彦四郎の中国生活

中国滞在記

お盆帰省❶—山国(京都・京北町)

2017-08-16 12:58:43 | 滞在記

 8月12日午後4時半頃、自宅を出て妻の故郷である京都市右京区京北町に向かう。6時半頃に到着。日本の故郷田園風景が色濃く残る地区である。地区の中を桂川の上流域である上桂川が流れている。かっては朝廷の「皇室御料地」であったため、その歴史的伝統が残る土地柄でもある。この地区にある「山国護国神社」の10月祭礼には、あの「京都時代祭」の先頭を行く音楽隊のモデルとなっている「山国隊」行列が地区内を行進する。妻の実家の男性たちも小学校のころからこの「山国隊」行列に参加している家系でもある。

 左手に見える小高い山には「中江城」という、典型的な戦国時代の山城跡が残っている。かって、この「山国荘皇室御料地」を横領した北桑田郡の地方豪族「宇津氏」が築いた山城ともされるが、真偽のほどはまだはっきりしない。その後、宇津氏は織田信長の部下であった明智光秀の軍勢によって滅亡させられてしまった。ここから近いところに、明智光秀が築いた「周山(しゅうざん)城」もある。山頂の城郭には石垣が多く使われた見応えのある山城である。この日は「山国地区の夏祭り(お盆)」の日であった。花火が打ちあがった。

 15分間あまりの花火が打ちあがり、そして静かに終わった。京北第二小学校(旧・山国小学校)に近い広場に向かった。妻と妻の母と3人で、田んぼの中の道をゆっくりと歩く。星がたくさん見えて夜空が美しい。途中、小学校前の横断歩道に「女の子の安全横断人形」が置かれている。なにか 夜見ると、ちよっと不気味だ。

 広場では恒例の盆踊りが行われていた。けっこうたくさんの人がきて踊っていた。若い人の姿も多い。小学生のお囃子も披露されていた。妻の兄は今年もお囃子の「篠笛」を吹いたようだった。妻の姪と昨年秋に結婚したブラジル出身のアレックス君も生後5カ月くらいの赤ちゃんをつれて盆踊りに来ていた。

 翌日13日の早朝に、妻と二人で墓参りに行く。近くに「北山杉」を背景にした「百日紅(さるすべり)」の花が美しい。墓参りから戻って、妻の兄に日本刀の大刀を見せてもらった。最近購入したもののようだが、なかなか素晴らしい。9月から始める大学での授業「日本文化論」の話を相談していたら、いい新聞記事を紹介してもらった。13日(本日付け)の京都新聞の朝刊記事だった。「怨霊(おんりょう)」というテーマの記事で著者は哲学者の「梅原猛(うめはらたけし)」さん。

 日本の文化に関して、「日本文化の闇の深層」という言葉で表現される内容に関するものだった。東京上野公園にある大きな西郷隆盛像がなぜあの場所に置かれているのか。日本三大祭りの「神田祭」(江戸)、「天神祭り」(大阪)、「祇園祭」(京都)。それらは、時の政府に反乱を起こしたり、冤罪で島流しにあったりした人物の怨霊を慰め、禍として祟らないようにという願いをこめているという。日本文化には、文化の闇(裏文化)として、そのような怨霊や妖怪というものが底流に流れているとする一文だった。今後の「日本文化論」の授業案作りに参考になった。

 この日の午前8時頃に、妻の実家を後にして、福井県の私の実家に向かう。京都府美山町を通り、京都府と福井県の県境となる「堀越峠」をへて、福井県名田庄地区に入る。お城のような家が道沿いにあった。城が好きな人の家なのだろうが、よく奥さんが この家の造りを許したものだと感心した。「一国一城」の城持ち武士の気分を少しは感じることができるのかもしれない。奥さんも城主の妻気分を感じることがあるのだろうか。家の人の名前は何という人だろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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