彦四郎の中国生活

中国滞在記

福井県南越前町へ帰る➋―日本海に落ちる夕日、特務艦「関東」遭難の海

2017-07-16 07:45:19 | 滞在記

 10日(月)の夕方、越前町の港を後にして、越前海岸に迫る山塊の山の中腹にある「午房ケ平」集落に向かう。この集落に行くために山道を車で登る。断崖が迫る くねくねした細くて薄暗い、とてもとても怖い道だ。今でもこの集落の何軒かに人が住む。ここの集落付近から見ることができる、日本海に沈む夕日というものを、昨年の8月に初めて見た。「すごい、荘厳」の一言につきた。カメラマンなどの知る人ぞ知る、日本海の夕日の有名スポットのようだ。集落に無事に着き、村のおばあさんと少し話をした。この山の上にある集落からは、敦賀の街がよく見えた。天気がいいと、鳥取県の大山がかすかに見えるという。

 この日はあいにく、水平線と夕日の間に雲がかかっていた。それでも、なかなか見事な夕日の情景だった。海岸線に再び下る。左は断崖の崖なので、車を慎重に慎重に運転する。

 この日の夜7時頃、ようやく母の携帯電話につながった。3日前から、急な立ちくらみの症状が出て、越前市内(旧・武生市)の病院に緊急入院していたことがわかった。一安心する。明日の午後退院とのことだったので、迎えに行くことになった。

 翌朝11日(火)、早朝の5時過ぎに港(糠港)に行く。自宅から車で3分ほどのところだ。朝の漁から帰った船が「ブリ」などの水揚げを行っていた。波止場に散乱している小魚を狙って、カモメが群れていた。

 糠の港から車で10分ほどの所に、福井鉄道バスの始発停留所がある「かれい崎」に着く。始発バスがもうすぐ出発しそうだった。バスの運転手と話をする。ここに小さな小屋のような福鉄の宿舎があって、ここに昨夜は3人ほどが泊まり、翌朝の勤務に備えているようだ。山側の樹木に黄色い花が咲いていた。

 この福鉄バス宿舎の横に、水産会社がある。水産物を加工して出荷する、このあたりでは わりと大きな会社だ。ここには、中国から働きに来ている若い娘さんたちが6人〜7人いる。いわゆる「技能実習生」という制度で来日し、2〜3年間をここで働く。主に中国の東北部(旧・満州)から来ている女性が多いようだ。昨日の夕方、ここを通った時、仕事を終えてくつろぐ5〜6人の中国人を見かけた。この工場の真上の山の中腹に「夕日の綺麗な」集落がある。

  糠港と「かれい崎」のほぼ中間の浜に、「関東艦」と呼ばれる場所がある。このあたりの海は、小学生高学年や中学生の頃に、よく「サザエ」を素潜りで獲りに来ていた浜だ。一日に100個ほどの「サザエ」や「アワビ」を獲り、旅館などに売ったりして小遣いを稼いでいた。

 この浜の沖に少し大きな岩がある。この岩の周辺は、特に大きなサザエが多く獲れたポイントだった。水深はかなり深いので少し怖い。この場所は、昔(1925年・大正13年12月10日)、「特務艦 関東」が 150m沖合のこの大きな岩(岩礁)に座礁し、艦が中央から真っ二つに折れて沈没し、乗組員将兵207人のうち97人が亡くなった場所だ。

 山口県の港から京都府の舞鶴港に向かう途中、山陰海岸沖で暴風雪に巻き込まれ、方向を見失い、舞鶴港沖を通り過ぎてしまい、12月10日の朝8時頃、暴風雪で荒れ狂う日本海の中、ここで艦が座礁。海に投げ出された船員将兵たちの多くが犠牲となった。急を聞いて駆け付けた糠集落の村人たちが救助にあたった。氷のように凍えて瀕死の将兵を、「村の婦人たちが人肌で温めながら蘇生させ、何人もの人を救った」話が今も伝えられている。最近、遭難場所の海岸に、銅板で造られた慰霊記念碑が造られた。

 

 

 

 

 

 

 

 

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