころ上村吉弥といふ歌舞伎芝居の女形、はじめ帶の結びを、吉弥結びとて都鄙なべてはやりぬ。」

 

『久夢日記』の一節に、そのように出ています。女形、上村吉弥は芝居の工夫から、広帶を結んだ。その頃の喩えでは、「唐犬の耳のやう」。つまり大きく結んだ端をたらりと下げた。この大きな「吉弥結び」のために、幅広の帶が必要だったのです。

吉弥が言いはじめたか、帶屋が先か、「吉弥帶」の両端に鉛を入れて、たらりと垂れる形を拵えた。そして吉弥帶が皆に流行ったので、鉛の値が高騰したという。

それはともかくこの吉弥帶が今の女帶のひとつの源であるのは、間違いありません。また、ここでひとつ言えるのは、文化爛熟と、女帶の幅とは比例していること。文化は端的に女帶に写し出されるのです。

元禄時代、女帶が百花繚乱となったのは、言うまでもないでしょう。その帶地ひとつとっても、繻子、緞子、綸子、繻珍、唐織、天鵞絨………。絢爛たる布を惜しげもなく使ったものです。

長く、広く、流麗の帶を、練りに練った結びで、仕上げる。これも日本だけの贅というものでしょう。

今もある「太鼓結び」は、俗に、「お太鼓」とも。これは江戸、文化十年にはじまる結び方。この年、江戸、亀戸天神の太鼓橋が架け替えられて。ここに詣でた芸者衆が、橋の形に似せて考えたものという。

長着に女帶。それは施錠の印象でもあります。立派な蔵に大きな錠が留めてあるように。施錠があれば解錠があるわけで、そこに女帶の色情が隠されてもいるのでしょう。 (出石尚三:TLJ会員)

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